こんばんは。蓮夏一照です。
今日は、開山聖人の御正忌。
報恩講のど真ん中の御文です。
で、いきなり重たい。
その御恩をしらざるものは、
木石にことならんものか
……はい、
石ころ認定されるところから始まります。
でもな、そのあとがもっと怖い。
◆ 牛盗人のほうがマシ?
親鸞聖人のお言葉。
たとい牛盗人とはよばるとも、
仏法者・後世者とみゆるように
ふるまうべからず
これ、譬えにしたら強烈。
「牛泥棒」言われるほうがまだええ、でも「わし仏法わかってます顔」するな、と。
つまり――
👉 悪人であることより、
👉 “わかったふり”のほうが重い
刺さる。
◆ 外はちゃんと、内は深く
聖人のバランス感覚、すごい。
外では――
仁義礼智信を守れ。
王法をさきとせよ。
内心では――
本願他力の信心を本とせよ。
つまり、
・社会ではちゃんとした人間
・内側では凡夫と自覚
これが真宗の姿。
逆になるとどうなるか。
外で仏法アピール、内は空っぽ。
それを、蓮如さんは「仏法しりがお」と言う。
……えぐい。
◆ 知ったかぶりは、いちばん危ない
御文、ここから怒涛。
・相伝もない聖教を勝手に読む
・自分の字力で解釈する
・えせ法門を広める
・「本寺の成敗」と名乗って脅す
今で言うたら――
SNSで「真の教え、暴露します」動画アップしてる人。
で、最後に「寄付はこちら」。
あさましき次第。
蓮如さん、わりと本気で怒ってます。
◆ 七日間おっても、空振り
報恩講に七日間通っても、信心決定してへんかったら――
👉 ひとまね
ただの“イベント参加”。
体育祭でゼッケン付けて、競技には出てへん感じ。
報恩は、出席日数ちゃう。
◆ ほんまの報恩
報恩って何か。
弥陀願力の信心を獲得した人のうえにおいてこそ、「仏恩報尽 師徳報謝」が成立する。
順番がある。
信心が先。感謝は後。
◆ 譬え話で言うと
寄席に来て、
・前座の批評する人
・演目の構造を語る人
・師匠の年齢を言い当てる人
おるけど、肝心なんは――
👉 噺に泣いたかどうか
泣いてへんのに
「いやぁ名作でしたな」
それが一番こわい。
◆ でも救いはここ
御文は、突き放さん。
わろき心中のとおりを改悔懺悔せよ
間違えたら、戻れ。
知ったかぶりしてても、気づいたら、戻れ。
報恩講は、反省とやり直しの七日間。
◆ まとめ
・恩を知らんのは木石
・でも“わかった顔”はもっと危ない
・外では仁義、内では他力
・えせ法門は宗を汚す
・報恩は出席ではない
・信心決定のうえに感謝
◆ しめ
牛盗人と呼ばれてもええ。
でも、中身のない仏法者には
ならんほうがええ。
静かに、内に深く、南無阿弥陀仏。
それが、ほんまの報恩講。
あなかしこ、あなかしこ。