みなさんこんにちは。蓮夏一照です。

今日は「ほんまにそんなことあるん!?」という曇鸞ワールドの名シーンをご紹介します。

テーマはズバリ、「氷、溶けます」です。

え?サウナの話ちゃいますよ。


◆煩悩の氷が解けて Bodhi(菩提) の水になる

無碍光の利益より
 威徳広大の信をえて
 かならず煩悩のこおりとけ
 すなわち菩提のみずとなる

本文にはこうあります。

「煩悩の氷、とけて菩提の水となる」


いやこれ、初めて読んだときビックリしましたよ。「煩悩が解けたら悟りになる」って、そんな都合ええ話あるかいなと。

たとえるなら、

“砂糖入れすぎたコーヒーをかき混ぜてたら突然ブラックに戻る”

くらいのミラクルです。

でも曇鸞大師に言わせたら、

「氷と水は、本質は同じやで」


つまり、煩悩(氷)=

実はそのまま菩提(水)の素材なんや、と。

これを可能にするのが、

無碍光仏(=阿弥陀さんの光)。

ライトを当て続けたら氷は溶ける。

同じように、煩悩まみれの私らも、無碍光に包まれたら自然に“性質が変わる”。

努力?修行? ちゃうのよ。

“光にあてられて溶けるだけ”なんです。


◆「罪が功徳にひっくり返るってどういうこと?」

罪障功徳の体となる
 こおりとみずのごとくにて
 こおりおおきにみずおおし
 さわりおおきに徳おおし

出ました、真宗名物“逆転の発想”。

「罪障、功徳の体となる」


「この男、失敗だらけのどうしようもないヤツでしてな…

 ──と思ったら実はその親がなおさら強く守り育てようとしておりまして…」

みたいな逆転劇。

曇鸞さんはこう言いたいわけです。

罪が多いほど、そこに流れ込む阿弥陀の功徳が多い。

氷が分厚いほど、水になったら量も増えるでしょ。それと同じ理屈や、と。

◆「名号の海に入ったら全部一味」

名号不思議の海水は
 逆謗の屍骸もとどまらず
 衆悪の万川帰しぬれば
 功徳のうしおに一味なり

ここがまた面白い。

「名号不思議の海水は

  逆謗の屍骸(しかばね)すらとどめない」


なんちゅう例えや。

つまり、どんな人でも、名号(南無阿弥陀仏)の海に入ったら、善悪・キズ・経歴・恥・後悔──ぜんぶ溶けて“一味”になる。

海に流れ込んだ川の水が、「これは琵琶湖水です」「これは荒川水です」と区別されへんのと同じ。

尽十方無碍光の
 大悲大願の海水に
 煩悩の衆流帰しぬれば
 智慧にうしおに一味なり

名号の海は、全部まとめて“塩味”にしてしまう。

逆に言うと、“私は濁ってるから無理”と思う人ほど、海水はその濁りごと引き受けて“一味化”してくれる。

これが、真宗の“救いの豪快さ”ですね。

◆「安楽浄土は成仏への高速道路」

安楽仏国に生ずるは
 畢竟成仏の道路にて
 無上の方便なりければ
 諸仏浄土をすすめけり

本文には、

「浄土に生ずるは、畢竟成仏の道路」


と言われてます。もうそのまんまですよ。

浄土に行く=成仏コース確定。

なぜか?

「無上の方便」

     “最強の近道”やから。


だから諸仏がみな「浄土行き、ええでぇ〜」と推すわけです。

◆「仏さまは“三業フル装備”でやってくる」

諸仏三業荘厳して
 畢竟平等なることは
 衆生虚誑の身口意を
 治せんがためとのべたまう

締めくくりも素敵です。

「諸仏は身口意を整えて、虚誑(きょこう)の衆生を治すため」


こちらが嘘まみれでも、仏さまの側が“真実セット”で包んで治してくれる。

いわば、

「こちらが壊れとるからこそ、向こうが完全版で来てくれる」

という救い。

人間の世界は

“ダメなやつは切られる”

ですが、

仏の世界は

“ダメなやつほど迎えに来られる”。

凄い世界ですよ、ほんま。

◆今日のまとめ

・煩悩は氷、信心で水に溶ける

・罪が多いほど、功徳もようけ入る

・名号の海は全部“一味”にしてくれる

・浄土は成仏への“ETC付き高速”

・仏は完全装備で、嘘まみれの私らを治療する

つまり──

「南無阿弥陀仏いうて、海に浸かりなはれ。氷も罪も、勝手に溶けて一味になるさかい」


という、阿弥陀さんからの温泉招待状なんです。

ではまた次回、

蓮夏一照でした。

ほな、ナンマンダブ。