皆さん、大勢至(だいせいし)菩薩って聞くと、「観音さんの横にいる、あの“気のええ兄ちゃん”みたいな人?」

……くらいのイメージちゃいます?

いやいや、この方、実は “念仏の電波塔” なんです。

というのが、今回の和讃。


●五十二菩薩の“総立ち”


勢至念仏円通して

五十二菩薩もろともに

座より立たしめて

仏足頂礼せしめつつ


大勢至さんが念仏の極意を見せたら、五十二段階の修行を重ねた菩薩たちが 総立ち

「満員の寄席の客が一斉に総立ちで“師匠!”言うて頭下げるレベル」


念仏の威力、ハンパない。


●“無量光”→“超日月光”へとつづく仏のリレー


教主世尊にもうさしむ

往昔恒河沙劫に

仏世にいでたまえりき

無量光ともうしけり


十二の如来あいつぎて

十二劫をへたまえり

最後の如来をなづけてぞ

超日月光ともうしける


「歴代エースピッチャーがずっと投げ続け、最後の最後に“太陽・月より明るい”大エース登場!」


そしてこの超日月光如来が、大勢至菩薩に 念仏三昧 を授ける。つまり大勢至さんは、念仏を極めた“正式ルートの伝承者”

●親が子を想うように、仏は衆生を想う


超日月光のこの身には

念仏三昧おしえしむ

十方の如来は衆生を

一子のごとく憐念す


子の母をおもうがごとくにて

衆生仏を憶すれば

現前当来とおからず

如来を拝見うたがわず


「どんなやんちゃ坊主でも、親にとっては“うちの子は宝”なんや」


そして仏の方を思い出した瞬間、すぐそばに仏がいる。

“憶念の距離ゼロ”

これは真宗のキーワードです。


●“香りの人”になる


染香人のその身には

香気あるがごとくなり

これをすなわちなづけてぞ

香光荘厳ともうすなる


染香人の身に香りがつくように

念仏者には“香光”がただよう


いい香水ちゃいます。

阿弥陀仏の光が心にしみ込む香り

「あの人、なんか知らんけどええ空気持っとるなぁ…あれ実は“仏の香り”ですわ、て話」


●大勢至の使命は“摂取して浄土へ”

われもと因地にありしとき

念仏のこころをもちてこそ

無生忍にはいりしかば

いまこの娑婆界にして


念仏のひとを摂取して

浄土に帰せしむるなり

大勢至菩薩の

大恩ふかく報ずべし


大勢至さんは、「自分だけ悟って終わり」ではなく、念仏者を見つけては背中に手を当てて “ほな、一緒に浄土いきましょか”と導く役目。


今回の和讃はその自己紹介なんです。


●大勢至という“光の導師”

真宗における大勢至菩薩は、“智慧の光で、迷いの闇を照らす菩薩”

観音が“慈悲担当”なら、大勢至は“智慧担当”。

そしてその智慧の核心が、「念仏のはたらきは、あなたを必ず浄土へ摂取する」という確信です。

大勢至はこう言います。

「ワシが昔、念仏で悟ったんや。せやから今は、念仏の人を必ず連れていくで」


つまり、

●念仏を称えるあなたには

 “大勢至の手”がすでに添えられている。

●その手は

 不安、迷い、孤独の暗がりでも離れることがない。


■最後に一照から

今日もまた、胸の奥がざわざわする夜が来たなら、どうかこの一句を思い出してください。

南無阿弥陀仏

 その称名に、大勢至の手が働く


光に向かうあなたの歩みを、

そっと押してくれる“智慧の導き”です。