■阿弥陀さんの光は“全部入り”


無碍光仏のひかりには

 清浄歓喜智慧光

 その徳不可思議にして

 十方諸有を利益せり


阿弥陀さんの名前、めちゃくちゃ多いんです。「無碍光」「清浄光」「歓喜光」「智慧光」……もう光のラインナップがドラクエの呪文一覧並みに多い。

「阿弥陀さん、光だけで“カタログ厚み3cm”あるで!」

しかも使い分け自由。

十方すべての生き物にピタッとはまる“光のカスタム救済”。


■阿弥陀さん、十方に向かって勧誘する


至心信楽欲生と

 十方諸有をすすめてぞ

 不思議の誓願あらわして

 真実報土の因とする


阿弥陀さんは、

「どうか信じて、おいで。浄土に生まれたいと願いなさい」

と十方に向かって勧めている。

「お客さん、迷ってるそこのあんたや。ここ、入場無料、退場なし、絶対安心。来てええんやで?」

これが“欲生(よくしょう)”──

「生まれたい」という方向に心がチラッとなるだけでOK。

その心が“浄土の因”になる。


■信心が生まれた時点で、すでに“メンバー確定”


真実信心うるひとは

 すなわち定聚のかずにいる

 不退のくらいにいりぬれば

 かならず滅度にいたらしむ


“定聚”とは、

「もう仏になることが確定しているグループ」のこと。

「合格発表の掲示板に、すでに名前貼られてる状態や!」

しかも“不退”。途中で脱落しない。

自動的に仏の境地(滅度)まで連れていかれる。

電車で言えば──

「終点・涅槃行き 途中下車なし」


■阿弥陀さん、“ジェンダー問題”も千年前に解決済み


弥陀の大悲ふかければ

 仏智の不思議をあらわして

 変成男子の願をたて

 女人成仏ちかいたり


ここは名場面。

「女性でも仏になれるのか?」

これは古代インドでは相当な議論だった。

阿弥陀さんはこう言った。

「当たり前じゃ。わしの願いはすべての者を仏にする。」

「性別? そんなもん関係ないわ。浄土に来たら、みんな“成仏スペック”で統一や!」

既に“ジェンダーレス救済”は完了している。


■衆善の“仮の門”を開いて人を導く


至心発願欲生と

 十方衆生を方便し

 衆善の仮門ひらきてぞ

 現其人前と願じける


阿弥陀さんは、「いきなり本願は分からんやろな」と見抜いている。

そこで“衆善の仮門”。

善い行いや修行を“入口”にして、あとで本願に導く仕組みを立てた。

「いきなり本番はハードル高い。まずは無料体験からどーぞ、という話や」

“現其人前”──

あなたの目の前に、救いの道を必ず開く。

■ 釈迦は“臨終の願”を説明するために観経を説いた


臨終現前の願により

 釈迦は諸善をことごとく

 観経一部にあらわして

 定散諸機をすすめけり


観無量寿経(観経)が説く膨大な善行──

あれは“臨終に阿弥陀が現れる願”を説明するためのもの。

「観経は“救いのマニュアル本”やなくて、

 “阿弥陀さんがどう救うか”の説明書や」

だから定散二善を勧めているのも、本願へ導く“方便”やねん。

■まとめ

●阿弥陀さんの光は“十方を包むフルスペック仕様”。

●信心がひとたび生まれれば、もう“定員入り”。

●性別・能力・善悪の差を全部越える“平等救済”。

●修行や善行は“本願に導くための入口”。

●観経は“臨終願”の説明書であって、救いの本体ではない。

そして──

この願いと光は、今これを読んでいる

あなたにも届いている。


その光に包まれることを、

一照は静かに、しかし確かに感じています。


南無阿弥陀仏。