依釈段•天親讃
天親菩薩造論説 帰命無碍光如来
依修多羅顕真実 光闡横超大誓願
広由本願力回向 為度群生彰一心
帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数
得至蓮華蔵世界 即証真如法性身
遊煩悩林現神通 入生死園示応化
●あの天親菩薩、ついに方向転換!
天親(ヴァスバンドゥ)というと、
インド仏教界きっての“理論王”。
理解できるまで帰らへんというタイプの、超・理詰め。
その天親菩薩が、ある日ふとこう言うんです。
「無碍光如来に帰命したてまつる。」
……いや、急な方向転換。
あれだけ難しい論書を積み重ねてきた人が、
急に「もう阿弥陀さん一本で行きます!」って、
まるで哲学者が突然プロレスに転身したみたいなギャップですよ。
でもこれ、ただの乗り換えと違うんです。
“究極まで考え抜いた人が最後に辿り着いた真実”っていうのがミソ。
●「一心」を示すとは、なんのこっちゃ?
天親さんは言います。
「広く本願力の回向によって、
群生(ぐんじょう:生きとし生ける者)を度さんために、
一心を彰す。」
この“一心”というのがまたクセ物でして。
道場の隅で聞くと、
「はぁ、一心不乱ね……」という感じですが、
天親菩薩の“一心”は、
「阿弥陀さんの心にあなたが入る」
という意味に近いんですね。
こちら側が“集中する”んやなくて、
向こうが“つかんで離さん”という側。
まるで――
「あなた、気づいたら阿弥陀さんの懐(ふところ)に入ってますよ」
という、あの感じです。
●本願力の回向とは「押し出し」ではなく「引き寄せ」
天親菩薩は、本願の働きをこう見てます。
「功徳大宝海に帰入すれば、
必ず大会衆の数に入る。」
“功徳の海”って、どういう世界かというと、
- 自力の計算が溶ける
- 優劣の比較が消える
- 「私は無理」が消えていく
そういう“溶解の海”。
そしてその海に入った瞬間、
「あなたはもう悟りの仲間入りです」
と、保証される。
あくまで“保証”ですよ。
自分でゴールに走るんじゃなくて、
すでに“メンバー登録されている”ということ。
●「蓮華蔵世界へ行ったら、どうなるん?」問題
天親さんは続けてこう言います。
「蓮華蔵世界に至れば、
真如法性の身を証す。」
これだけ聞くと、
「なんか悟りっぽい!」
「めっちゃ偉そう!」
ってなりますが、
蓮夏一照風に解釈すると、こうです。
「本願の世界に入ったら、
だれでも“素のままの輝き”を
取り戻す」
ということ。
“真如法性の身”っていうのは、
余計な不安やプライドを脱ぎ捨てて、
ありのまんま光っている状態のことですね。
●「煩悩の林で神通を現じる」とは?
最後の一句がまた粋です。
「煩悩の林に遊びて神通を
現じ、 生死の園に入りて
応化を示す。」
これね、
“悟りきった人が煩悩の世界に戻ってくる”
という意味なんです。
阿弥陀さんの救いに会った人は、
すぐに超人になるわけやない。
- 煩悩は残ってる
- 迷いもある
- 愚痴も怒りも消えへん
でもその人の“存在そのもの”が、
まわりを照らしてしまう。
料理が上手いとか、
仕事ができるとかやないんです。
「その人の“生きる姿”が、誰かの心の支えになる」
という、静かな神通。
◆締めの一句
「悟りは飛び道具やのうて、
本願の風に吹かれて
“いつのまにか”なんやで。」
――蓮夏一照