依釈段•龍樹讃 

釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽
顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩

 釈尊、“未来予告”をする

ある日、楞伽山で釈尊が衆に向かって、こんな宣伝をしたんやそうです。

「南インドに“龍樹(ナーガールジュナ)”っちゅう、めっちゃキレる坊さん出るから。 彼が大乗の道をひっくり返すで。」


……釈尊、未来の予告しすぎやろ。

なんなら予告編どころかポスターまで貼ってたレベルですよ。

そして実際、龍樹菩薩はそのとおりの活躍をします。

  • 思い込み(有無の見)を粉砕
  • 難しい行を“難行の陸路”と喝破
  • 念仏の道を“水上の高速道路”として示す

仏教界の “Google マップ” みたいな存在です。

「最適ルートはこちらです」と案内してくれる。


“陸路と水路”のたとえ、分かりすぎる

龍樹菩薩の名物たとえがこれ。

陸路=難行道

水路=易行道


陸路は、坂道・岩場・ぬかるみ。

「修行して悟りましょう」ってやつですね。

水路はというと――

船に乗ったら、風と潮が勝手に運んでくれる。

要するに、

“船(本願)に乗ったらエンジンは弥陀が持ってる”


ということ。

努力しすぎて沈んでいく人、

頑張りすぎて遭難する人、

迷いすぎて方向音痴になる人。

龍樹菩薩はそんな人にこう言うんです。

「あんた、船あるのに泳ごうとしてるで」


ほんまにそう。

泳ぎたい気持ちは分かるけど、沈むのもまた早い。

「本願を憶念すれば、自然に即の時、必定に入る」

親鸞聖人が大事にされた龍樹の一句があります。

「本願を憶念すれば、

  自然に即の時、必定に入る」


どういうことか。

「弥陀の本願にふっと心が向いたその瞬間、すでに“必ず悟りに至る身”へ転じている」という意味です。

行の重さや器量とは関係ない。

  • 今日はやる気ゼロ
  • 心は曇り気味
  • 欲も怒りも消えへん

そんな私でも、「本願に気が向いた」その一念がすでに“水路に乗った”ということ。

念仏は「船に乗ってるサイン」

龍樹菩薩はこうもしっかり言うてます。

「ただ如来の名号を称して、大悲弘誓の恩を報じよ」


難しい修行の代わりに、

“阿弥陀さんの名前を呼ぶ”という方法が残されたわけです。

つまり――

  • 船に乗る
  • 船長の名前呼ぶ
  • 「今日もありがとうございます」

これだけ。

修行というより、

ほとんど“感謝の乗船”です。

「恩を報ずる」念仏とは?

親鸞聖人はこの龍樹の精神を受けて、

「念仏は報恩の行」


と教えます。

「念仏したら救われる」んやなくて、

「救われた身が念仏になる」。

船に乗せてもらった乗客が、

「船長ありがとう」と言ってるようなものです。

そう考えると、念仏は

“よいしょ”でも

“頑張りの証”でもなく、

「助けられた実感の息」

なんですね。

◆締めの一句


「陸路で泣くより、

 水路で浮かべ。

 本願という船は、

 いつでもあなた向き。」


――蓮夏一照