八っつぁん:
「熊さん、隣の奴、とうとう新しい車買いやがった。」
熊さん:
「また羨ましがってんのか。」
八っつぁん:
「だってピカピカだぞ。こっちは自転車のチェーンが外れっぱなしだ。」
熊さん:
「お前んとこ、まだ足あるだけマシだろ。」
八っつぁん:
「でもなぁ……あいつは出世もして、奥さんも優しくて、犬まで毛並みがいいんだ。」
熊さん:
「お前、それもう“犬まで羨んでる”病だぞ。」
■ 「羨ましい」は、心が生きてる証拠
羨ましさって、実は悪いもんじゃない。
「いいな」と思えるのは、自分の中にも
**“その光を感じる力”**があるから。
他人の輝きにまぶしさを覚えるのは、
あなたの中に同じ光が眠ってる証なんです。
熊さん:
「八っつぁん、お前が眩しいと思うその光、ほんとはお前の中にもあるんだぜ。」
■ 八っつぁん、インスタの闇に沈む
八っつぁん:
「でも熊さん、スマホ開くたびにさ、みんな幸せそうなんだよ。」
熊さん:
「そりゃあ、“幸せなとこ”しか写してねぇからな。」
八っつぁん:
「オレも“映え”たいけど、ネタがねぇ。」
熊さん:
「映える必要なんてねぇ。泥の中に咲く蓮は、“映えない”からこそ美しいんだ。」
■ 仏の目には「比べる心」も抱きしめられている
親鸞聖人は、「凡夫」とは煩悩具足の身と仰った。
つまり、怒りも欲も嫉妬も、すべて持っている。
そのままの私を見捨てず包んでくださるのが阿弥陀さまの本願。
「羨ましい」と思った瞬間、
「ああ、これも凡夫の姿なんだ」と気づけたら、もう光の中に立っている。
比べて苦しむ心ごと、如来は照らしてくださっているのです。
■ 熊さんのしめくくり
熊さん:
「八っつぁん、人の幸せを羨む夜は、自分の灯りを思い出す夜でもあるんだ。」
八っつぁん:
「灯り?」
熊さん:
「お前が人にしてきた“ささやかな優しさ”。あれがちゃんと、どこかで灯ってる。光ってるのは何も、金や肩書きだけじゃねぇ。」
■ 今夜のひとこと
羨ましさは、あなたの中にある
“まだ見ぬ光”の反射。
だから、無理に打ち消さなくていい。
「羨ましいなぁ」と呟いたら、
そのあとに、そっとこう付け足してみよう。
「でも、私も私でええじゃないか」と。
阿弥陀さまは、他人をうらやむその心の底に、
あなたの苦しみを見抜いて「よう生きておる」と微笑んでおられる。
🌙 今夜は、自分の灯りを見つめてください。
誰の光とも違う、あなたの光が、
すでに静かに灯っています。