八っつぁん:

「熊さん、夜になると急に寂しくなんのよ。」

熊さん:

「どうした、恋でもこじらせたか?」

八っつぁん:

「いや、違う。スマホ見ても誰も連絡くれねぇし、テレビの笑いも心に入ってこねぇ。まるで世界にオレ一人しかいねぇみたいだ。」

熊さん:

「それが“孤独”ってやつだな。……でもな八っつぁん、孤独は“敵”じゃねぇ。」

八っつぁん:

「え、じゃあ何なんだ?」

熊さん:

「仏の呼び出しベルみたいなもんだ。」


■ 孤独は「心の静けさ」の入口

誰かと一緒にいても、ふとした瞬間に寂しくなる。

そんな夜は、自分の中の“静けさ”と向き合う時。

孤独は、心が疲れ切って「もう少し、静かにしてくれ」と

そっとブレーキをかけてくれているサインなんです。


八っつぁん:

「じゃあ、寂しいのは悪くねぇってことか?」

熊さん:

「そう。寂しさを感じるってのは、ちゃんと“人を恋しがる力”がある証拠だ。」

■ 夜の孤独は“魂の風呂”

熊さん:

「孤独ってのはな、心の垢を落とす風呂みたいなもんだ。しみるけど、出たらちょっと軽くなる。」

八っつぁん:

「なるほどなぁ。でも、湯加減が冷たすぎる夜もあるんだよ。」

熊さん:

「そんときゃ、無理して入らなくてええ。

布団にもぐって“生きてる”ってだけで充分だ。」


■ 阿弥陀さまは、孤独の中におられる

親鸞聖人は「我が身今生において往生す」と仰った。

それは、どんな暗闇の中にも、仏の光が届いているということ。


「誰もいない」と感じる夜ほど、

阿弥陀さまはすぐそばで息づいておられる。

それは、励ましでも説教でもなく、

ただ「あなたを一人にはしない」という沈黙の慈悲。


孤独とは、実はその“光の気配”を受け取る時間でもある。

■ 熊さんのしめくくり

熊さん:

「八っつぁん、夜はな、仏さまの時間だ。」

八っつぁん:

「仏さまの?」

熊さん:

「昼は人の声がうるさくて、仏さまの声が聞こえねぇんだよ。静けさの中でしか聞こえねぇ“南無阿弥陀仏”って声があるんだ。」


■ 今夜のひとこと


孤独は、仏さまが灯をともす時間。


つながりが途切れたように見えても、

あなたは決して一人じゃない。

誰にも言えない涙の奥に、

すでに「ともに泣く光」がある。



🌙 だから、無理に誰かを探さなくていい。

スマホを閉じて、静かな夜に「南無阿弥陀仏」と一声。

それだけで、あなたの部屋には光がともる。