熊さん:

「八っつぁん、また目の下にクマできてるぞ。」

八っつぁん:

「いやぁ、最近“やる気”が出ねぇんだよ。何しても空回りでさ。」

熊さん:

「いいじゃねぇか、やる気がなくたって。」

八っつぁん:

「よくねぇよ。みんな頑張ってんのに、オレだけ止まってる気がしてさ……。」

熊さん:

「お前、ランナーと電灯の違いを知らねぇな。」

八っつぁん:

「は? なんの話だい。」

熊さん:

「電灯は走らねぇ。でも、ちゃんと灯ってる。」


■ 「頑張る」と「灯る」は違う話

人はよく、「頑張らなきゃ光れない」と思い込んでる。

でも本当は、光は頑張って灯すものじゃなく、自然にともるもの。


朝日を見てみればいい。

「さぁ今日も昇るぞ!」なんて気合いを入れてる太陽はいない。

それでも、ちゃんと世界を照らしてくれてる。


■ 八っつぁん、豆電球になる

八っつぁん:

「でも熊さん、オレの光なんて小せぇもんだ。」

熊さん:

「豆電球でもええ。真っ暗な夜道じゃ、それが一番ありがたいんだ。」

八っつぁん:

「そんなもんかねぇ。」

熊さん:

「人の役に立つ光なんて、でっけぇ蛍光灯ばっかじゃねぇ。お前の“ちいさな灯り”で、誰かが転ばずに済んでる。」


■ 仏の光は「無条件」

親鸞聖人は「光明無量」と仰った。

阿弥陀の光は、誰をも選ばず照らす。

頑張っている人だけに届くのではない。

疲れた人、止まってしまった人にも、

「そのままでええ」と届いている。


努力しないことを勧めているのではなく、

“頑張れない自分”を責めないことが大事なんです。


仏さまの光は、あなたが泣いていようと、

眠っていようと、ちゃんと届いている。

■ 熊さんのしめくくり

熊さん:

「八っつぁん、人間ってのはな、頑張って光るんじゃねぇ。照らされて光るんだよ。」

八っつぁん:

「照らされて?」

熊さん:

「お天道さんに当たった洗濯もんみてみろ。自分から光ってるように見えるだろ?でも本当は、光を“もらって”光ってんだ。」


■ 今夜のひとこと

あなたの光は、もう灯っている。


たとえ動けなくても、うまく笑えなくても、

あなたがここにいるだけで、誰かの夜を照らしている。


阿弥陀さまの光は、頑張る力のない人をこそ包み、

「ようここまで来たな」と、静かに照らし続ける。

🌙 だから今夜は、何もしなくていい。

ただ、呼吸して、生きていてください。

それだけで、光はちゃんと灯っているから。