朝起きたら、天気は雨。
電車は遅れ、上司の機嫌は最悪。
家に帰れば、Wi-Fiが切れてる。
──ああ、人生って思い通りにならない。
でもね、実はそれが“ふつう”なんです。
■ 八っつぁん、怒りの一日
八っつぁん:
「熊さんよ、今日という日は最悪だ!」
熊さん:
「また始まったな。」
八っつぁん:
「まず朝から財布を落としたんだよ!」
熊さん:
「拾った人が善人なら、まだ幸運じゃねぇか。」
八っつぁん:
「そのあと、雨に降られて傘も壊れた!」
熊さん:
「濡れた分だけ、風邪ひかずに済むよ。」
八っつぁん:
「……お前、ポジティブすぎるだろ。」
■ 「思いどおりにならない」は、世界のデフォルト
思い通りにならないことを“不運”と呼ぶけれど、
よく考えてみれば、
思い通りになることのほうが、むしろ“奇跡”なんです。
天気も、人の気持ちも、身体の調子も──
全部、自分の手の外にある。
それでも「思い通りにしたい」と思うのは、
心の奥にある**“我”**という執着の声。
その“我”が静まったとき、
やっと世界は“そのまま”で美しく見えてくる。
■ 熊さんのひとこと
熊さん:
「八っつぁん、思い通りにならねぇのは当たり前だよ。」
八っつぁん:
「なんで当たり前なんだ?」
熊さん:
「だって、お前の思いと世界の思いは別もんだ。」
八っつぁん:
「世界にも思いがあるのか?」
熊さん:
「あるさ。風は風の思いで吹いてるし、雨は雨の気分で降ってる。」
八っつぁん:
「じゃあオレは?」
熊さん:「お前もその中の“ひとつの天気”だ。」
■ 親鸞聖人のまなざし
親鸞聖人は、
「よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」
とおっしゃいました。
つまり、“自分の思い”で生きるより、
“いのちにまかせて生きる”ほうが楽になる。
うまくいく日もうまくいかない日も、
すべてが阿弥陀さまの光の中。
思いどおりにいかない一日も、
仏から見れば“それでいい日”なんです。
■ 「あきらめ」じゃなく「まかせる」
「あきらめる」と聞くと、負けた気がするけれど、
仏教では「明らかに見る」と書く。
つまり、思いどおりにならない現実を、
ちゃんと見て、受け入れること。
“我”がほどけたとき、
「思い通りにいかない日々」そのものが、
心をやわらかくしてくれる。
■ 今夜のひとこと
世界は、私の思い通りではない。けれど、思いのままに愛せる。
傘が壊れても、濡れた道に光が映る。
うまくいかない日も、
その中に“生かされている自分”がちゃんといる。
焦らず、抗わず、
ただ“今この瞬間”をまるごと受け取る。
それが、思いどおりにならない日々を、
しなやかに生きる智慧です。