気づけば、何もやる気が出ない日がある。
スマホを見るのも面倒。
人に会うのも気が重い。
「もういいや」とつぶやいて、
布団の中で、
ため息だけが仕事をしている。
そんな日もね、
ちゃんと生きてる証拠です。
■ 八っつぁん、やる気ゼロ
八っつぁん:
「熊さん、オレ、今日やる気がゼロだ。」
熊さん:
「そんな日もあるさ。」
八っつぁん:
「いや、マイナスだ。マイナス100。」
熊さん:
「じゃあ、無理せず充電日だな。」
八っつぁん:
「でも、動かないと
責められる気がして…」
熊さん:
「動かないことを責める奴より、
動けない自分を責めてるお前が
一番やさしいよ。」
■ 「何もできない日」も、命の一部
仏法でいう「生(しょう)」──
生きるということは、
元気なときだけじゃない。
止まっている時間、悩んでいる時間、
それもすべて「生きている時間」。
花だって、ずっと咲いてるわけじゃない。
咲く前には、
ちゃんと“沈黙の季節”がある。
動けない日というのは、
命が「根を張っている」時間なんです。
■ 熊さんのひとこと
熊さん:
「八っつぁん、火だってな、燃えてるときより、灰になってるときの方があったけぇんだ。」
八っつぁん:
「灰が?」
熊さん:
「灰はな、次の火を守ってるんだよ。」
そう、灰みたいに静かな時間が、
次に灯る“生きる火”を守ってる。
何もしてないようで、
ちゃんと“明日の自分”を育ててるんです。
考えてみると、
人生はいつ終わるかわからないのに、
私たちは“今”を見失っていませんか。
明日を変えようとしなくても、
今日ここに、
南無阿弥陀仏の光が届いている。
その事実こそが、
もう“生きる力”なんです。
■ 「動けない日」を受け入れる勇気
頑張れない日って、
実は“頑張りすぎた証拠”。
あなたが怠けてるんじゃない。
ちゃんと生きようと、
全力を出してきたから、
エネルギーが一時的に切れてるだけ。
仏さまは、
そんなあなたにこう言うでしょう。
「それでええ。少し休め。」
動かないのも修行。
沈黙もまた、いのちの声なんです。
■ 明日の力は
「今の自分」を赦すところから
明日を変えるために
何かを足そうとすると、
心はますます重くなる。
でも、「今日のままでいい」と
受け入れたとき、
ふっと軽くなる瞬間があります。
“南無阿弥陀仏”とは、
「あなたはそのままでよい」
という仏の呼び声。
明日を生きる力は、
努力じゃなく、赦しから生まれるんです。
■ 今夜のひとこと
明日を生きる力は、
今日の涙のあとに芽を出す。
動けなくても、笑えなくても、
それでもあなたの中で、
命はあたたかく息づいている。
だから今夜は、焦らずに、
そっとひと声。
なんまんだぶ。
その声が、
“生きよう”とする心の小さな灯を、
静かにもう一度、燃やしてくれます。