日曜日。
朝からなんとなく気分が晴れない。
外はいい天気なのに、身体が動かない。
掃除しなきゃ、洗濯しなきゃ、
返信もしなきゃ──
そう思うほど、ソファが沈んでいく。
そんな日、ありますよね。
■ 八っつぁんの“やる気ゼロ”デー
八っつぁん:
「熊さん、なんかやる気が出ねえ。」
熊さん:
「いいじゃねぇか。」
八っつぁん:
「いや、何もしないと
罪悪感が湧くんだよ。」
熊さん:
「罪悪感の湯気を出す日も必要だぞ。」
八っつぁん:
「湯気?」
熊さん:
「冷めきった心には、湯気がしみる。」
なんだかよくわからんが、
言いたいのは
「動けない日も悪くない」ということ。
■ “休むこと”への罪悪感
日本人って、“がんばる”が正義ですよね。
「努力は裏切らない」
「頑張ってる人は素敵だ」
たしかにそう。
けれど、頑張りすぎる人ほど
“休む罪悪感”を抱えがち。
けれど、仏教的にいえば──
休むことは、修行の一部なんです。
お釈迦さまも、四六時中
悟っていたわけじゃない。
木の下で、
ただ風を感じていた時間もあった。
だからあなたが「今日は何もできない」
と思う時、それは“怠け”じゃなくて
“呼吸”なんです。
■ 仏教でいう「空(くう)」の時間
“空”とは、何もない、ではなく、
すべてを含む時間。
行動も、思考も、評価も手放して、
ただ「在る」だけのひととき。
心がすり減るのは、
「何者かでいよう」
と頑張りすぎるから。
“誰でもない自分”に戻る時間こそ、
魂の修行のひとつです。
■ 「何もしない」をやってみる
・スマホを置く
・目を閉じる
・呼吸をひとつ聞く
・そのまま何分でも、ただ“いる”
これだけでいい。
「何かしなきゃ」
という焦りがやってきたら、
「今日は“しない日”の修行中です」
と言い聞かせてください。
仏さまは、
「お前は何を成し遂げたか」
なんて聞きません。
「よう生きておるなあ」
って、ただ笑ってくださるだけです。
■ 親鸞聖人の言葉を借りれば
「自然というは、
もとよりしからしむという
ことばなり。」
“自然”とは、
「なるようにしかならぬ」
ということ。
努力も怠惰も、すべて仏の計らいの内。
だから、休むことも“仏のまま”の
姿なんです。
無理に気分を上げなくていい。
落ちたままでいい。
その落ち着いた場所に、本当の
安らぎの種がひっそり育っています。
■ 今夜のひとこと
「何もしない」は、
心を修理する“作業”のひとつ。
焦ってる自分を笑って、
「お前も人間だな」と肩をたたく。
やがて静けさの中から、
また小さなやる気が顔を出すでしょう。
その時、静かにひと声。
なんまんだぶ。
その声が、
心の奥の湯気をそっと立ちのぼらせます。