人間って、妙に
“張り切りスイッチ”がついてますよね。
誰にも頼らず、
自分の足で立って、
荷物も自分で背負って、
弱音は人前で吐かない。
まるで、気合いで生きてりゃ
なんとかなる制度が
この世にあるみたいに。
でも本当のところ、
気合いで何とかなる日より、
気合いが空回りする日
のほうが多い
のが私たち凡夫であります。
■ 「弱いとバレたら負け」
じゃないのに
たとえば仕事場。
明らかに限界の人ほど、
「大丈夫です!
任せてください!」
って言うんです。
その姿、ちょっと前の私です。
で、帰り道のコンビニで
アイスと唐揚げクン買って
「これが今の俺の支えや…」と呟く。
……あれ、読まれました?
ありがとうございます。ええ、
そういう生活でした。
でも思うんです。
弱さを隠すって、強さやなくて
“意地”なんですよね。
■ 仏さまは“寄りかかる練習”を
させてくださる
真宗の世界は不思議です。
「強くなりなさい」じゃなくて
「強くならんでええよ、
寄りかかりなさい」
と教えてくださる。
それが、親鸞聖人のいう他力。
立派になるから救われるんじゃない。
立派になれんまま、
「もう自分じゃ
持ちきれませんわ…」
と肩を落として初めて、
抱えられる世界が開ける。
■ 落語でいうならこうです
弱い自分を隠している人は
背中に富士山背負って
「重くなんかないです!」
と言いながら崩れていく八五郎
みたいなもんです。
でも、阿弥陀さまの前では
格好つけんでよろしい。
「すんません、もうムリですわ」
と座り込んだ八五郎に
そっと布団をかけて、
「泣く日は泣いたらええ。
寄りかかりなさい」
と言ってくださる世界。
これ以上の“親切”があるでしょうか。
■ 今日のひとこと
弱さを見せる勇気より、
弱さをゆだねるあたたかさ。
頼るのは恥じゃない。
寄りかかるのは敗北じゃない。
自分の背中に、
自分ばっかり乗せなくていい。
■ 最後に一声
今日もしんどかったら
どうぞ肩の力ぬいて
なんまんだぶ
なんまんだぶ
また明日、ぼちぼち歩きましょう。