みなさん自由って好きですよね。

「在宅勤務最高」

「定年したら好きに旅する」

なんて夢を見る。

でも現実はどうか。

「近所の目が」

「親戚にどう思われるか」

「LINE既読のタイミング…」

…どこが自由やねん。

Wi-Fiより我執(がしゅう)のほうが

強い電波飛ばしてますよ。


■ いちばん厄介な牢屋は、自分

お釈迦様みたいに全部捨てて

出家できりゃいいけど、

私らは冷蔵庫の賞味期限すら

捨てられない。

ましてや“人からの評価”なんて、

真空パック保存。

だからこそ仏教はこう言うんです。

「本当の牢獄は 

 “俺が正しい” という自分」


いやほんま、たしかに。

交通渋滞で「俺は急いどるのに!」

家で「なんで私ばっかり!」

夫婦喧嘩で「向こうこそ謝れ!」

これ全部「自分が正しい」病。

もう保険適用してほしい。


■ 仏教のご利益って

 “自由”なんですって

「ご利益」と聞くと金運・健康・

合格祈願…

なんでも願い叶うアプリみたいに

思うけど、真宗は違う。

我執を超えて、

心が自由になること


ですって。つまり…

自分から自分を救う宗教


えらい高級な話でしょう。

回転寿司に来たと思ったら

懐石料理出てきたみたいな感じ。


■ “心の自由”は得られても、

 “体の制限”は残る

たとえば子どもが遠くで病気。

「すぐ飛んでいきたい!」

でも実際は、

• 仕事休めない

• チケット高い

• 体調もある

• 家の都合

そう、身体は自由じゃない。

だから仏教はこう言うんです。

身体を離れた時に、

真の自由=成仏


つまり

生きてるうちは“心の自由”

死んだとき“いのちの自由”


ダブルステージ制のご利益なんですね。

■ 即得往生?難思議往生?


難しい言葉が並ぶけど、簡単に言うとこうです。

 悟りプランは「今から開始」→

「最後に完成」


ジムの入会みたい。

契約は今日、腹筋割れるのは未来。

ただしこっちは確実に割れる

(ありがたい)。

親鸞聖人はこう言う。

臨終の一念で、

すべての縛りを脱ぐ

なんか最終回が泣ける

ドラマみたいでしょ。


■ 今日のまとめ

自由になれない理由は…

牢屋

世間体

自分で強化してる

他人の評価

気にしない訓練じゃ開かない

我執(俺が正しい)

念仏でほどける

身体の制約

臨終で手放せる


つまりこうです。

真宗のご利益=しなやかに

生きて、すっきり死ねる


最高じゃないですか。

今日も縛られつつ、縛られながら、

こう言うんです。

南無阿弥陀仏

(よっ、抜け道のプロ!)