世の中には「一生そばにいるよ」って言葉ほど信用できないものはない。
中学生の恋愛から、会社の面接、政治家の演説まで…
気づいたらみんな遠いところで元気にしてる。
でも仏さまだけはね、言い方が違う。
「誰に見放されても泣くなよ」
「誰に嫌われても
泣くんじゃないぞ」
「わしだけは無量永劫、離れん」
ここまで言われたら、もうこっちが照れますよ。しかも続くんです。
「もし救えなかったら、
わしも仏にはならん」
「お前と一緒に無量永劫、
泣き通す」
いや、重い。
重いけど…ありがたい重さ。
これが法蔵因位の本誓。
三代覚如上人はこれを聞いて、
「歓喜胸に満ち、肝に銘じた」
つまり
「もう何も言えん、
ありがとうしか言えん」
ってことですね。
■ 人間はね、
最終的に一人になる生き物
元気で仕事できるうちはいいんです。
「あの人頼りになるね〜」って言われる。
でも弱ってくると、
潮が引くように人がいなくなる。
誰も悪くない。
私だって、誰かのために
全財産投げ出すかと言われたら
**「ちょっと待って」**って言う。
そんな私に、法蔵菩薩はこうですよ。
「誰に見放されても、
わしは離れん」
「お前が地獄で泣くなら、
わしもそこへ行く」
現代なら重すぎて
アプリに通報されますが、
仏さまは純粋100%。
■ “ここ”で、命がひっくり返る
覚如上人はさらに仰る。
法蔵因位の本誓を聞くと、
前念命終・後念即生
難しそう?例えて言うとこうです。
「あぁ、親さまや…」と
腹の底から泣けた瞬間、
古い迷いの命はスッと終わる。
そして次の息で、
もう迷いたくても
迷えない身に生まれ変わる。
臨終じゃない。
来世でもない。
只今、ここでスコーン!
身体は煩悩まみれのまんま。
でも心は浄土に遊ぶ。
例えるなら
ボロ布団で寝てるのに
夢の中では高級ホテル。
(いや違うか。もっと尊い話だこれは…)
■ これぞ“念仏者の気分”
人生、辛いこと多いでしょ。
泣きたい日あるでしょ。
でもね、念仏者はこうです。
「今日も泣きながら念仏、
明日は笑って念仏」
なぜか?
「たすかるんじゃなかった。
たすけられるのだった」
自力じゃない。
準備万端、全部済んでた。
私の出番は、ただ
南無阿弥陀仏
と言うだけ。
親鸞聖人もこう受け取られた。
「ただ念仏して、
弥陀にたすけられまいらすべし」
■ 今日のしめ
世の中ね、
「去る者は追わず、
来る者は歓迎」
が人情でしょう。
でも仏さまは逆です。
去っていく者を追いかけ、
泣いて抱きしめる
だから今日も言いましょう。
「南無阿弥陀仏…ほんに、
ありがたいなぁ」
ではまた次回、お楽しみに。
南無阿弥陀仏🪷