■あらすじ:心の内に“王舎城オールスターズ”

提婆も、韋提希も、阿闍世も——

「あいつら悪人やなぁ」なんて他人ごと?


ところがどっこい、

腹立ちあれば阿闍世、

欲まみれなら提婆、

嘆きの沼なら韋提希。


ぜ〜んぶ私の胸の中に出没。

王舎城は、現代のこの胸にござんす。

■第一幕:16観?…無理!

『観無量寿経』には瞑想16段コース。


お釈迦様

「これも無理やろ。これも出来んやろ」


落語的に言うと、

「気合で精神統一したら極楽!」

……そんなジム通いみたいな悟りは無理。


で、最終着地点、ズバッ。


「無量寿仏の名を持て」→

南無阿弥陀仏


“推しの名前を抱えて生きよ”

という話でござる。

■第二幕:続編は『阿弥陀経』

『観経』で「名号をもて」と結んだが、

「どう抱えるんですか?」

誰も聞かん。


お釈迦様「え……誰も聞かへんの?しゃあないなぁ」


そこで1,250人呼んで特別講義=

『阿弥陀経』。


これ、仏教界の自発的緊急記者会見。

親鸞聖人曰く


釈尊出世の本懐の“根拠”


・大無量寿経=弥陀三昧の仏姿

・観経=機熟したとき“微笑”

・阿弥陀経=“無問自説”


三部セットで “本気だぞ” のサイン。

■第三幕:“七日”は回数券じゃない

「七日念仏すればいい」? いやいや。


“臨終まで、南無阿弥陀仏をよろこぶ人生”


七日は象徴。

つまり生き抜く姿勢の話。


そして臨終の場で

「え、来迎のポスターどこ!?」

と慌てる必要なし。


来迎待たず、臨終またず(親鸞)


平生から常来迎、

毎日が南無阿弥陀仏のハグ中。

■第四幕:仏は“舌を切ってくれてもええ”保証付き

諸仏がずら〜っと並び、舌ビヨーンと伸ばして


「念仏往生は真実ぞ。違ったら舌切ってええ」


ガンジス川砂数の仏舌。

いわば法界レベルの身元保証人。


これが“不可思議の功徳”。

■第五幕:凡夫の底に届く言葉

親鸞聖人のお味わいは一味違う。


法然「極楽で修行して仏に」

親鸞「往生即成仏でござる」


人間界でどんな日でも、

「生きなば念仏、死なば浄土」

これが“すえとおる安心”。


人生の試練?


ひと山ひと山、仏と越えていく


逃げず、隠れず、

「出て来い結果!ワシには仏がついとる」

■大団円:再会の誓い

死ぬんじゃない、


往くのだ、浄土へ。


そして還ってくる、縁ある人を迎えに。

これが還相の菩薩の道。


最後のキメ台詞。


「どこで命終えても、

よかったよかった」

「また会える世界があるから」


南無阿弥陀仏