🎭【王舎城の悲劇…という名の家庭ドラマ】
むかしむかし王舎城。
「悪人正機」の象徴と言われる親子がおりましてな。
息子:阿闍世(あじゃせ)…ブチ切れ王子
母:韋提希(いだいけ)…愚痴の女王
そそのかし役:提婆(だいば)…悪友No.1
要するに、
怒(阿闍世)+愚痴(韋提希)+欲(提婆)=家庭崩壊
……なんや、どこかの現代家庭と一緒やないかい。
阿闍世「母上がうるさい!牢に入れたる!」
韋提希「この子は誰に似たのやろ…」
提婆「ええねんええねん、やったれ!」
SNSがあれば炎上してるね、これ。
しかしこれ、単なる昔話ちゃう。
あなたの家にも住んでる三人です。
🍚【現代版・王舎城】
ある日の台所。
嫁「また米炊き忘れたやろ!」
夫(=阿闍世)「うるさいわ!俺は王やぞ!」
義母(=韋提希)「あの子は誰に似たんやろ」
友達(=提婆)「離婚した方が楽やで」
はい、現代にも王舎城の悲劇は起きてます。
でも大事なのはここから。
阿闍世、母を牢に入れたものの、
最後には号泣するわけです。
「母上…!なんで止めてくれへんかったんや!」
人って、
やらかして初めて人の痛みがわかるんですなあ。
👂【法話パート:悪人正機の正体】
親鸞聖人はここを見逃しませんでした。
阿闍世は最低です。
韋提希も愚痴だらけ。
提婆なんて最悪の友人。
でも、
この三人が助かるという話をお釈迦様は経典でわざわざ語った。
なんで?
「お前のためやぞ」
ということです。
正信偈にはこう出ます。
苦悩の有情をすてずして
「苦しみ悩む私を、仏さんは放っておけんかった」
つまり
出来た人が助かるんやない
どうにもならん私が助かるんや
この話、
品行方正な人向けちゃいます。
「怒りっぽい」
「愚痴止まらん」
「欲に弱い」
「人のせいにする」
そういう人への招待状。
阿闍世・韋提希・提婆は
私の心の中に住んどる三兄弟。
だから仏さまは言うんです。
「お前の番や。
そこまで持ち合わせのまま来い」
🛁【結び:救われるのは“持ち合わせのまま”の人】
寺に来る理由、いろいろです。
「なんとなく来た」
「怒りたくなかったのに怒った」
「人間関係ぐちゃぐちゃ」
「自分に嫌気がさした」
それでええ。
むしろ
それこそが“選ばれた側”の証拠。
阿闍世だって、
牢屋の前で泣いて初めて気づいた。
あなたもきっと今、
泣きかけのところにおる。
泣いてええ。
怒ってもええ。
愚痴ってもええ。
そのまま南無阿弥陀仏まで来なはれ。
仏さんはこう言うてます。
「よう来たな。
ほな一緒に帰ろか」