あるお寺での話。
参拝者A「阿弥陀さまって、どんな極悪人でも救うんやろ?」
参拝者B「そらそうや。“悪人正機”や」
A「せやけどワシ、母ちゃん殺してへんで」
B「(心の声)……願望はあったりして」
……怖い話してません。
心の中の“ムカつき”ですでに五逆コースというお話です。
さて、今日は**第十八願の“例外規定”**というシビれるテーマ。
落語調でいきましょ。
🍵「除く」と言われた瞬間の人間
阿弥陀さまはこう約束してます。
「十方衆生、乃至十念で助ける。
ただし、五逆と誹謗正法は除く。」
この「除く」が厄介。
まるでスーパーの貼り紙。
「全品半額(※一部除外品あり)」
見た瞬間、
「あ、絶対ワシ、それやん」
って思いません?
だって五逆罪の中身…
- 父を殺す
- 母を殺す
- 聖者を殺す
- 僧伽を壊す
- 出仏身血(仏さま泣かせる)
「やった覚えない!」
そう叫んだ瞬間、仏法界は微笑む。
「心の中、覗いてみ?」
母の介護でイラッとした日、
上司に「消えてくれ…」とつぶやいた朝、
「坊さんの説法なんか役に立つか」って思った夜……
コンプリートしてません?
そこで阿弥陀さまが言ってそうです。
「アウトー!全員五逆経験者!」
🪞ここで“地獄行き確定”になるとパニックだが…
問題はここから。
A「じゃ、ワシら終わり?」
B「たすからんのか?」
……いえ、ここが真打ち。
善導大師、こう言いました。
「過去にやった分はしゃーない
(已造業)。
でも、仏法聞いた今、
もう同じことせんようになるやろ
(未造業)。
それが救いの証拠なんや。」
つまり、
“罪をゼロにしたから”救われるんやない。
“もうその道には戻れん”心が開いたから救いなんや。
これ、粋やないですか。
🎺“光明の外縁”と“内因の名号”
しかもね、本願はシンプルですが仕組みは精巧。
- 名号が身に宿る(内因)
- 光が背中押す(外縁)
法事に行く朝、
「正直、今日は温泉行きたかった…
でもなんか行かなあかん気がした」
はい、それ
光明の外縁に引っぱられてる証拠。
仏さま、こっそりやりますねん。
🚪きょうの“オチ”
阿弥陀さまの本願、こう聞けます。
「五逆や誹謗があるうちは救われへん……
と思とるうちは、まだハナから救われてるんや。」
落語的に言えばこう。
「お客さん、
“除外対象”って気づいた時点で、
もうレジ通過してます。」
宗教は敷居高い?
いやいや、
敷居が高いと思ったその心こそ、
敷居をまたいだ印。
ぐっと来るでしょ。
🧘♂️さいご
念仏者は、
「善い心や立派さ」ではなく
“ああ、私はご迷惑なもんや”と
目が覚めた人
そこに名号が入る。
光が押す。
だから歩ける。
歩けるから、
今日はこれを読んでいる。
それが既に“救いのただ中”
南無阿弥陀仏。
そして、ようこそ。