本願寺の「かたち」を築いた人は誰か——

その名は覚如上人。

御一代で『御絵伝』を描かせ、

『御伝鈔』で親鸞聖人の生涯の意義を解き、

『報恩講』を制度として興し、全国の同行に

「七日間」の参詣を呼びかけられました。

東西両本願寺の基礎は、このお方の

宗門観と統合力のうえに立っています。

七日間である由来は『御伝鈔』に見えます。

弘長二年(1262)十一月下旬より

親鸞聖人は不例、第八日午時、

頭北面西右脇に臥して、念仏のままに大往生——

聖人の臨終七日を、私たちは毎年の七日勤修で

看病の心に偲ぶのです。

水を差し上げ、背をなでさせていただくように。

報恩講は、礼讃の催しではなく、

ご恩に対する具体の作法なのだと、

覚如上人は私たちの身体に刻んでくださいました。


『報恩講私記』の三段—

「興行」「相応」「滅後」


覚如上人は喜びを三段に整えます。

  1. 真宗興行の徳—親鸞聖人が浄土真宗をひらかれたことをまず讃嘆。
  2. 本願相応の徳—念仏一行に純粋に生き、本願のまことを言葉ではなく生涯で伝えきられた徳は、聖人に極まる。
  3. 滅後の徳—「一人居て喜ばば二人と思うべし…その一人は親鸞なり」。念仏称名のただ中に聖人は今も生きておられる。だから、報恩講に集う群生海の口々の南無阿弥陀仏が、そのまま親鸞聖人の現在です。

そして覚如上人は、

自分がこの法に遇えた稀さをこう凝縮する——

「南浮の人身の針を貫き、曠海の浪の上に、

西土の査(いかだ)に遇えり」。

人身は因縁の極致。父母の因縁に加え、

能生の縁(生まれんと願う者)が

求めて来なければ、

いかに整っても結果は生じない。

にもかかわらず、数ある教えの中から

この法脈に触れた。

これを稀といわずして、何を稀というのか。

だから聴聞を怠る理由は、どこにも無いのです。


なぜ『教行信証』か——

「報謝」と「末代の道しるべ」


親鸞聖人が52歳で起筆、

72歳で成就された『教行信証』。動機は二つ。

  • 法然上人への報謝(真の知識=「よきひと」への御恩返し)。
  • 末代の私たちへの道しるべ(誤解なき往生の立脚点を、文証で遺す)。

法然上人は、

善導大師『散善義』の一句に雷撃を受けられます。

「一心専念弥陀名号、行住坐臥、不問時節久近、念念不捨」。

万行随一(多行の中の念仏)を捨て、

専修念仏(凡夫往生の要路は念仏ひとつ)へ。

ここに元祖たりうる所以があります。

親鸞聖人はこの法然の教・行・証の骨格から、

「行中摂信」として潜む信を

あえて前面に独立させ、

教・行・信・証(+真仏土・化身土)

の六巻を編み、腹の底を明らかにされたのです。


親鸞が示す「四十八願」の

見取り図—二回向・六法・真仮


親鸞聖人は、

私たちが迷わぬよう四十八願を三つの配列で示す。

  • 二回向四願:
     往相の行=第17願(諸仏称名)、往相の信=第18願(念仏往生)、往相の証=第11願(必至滅度)、還相の回向=第22願。
     ——**往く力(行信証)と還る力(回向)**が、願の内に完備。
  • 六法五願:
     教・行=第17、信=第18、証=第11、真土=第12(光明無量)、真仏=第13(寿命無量)。
     ——阿弥陀の光寿が、往生者を同体同徳へ導く理(ことわり)。
  • 真仮八願:
     真=11/12/13/17/18/22、仮=19(至心発願)・20(至心回向)。
     ——いきなり18願の本懐には入りにくい。19→20→18と三願転入していく実際の歩幅を示す。

要にして要は、第17と第18。

念仏往生(18)は、**名号が成就(17)**しているから成立する。

名号が「私を呼び続ける呼び声」であるがゆえに、念仏は私が作る善根ではなく、

呼ばれて応える相となるのです。


いま、私ができる報恩


  • 聴聞を相続する:同じ話でも「初ごと初ごと」に聞き直す。
  • 称名を相続する:行住坐臥、時節久近を問わず、「呼ばれたら応える」。
  • 合掌を相続する:朝家の安穏、国土の平和を念頭に、一声を公(おおやけ)へ。

親鸞聖人は言われました。

「詮ずるところ、

わが身のためのみと思わず、朝家の御ため、

国民のために念仏申さば、めでたし」。

念仏は私益にとどまらず公益となる。

覚如上人が整えた報恩講は、その公的な場です。

七日間、

聖人の病床に侍す思いで本堂に坐る身体が、

本願相応の念仏を現在に実装します。


今年も、御影堂に響く一声に親鸞が生き、

法然がほほえみ、覚如が支え、

あなたの家庭に光が差す。

——南無阿弥陀仏。この六字の中に、

私たちの報恩は完結しています。