お盆前になると、お寺は戦場です。
電話は鳴る、蝉は鳴く、私も汗で鳴く。
本堂の掃除をしているだけで、もうサウナ状態。
「地獄って、きっとこんな温度なんだろうな」
と思いながら、
雑巾を絞っていたら、妻が言いました。
「住職、地獄じゃなくて“現実”です」
……はい、たしかに現実です😂
暑い日は、どうしても心までカッとなりますね。
ご門徒さんに電話しようとして、
何度も番号を間違えたり。
お供えのまんじゅうを冷蔵庫に入れ忘れたり。
(ちなみに、
次の日にはカビとともに無常を学びました)
でも、そんなときこそ思い出すんです。
お盆って、
暑さの中に“涼しさ”を見いだす行事だなって。
仏教では「煩悩の火」という言葉があります。
怒り、欲、焦り、不安――
どれも心を燃やしてしまう。
けれど阿弥陀さまの慈悲は、
その火を“消す”のではなく、
**“光に変える”**んだと教えられます。
怒っても、焦ってもいい。
ただ、その火を照らす光がある。
それが「信心」という涼風なんです。
ある年のお盆のこと。
汗だくで本堂に戻ったら、
妻がアイスコーヒーを差し出してくれました。
「ほら、“信心の一杯”」
飲んだ瞬間、じんわり冷たさが広がって、
心の火がスッと落ち着いていく。
ああ、これが阿弥陀さまのはたらき
かもしれないなと思いました。
焦りの火の中にも、
ちゃんと涼しい風が届いている。
私たちは、
つい“熱さ”の方ばかり見てしまいます。
仕事の忙しさ、人間関係のいらだち、
「こんなに頑張ってるのに」
っていう心の火。
でも、阿弥陀さまの光は、
その火の向こうから静かに届いている。
「焦らんでええよ」と。
信心とは、
「火を消すこと」じゃなく、
「光を感じること」。
怒りも焦りも、そのままの私の姿。
そこにもう、如来の呼び声がある。
夕方、境内に風が吹きました。
本堂の灯籠がゆらゆらと揺れる。
昼の熱気が少し冷めて、
あたりがようやく息をしはじめる。
そのとき、ひとりのご門徒さんが言いました。
「住職、やっぱりお盆って“涼しい”ですね」
ああ、そうか。
阿弥陀さまの光は、こうして心の風として吹くんだ。
☀️南無阿弥陀仏。
焦っても、怒っても、
その中にちゃんと“涼しさ”が届いている。
今日も汗をかきながら、
阿弥陀さまの風の中を歩いています。