1992年1月24日、「東京文化会館大ホール」(東京・上野)での、「来日公演」から。
こちらは、その「同時期」である、1991年10月に録音された音源です。
続いてこちらは、1985年9月24日、「新宿厚生年金会館」(現存せず)での、「来日公演」の模様です。
こちらは、1981年6月の録音となります。
またこちらは、2008年の「演奏家引退後」、2011年11月14日に、ロンドンで開いた、「マスタークラス」の模様で、今回の曲、「リスト ピアノソナタロ短調 S.178」を採り上げています。
「1991年10月録音盤」には、「葬送曲 S.173」(「詞的で宗教的な調べ S.173: 第7曲」)が、収録されています。
「1981年6月録音盤」には、伝説 S.175「1.小鳥に語るアッシジの聖フランシス」、「悲しみのゴンドラ 第2番 (S.200-2)」も、収録されています。
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さて...
昨年(2025年)6月17日の、ピアノの偉大な「マエストロ(巨匠)」、アルフレート(アルフレッド)・ブレンデル(1931-2025)の逝去から、早や「1年」となりました...。
「今年」は、「生誕95周年」(「1月5日」が、その「誕生日」でした...)にも当たるということで、年明け、1月4日には、「こちらの記事」もアップしています。
ブレンデルについて、「詳しく」は、「こちら」をどうぞ...。
今回は、この場をお借りしまして、やはりブレンデルの、「主要なレパートリー」のひとつでもあったフランツ・リスト(1811-86)の、その「代表作」、「ピアノソナタロ短調 S.178」(1852-53)について、少し書いてみたいと思います。
まず、参考までに、「譜面付き」の演奏を載せておくことにしましょう。
この曲を聴いて、「分かること」は、
「無骨」。「華麗なピアニズム」とは、「無縁」のようにも思える
「オクターブ奏」も多く、強弱緩急も「極端」
「音域」が広く、管弦楽的な「厚さ」もある
...等々の理由で、やはり、シューベルト(1797-1828)の影響も感じられるこの曲ですが、「単一楽章の曲」という中にも、「複数楽章の要素」が盛り込まれていたり、曲全体が、「大規模なソナタ形式」を思わせるという点では、まさに、こちらの曲、「さすらい人幻想曲 Op.15, D.760」(1822)を、思い出させます。
(1976-77年収録)
1987年から、翌88年にかけて録音された、こちらの「ピアノ曲集 1822-1828」は、まさに、「珠玉の名演奏」です。
この曲についての記事。
やはり「参考」として、リストと「同郷」の、ハンガリー出身の作曲家、ヴェイネル・レオー(1885-1960)による「管弦楽版」(1955)も載せておきましょう。
リストと言えば、「ラ・カンパネラ」(1838)や、「愛の夢(「第3番」)」(1845)といった曲を思い出される方が「ほとんど(?)」かも知れませんが(当時は、とても「モテた(笑)」ということです...)、後年(1861年)、ローマに「移住」して以降は、「宗教的」なテーマが増え、ブレンデルも、そうした曲を中心に、採り上げていました。
「エステ荘の噴水」(「巡礼の年 S163: 第3年」より)(1877)。
(1979年9月録音)
この曲は、こちらのアルバム(「リスト作品集」)に収録されています。
「悲しみのゴンドラ 第2番 (S.200-2)」(1882-85)。
(1958年録音)
伝説 S.175「1.小鳥に語るアッシジの聖フランシス」(1861-63)。
(1981年6月録音)
「葬送曲 S.173」(「詞的で宗教的な調べ S.173: 第7曲」)(1849-53)。
(1992年1月24日 東京・上野 東京文化会館大ホール)
今回のこの曲、「ピアノソナタロ短調 S.178」では、リストの大曲にしては珍しく、「標題」に当たるような言葉を、リスト自身は残してはいませんが、演奏家の間では、ゲーテ(1749-1832)の戯曲、「ファウスト」(1808/1833)と結びつけることが、「一般的」になっていたようでもあります。
また、この作品が発表された当時、まさに、「賛否両論」の嵐で、かなりの「物議」を醸した、「問題作」でもありました...。
夫、シューマン(1810-56)が、リストに献呈した、「幻想曲 ハ長調 op.17」(1839)の「返礼」として、このソナタを受け取った、妻、クララ・シューマン(1819-96)も、「明らかな不快感」を示し、自らの日記(1854年5月25日付け)に、「目的のない、ただの騒音に過ぎない」と書き記しています。
ようやく「理解」が進んだのは、何と、「20世紀」に入ってからのことだと言うことですが(1920年代)、それも、リストの「弟子」たちによって、根気よく、「弾き続けられたから」こその話です。
その結果、現代では、リストの「代表曲」として、その地位も上がり、ピアニストにとっても、「重要なレパートリーのひとつ」とまで、呼ばれるようになりました。
しかしその一方で、「超難曲」であることには違いはなく、演奏会で「弾き切る」ことは、「至難の業」であることにも、変わりはありません。
そうした「超難曲」を、「征服」してみせた、「20世紀のマエストロ(巨匠)」の演奏を、もう少し、載せておきましょう...。
「ライヴでの名演奏、名録音」の多い、スヴャトスラフ・リヒテル(1915-97)。
(1966年、イギリス、「オールドバラ音楽祭」より。リヒテルの「ライヴ録音」は、この他にも、「数種類」残されています)
今年やはり、「没後35周年」を迎えた、南米、「チリ」出身の偉大な「マエストロ」、クラウディオ・アラウ(1903-91)の、こちらは「晩年」、1985年の名演奏です。
...というわけで、「順序が逆」となってしまいましたが、「次回」は、「6月9日」がその「命日」であった、この、クラウディオ・アラウについて、少し、書いてみたいと思います。
ありがとうございました。
それではまた...。
(daniel-b=フランス専門)




