今回の記事は、こちらの記事の内容とも「関連性」があることから、その「リブログ」としています(「元の記事」も、大変「詳しく」書いていますので、ぜひ、ご参照ください)。
逝去を伝えるニュースです。
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さて...
「一時的にネタ切れ」などと、書いている場合ではありませんでした...。
「ネットニュース」は、その「情報量の多さ」から、タイミングを逃すと、「気づかないまま終わる」ことも珍しくはありません。
思えば、この方のときもそうでした...。
ジル・ド・フェラン(1967.11.11-2023.12.29)。
「記事」を書いたのは何と、それから「3ヶ月後」のことでした...(2024年3月31日付け)。
ジル・ド・フェランの場合は、直前に、「関連記事」(「インディカー」に関する話題)が出ていたので、そこから「検索」をかけて分かったのですが(それでも、「2ヶ月」近く経ってから...)、
今回は、
まさに、
何の気なしの検索から
の「発見」だったので、本当に「驚き」でした。
(「前回記事」を書いている、まさに、その「最中」のことでした...)
このように、「興味のある話題」でも、絶えず、「レーダー」を張り続けることは、非常に「難しい」ことでもあるのですが、今回ばかりは、「おい、お前、見落としてるぞ!!」と、「天」が教えてくれたのかも知れません...。
ジル・ド・フェランと、アレックス・ザナルディと言えば、先の記事でも、この「名勝負」の動画を載せていましたね...。
1996年CART第10戦「クリーヴランド(バーク・レイクフロント・エアポート)」。
(その、「終盤」の模様です)
この頃はまだ、中継を見始める「前」のことでしたが、当時、「定期便」も発着していた、「現役の空港」(現在ではもう、定期便の就航はありません)を、一時的に「封鎖」した上で、その「滑走路」と、「誘導路」を組み合わせて、「コース」としたのが、この「クリーヴランド(オハイオ)」でした。
(「分類」としては、CART名物、「ストリートコース」ということになりますが...)
そのCARTでの、アレックスの「ベストシーン」を収めた映像がこちらです(公式)。
特に、1996年最終戦(「第16戦」)、「ラグナセカ(カリフォルニア)」の最終ラップ、名物コーナー、「コークスクリュー」での、この「大逆転」の「オーバーテイク」は、「The Pass(これぞパス!)」とも、「称賛」されたのですが、「危険」でもあるため、翌年からは、「禁止」となりました。
(上掲の「公式動画」では、「6分40秒ごろ」から見ることが出来ます)
このレースで、アレックスの、「大逆転勝利」を許してしまったブライアン・ハータ(1970-)は、「追悼のコメント」を、「X」に上げています...。
Respect and love Alex. For millions you were an inspiration and a doer of the impossible. My last and best memory is of us at Daytona Rolex, I appreciate your kindness for Colton and everything you accomplished. Godspeed! pic.twitter.com/7FE4CRP8px
— Bryan Herta (@BryanHerta) May 2, 2026
こちらもやはり、ブライアン・ハータ、そして、ダリオ・フランキッティ(1973-)との、「三つ巴の戦い」を見事に制した、1998年第3戦「ロングビーチ(カリフォルニア)」、その「終盤」の模様です。
同じく、1998年第9戦「ポートランド(オレゴン)」では、「勝利の喜び」を表す、これまた「有名」な、「ドーナツ(スピン)・ターン」を、「カッコよく」行なおうと、「コース外(ランオフエリア)」に車を停めたのですが、「エンスト」を起こしてしまい、「コースマーシャル」に押してもらったという、「珍プレー」の瞬間です。
これには、チームオーナー、チップ・ガナッシ(1958-)も「バカウケ」でした(笑)。
そしてこれが、アレックスの「運命」を変えた、「CART復帰後」の、2001年第16(15)戦、「ユーロスピードウェイ(ラウジッツリンク)」(ドイツ)での、「重大事故(大クラッシュ)」の映像です。
(*大変、「衝撃的」な映像です。「スルー」されても、まったくかまいません!!)
そもそも「CART(=「チャンプカー」)」とは、いわゆる、「レーシングカート(kart)」のことではなく、「チャンピオンシップ・オート・レーシング・チームズ」の略で、「C.A.R.T.」と、区切って書くのが「正式」です。
現在では、「分裂」した「インディカー」に、「再吸収」される形で(=地位が「逆転」)、団体としては「消滅」してしまいましたが、もともと、北米大陸では、フォーミュラカーの「トップカテゴリー」...
ヨーロッパ中心の、「F1(フォーミュラ・ワン)」と並んで、「世界最高峰」のレース・シリーズでした。
(もちろん、「参戦」には、「国際A級ライセンス」と、「充分な経験/実績」が必要です)
「レーシングスピード」は、時速「約200マイル(mph)」(=「約320km/h」)から、高いときには、「約230マイル」(「約370km/h」)にも到達する世界ですから、当然、「非常に大きな危険」も伴います。
上掲の事故も、まさしく、そうした中で起きたもので、
このとき、アレックスは、
両足が「切断」され、「出血多量」により、すぐにも、生命が「危険」な状態
だったということです。
今でも、よく助かったものだと思います...。
(この事故は、翌日行なわれた、「F1イタリアグランプリ」にも、大きな「波紋」を投げかけました。
また、私自身も当時、「生中継(国際映像)」で見ていましたが、本放送時には、ここで「CM」が入っていたため、当日は結局、「事故の詳細」は、「分からず終い」でした。
あまりにも「深刻」な事故のため、「リプレイ」も、流されませんでした...)
しかしその後、アレックスは、まさに「奇跡」の回復を見せ、その姿を、再び、私たちの前に現わすことになったのです。
2003年5月11日には、事故に遭った「ラウジッツリンク」で、特別仕様のマシンに乗り、2001年当時、走れなかった、「残りの周回数」を走り切りました。
(何と、当時の、「5位」にも相当するタイムで走り抜けました!!)
こうして、アレックスは、見事、「レースの現場」に復帰します。
2005年には、「第6回ローレウス・スポーツ賞」の、「カムバック賞」を受賞しました。
「レースへの情熱」は、いささかも衰えることがなく、加えて、その「陽気」なイタリア人気質に、私の方が、「助けられた思い」でした...。
2009年、いったん、モータースポーツからは引退し、並行して取り組んでいたという、「ハンドサイクル」に、「パラリンピックを目指す」ということで、本格的に、「転向」することになりました。
2010年には、「ローママラソン」のハンドサイクリング部門で優勝し、2012年の「ロンドン・パラリンピック」では、2種目で「金メダル」、他1種目で「銀メダル」を獲得しています。
そして2016年、「リオ・パラリンピック」にて、「2大会連続の金メダル獲得」というのが、今回の記事の、「元の記事」でもあるわけですが(今回の記事は、その「リブログ」です)、本当に、「久々に聞いたうれしいニュース」が、「これ」でもあったのです。
ところがその後、「東京パラリンピック」にも、その姿を見せてくれるのかと思いきや、2020年6月19日、再び、「重大な交通事故」に遭い、「生命の危険」に晒されました。
コントロールを失ったハンドサイクルが、対向車線にはみ出し、トラックと衝突するという、その「大事故」の報せは、まさに、あの、「ラウジッツリンク」での「悪夢」を思い出させました...。
さらに、2022年7月には、自宅療養中に、「火災」にも見舞われたそうで、何とも、「数奇な運命」を感じざるを得ません...。
そうした中、2026年5月1日、「家族のもと」で、「安らか」に、息を引き取ったそうです...。
こちらは、その「葬儀」の模様です...。
その、「不屈の闘志」で、全世界に「感動」を与えた、アレックス(アレッサンドロ)・ザナルディ...。
その「生きざま」を「称賛」し、「その死」を「悼む」声は、まさに、絶えることがありません。
「ホンダエンジン」で走っていたことから、やはり、「日本とのつながりも大きかった」と言えるでしょう...。
あらためまして、謹んで、アレックス(アレッサンドロ)・ザナルディのご冥福をお祈りしたいと思います。
合掌...。
最後に、2001年当時の雑誌にて「募集」された、アレックスへの、「応援の手紙」(アメリカ・インディアナポリス宛て)の、その「返事」(2007年夏、アレックスの故郷、「イタリア」から届きました...)の文面を、こちらの記事にも、「再掲」したいと思います...。
「応援の手紙」は当時、「同時多発テロ」の「直後」(あれからもう、「25年」...)ということで、「届かないかも知れない」と、郵便局でも言われましたが、ちゃんと、届いていました...。
Dear Friend,
I will begin this mine with my apologize as it took so long to answer you.
Alongside with all the others, the letter you wrote me after the accident I had in Germany, was part of that energy that have leaded me onto a quick and surprising return to life.
Although long time has gone past, this does not mean I did not appreciate your gesture at the time. In fact, I'm really grateful for your support and I though it could had been important for you to know it.
Once more, thank you!
Alessandro
(この下に、直筆で署名あり)
親愛なる友へ、
はじめに、返事がかなり遅れてしまったことをお詫び申し上げます。
他のみなさま方同様、私がドイツで事故に遭った際、あなたの書いてくださった手紙は、エネルギーの一部となって、驚くほど早く、日常生活への復帰へと私を導いてくれました。
しかしながら、長い時間が過ぎてしまい、その言葉はもう意味を持たないでしょう。私は当時、みなさまの好意にお応えすることができなかったのです。でも実際は、あなた方のサポートに本当に感謝しているのです。それを知ることこそが、重要だったのかも知れません。
もう一度、ありがとう!
アレッサンドロ
アレックス(アレッサンドロ)・ザナルディ
(1966.10.23-2026.5.1)
(daniel-b=フランス専門)



