今回は、「最初期」に書いて、すっかり埋もれてしまった次の記事を再び採り上げ、本当に、「マジメ」に考察してみたいと思います(「元の記事」も、どうぞご覧ください)。

 

 

「オリジナル録音」です(1977年9月22日録音/同11月17日発売)。

 

 

この「生涯最後のアルバム」は、まさに「本音を爆発させたもの」だと言うことが出来、この曲などは、「その最たる例」とも、言うことが出来ると思います。

 

 

またこの曲は、ブレルの「公式録音」の中では珍しい、「外国曲のカバー」でもあります(ミュージカル「ラ・マンチャの男」を除く)。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、最新の「大全集」です。

 

こちらは、いわゆる「文庫版」の全集です。

 

 

 

以下は、「過去」の「大全集」(現在では、「コレクターズ・アイテム」です)。

 

 

 

 

 

こちらは「全歌詞集」となります(書籍)。

 

 

 

 

「ブレル財団」公式サイト

 

https://fondationbrel.be/maintenance/

 

 

 

これまでの記事

 

 

 

 

さて...

 

 

 

今年は、「フランスシャンソン界の3大巨匠のひとり」、ジャック・ブレル(1929-78)が、「生誕95周年」ということで「記念の年」に当たっており(「4月8日」が、その「誕生日」でした)、その作品を、いろいろと紹介しています。

 

 

 

しかし今回は、多分に、「タブーに挑戦」という意味合いがあり、あまり「心地の良い」記事とはならないと思いますので、その点だけ、あらかじめご了承をお願いいたします。

 

 

 

また、もしこの記事を目にされた、ベルギーの「オランダ系」の方々、ならびに、「オランダ出身」の方々には、あらかじめ、お詫びを申し上げておきたいと思います。

 

 

Geachte Belgen en Nederlanders

 

Het spijt me vreselijk.

Neemt u me niet kwalijk.

 

Dank u wel!

 

 

 

 

今回の曲、「les F... "エフ(F)"」(1977)については、実は、「最初期」である、2016年5月23日に採り上げており(今回の記事は、その「リブログ」でもあります)、その記事でも、「私見」を述べてはいますが、この曲に対する、私の「スタンス」を明確にするためにも、ここで、あらためて記事にしておきたいと思います。

 

 

 

ブレルが、「最晩年」である1977年11月17日に発表したアルバム「BREL」(通称「les Marqises "遥かなるマルケサス諸島"」/日本でのタイトル「偉大なる魂の復活」)は、1974年11月の「肺がん手術」の後に行なわれたということもあり、原則、「1日1曲」というスローペースでのレコーディングとなりましたが、その歌唱はまさに、「(人生の終わりに)本音を叩きつける」といった感じの「極めて激しい」ものとなり、「鬼気迫る絶唱」とも言い得るのですが、結果的に、これが「寿命」を縮めてしまったと言っても過言ではありません。

 

 

 

 

ところで今回の曲、「les F... "エフ(F)"」ですが、ブレルには数少ない、完全なる「カバー曲」であることはご存じでしょうか。

 

 

 

「元の記事」にも書いている通り、私自身も、「そのこと」を知ったのは、2010年代に入ってからのことになるのですが、「原曲」は、アメリカでの経歴も長い、「ブラジリアン・ジャズ」「ボサ・ノヴァ」の大家、ジョアン(ジョー)・ドナート(1934.8.17-2023.7.17)が、1970年に発表した「The Frog (=「o sapo」/「a ra」)という曲で、つまりは「カエル」のことです。

 

 

 

ジョアン(ジョー)・ドナートのアルバム、「A BAD DONATO」(1970/アメリカ録音)から、その「トップナンバー」、「The Frog」。

(一部に違いは見られても、ほぼ、「そのまんま」ですよね...)

 

 

 

 

 

 

このレコード(「アナログ盤」)についての詳細(「ディスクユニオン」さん)

 

 

 

 

もともとは、ピアニスト、セルジオ・メンデス(1941-)のために書かれた曲ということですが、その後、有名歌手であるカエターノ・ヴェローゾ(1942-)が詞を付け、「a ra」というタイトルで、あらためて発表されました。

 

 

こちらは、2014年8月20日、ジョアン(ジョー)・ドナートの「80歳」を記念して、ブラジル・リオデジャネイロにて行なわれたコンサートの模様だということですが、このように、カエターノ・ヴェローゾも「ゲスト」として「登場」し、観客を沸かせています。

 

 

 

 

...と、ブラジルでは、「穏やか」で、それでいて「陽気」な曲、「a ra」として、この曲は残って行きましたが、一方、フランス、ベルギーでは...

 

 

 

現在では、「原曲の作者」として、「CD」にも、このお二人の名前が記載されてはいるのですが、このように、「内容」としては、まったく関係はありません。

 

 

 

 

ブレルの出身国であるベルギーでは、1960年代に入ると、南部「ワロン地域(フランス語圏)」の経済が低迷した一方、北部「フランデレン地域(オランダ語圏)」の経済成長によって、その地位が「逆転」することとなりました。

 

 

そのため、「言語対立」もますます「深刻」になり、「戦争」とも呼ばれるほど、「激しさ」を増していくことになってしまいました。

 

 

ブレルの「出生地」でもある首都ブリュッセルは、「フランデレン地域(オランダ語圏)」にありながら、「フランス語話者」の方が圧倒的に多いということで、一種の「飛び地」のようにもなっていますが、実際には、「2ヶ国語併用地域」として、それに対応した表記も義務付けられている、まさに、「特別な地域」となっているのです。

 

 

 

ブレルは、母親はブリュッセルの出身ということですが、父親がフランデレン地域の生まれということで、ブレル自身も「フランドル人」を自認し、そのことに、「誇り」すら持ってもいたようです。

 

 

 

「フランドル人」であろうと、「ワロン人」であろうと、外に対しては、等しく「ベルギー人」であろうとするのが、ベルギーの「国民性」であるとも言えますが、一方で、「フランドル」とか、「フラマン」などという呼び方は、「フランス(語)的」であるということから、「フランデレン地域(オランダ語圏)」では、決して受け入れられない(=「差別的表現」である)といった「意識(感情)」もまたあるようです。

 

 

「フランドル人」を自認しながら、「フランス語の話者」であったブレルは、いくつかの曲を、「オランダ語で歌う」という試みも行なって来ましたが、先述のように、「経済的地位」が「逆転」して来たことで、今回の曲のタイトルの「原意」でもある、「les Flamingants (「フランドル文化擁護主義者/フランドル民族主義者」、または、単に「オランダ語話者」)」に対する「不満」も高まっていったのではないかと思われます。

 

 

 

それらは、すでに、「揶揄」の形で、いくつかの曲に織り込まれてもいましたが、はっきりと「明言」したことはありませんでした。

 

 

 

そう、「この曲」以前には....。

 

 

この曲、「la...la...la... "ラ・ラ・ラ"」(1966-67)では、はっきり、「merde pour les Flamingants...」と歌っており、当然、「物議」を醸しました。

(この曲は、1965年秋にも一度録音されたようですが、公式には、1966年の「アデュー・オランピア(さよなら公演)」の後に録音され、翌1967年初めに発売されました)

 

 

 

 

「オランダ語の番組」ですが、大変「興味深い」動画を見つけましたので載せておきます。

 

 

(「フランス語話者」のコメントは、もちろん「フランス語」ですが、「オランダ語字幕」が付いています)

(2021年9月28日公開ベルギー)

 

 

 

「余談」ながら、「音声の聴き取りにくい箇所」の「オランダ語字幕」を、「自動翻訳」にかけてみるという「裏技」を、ちょっと試してみました...。

 

 

それで「分かった」ところも、いくつかあります(笑)。

 

 

 

 

こちらのインタビュー動画(抜粋)では、「言語対立」など、ベルギーの「国内事情」について語っています(1971年)。

 

 

 

このインタビュー「Brel parle」(1971)は、「オランピア1966」「クノック1963」のライヴ映像とともに「商品化」されています。

 

 

Blu-rayは、日本のプレ―ヤ―でも、再生が「可能」です(「日本語字幕」もあり)。

 

 

 

 

 

そしてこちらは、今回のテーマからは若干「外れる」とは思いますが、ブレルの「次女」で、「ブレル財団」の中心的人物でもあるフランス・ブレルさん(1951-)が、財団の運営する展示館での、「新しい映像展示(上映)」について語ったものです。

(2021年9月24日公開)

 

 

 

それにしても、フランスさんのフランス語は、実に「はっきり」とした発音で、「外国人」である私たちでも、とても「聴き取りやすい」と思いますね。

 

 

 

 

 

それでは以下に、今回の曲、「les F... "エフ(F)"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

(今回は、その「内容」ゆえ、「伏字」もあります...)

 

 

 

今回の曲は、ジョアン(ジョー)・ドナートによる「原曲」が1970年の発表ということから、ブレル自身も、何らかの方法でその曲を聴いて、「知っていた」のだと思います。

 

 

原題の「les F...」とは、「putain」や「merde」といった言葉が、それぞれ、「p...」「m...」などと表記されることがあるように、多分に、「軽蔑」の意が込められています。

 

 

また、略さない「les Flamingants」といった言葉自体、「フランス語的」には、軽蔑」の意が込められているということです。

 

 

次女のフランスさんは、「もし父が当時ブリュッセルにいたなら、この曲は録音されなかったかも知れない」とも言っていたようですが...。

 

 

 

「軽快」なディスコ・ミュージックとは裏腹に、その「歌詞」はとても「辛辣」ですが、一方で、包み隠さず、「本音」を述べたとも言うことが出来ると思います。

 

 

 

「戦争の間はナチで、それ以外の時はカトリック」

 

「あんたたちはフランドルを汚した しかし、フランドルは、あんたたちを裁くのだ」

 

「出身地を聞かれ、俺はうんざりして答える」

 

 

 

などといった言葉は、まさに「本音」だと思いますし、これはまた、現在の「かの国」などにも「当てはまる」ことと言え、「名指し」という点を除けば、「もっと普遍的な内容を持つ曲」とも、言ってしまえるのではないかと思うのですが...。

 

 

 

ブレルがこの「原曲」を聴き、「詞」を書いた当時には、「アイルランドの紛争」もありましたし、先述の「la...la...la... "ラ・ラ・ラ"」が書かれた当時には、自国が関与した、「コンゴ動乱」(1960-65)もありました。

 

 

 

そんな中、「フランドル勢力の台頭」は、ブレル自身の歌、「les bougeois "ブルジョワの嘆き"」(1961-62)での現象にも似て、そのあたりが、「我慢ならなかった」のではないかと推察されます。

 

 

 

ブレルの「憂国の想い」は通じず、当時この曲は、「放送禁止」という「憂き目」にも遭って、ブレルが亡くなった際、「万歳」まで唱えられたそうですが、それが、「歴史のひとコマ」となった現在、この曲に「真剣に向き合おう」とする向きがあることもまた、「たしか」なことだと思います。

 

 

 

 

 

さて、みなさまは、どうお感じになることでしょうか...。

 

 

 

 

 

せっかくなので、「訳詞を載せるのが(極めて)難しい曲」を2曲、追加で載せておくことにしましょう。

 

 

 

しかし、これらの作品もまた、まさに、「死の直前に本音で語った曲」として、「再評価」されるべきだと思います。

 

 

 

「vieillir "老いること(おいらは流行おくれ)"」。

 

 

(まさに、「Amsterdam "アムステルダム"」の「PART2」。

 

即ち、「vieillir」は、「本人」によってのみ歌われ、「完結」し得た作品...)

 

 

 

 

「Knokke-le Zoute tango "クノック・ル・ズート・タンゴ(フェミニスト)"」。

(「内容」はともかく、その「ドラマ性」をぜひ、感じ取っていただきたい!!)

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

それではまた...。

 

 

 

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les f...  エフ(F)

 

 

les Flamingants chanson comique!!...

 

フランドル人(フランドル文化擁護主義者)たちについて、コミックな歌を!!

 

 

Messieurs les Flamingants j'ai deux mots a vous rire

il y a trop longtemps que vous me faites frire

a vous souffler dans le cul pour devenir autobus 

vous voila acrobates mais vraiment rien de plus

Nazis durant les guerres et catholiques entre elles

vous oscillez sans cesse du fusil au missel

vos regards sont lointains votre humour est exsangue

bien qu'il y ait des rues a Gand qui (*)pissent dans les deux langues

tu vois quand je pense a vous j'aime que rien ne se perde

Messieurs les Flamingants je vous emmerde

 

フランドルの紳士諸君、諸君を笑う二言三言

あんたたちが俺をコケにしたのはずいぶん昔のこと

尻に息吹きかけて、乗り合いバスになるがごとく

そう、あんたたちは、アクロバット師に過ぎない

戦争の間はナチで、それ以外の時はカトリック

あんたたちは、絶えず、銃とミサ典書の間で揺れ動いている

あんたたちの目つきは心ここにあらず、ユーモアも貧弱だ

ヘント(ゲント)には、2ヶ国語を話せる通りもあるのに(*「別の解釈」もあり)

あんたたちを思うとき、何も変わらなければと願うだけ

フランドルの紳士諸君、○○○○○!!

 

vous salissez la Flandre mais la Flandre vous juge

voyez la mer du Nord elle s'est enfuie de Bruges

cessez de me gonfler mes vieilles roubignoles

avec votre art flamand italo-espagnol

vous etes tellement tellement beaucoup trop lourds

que quand les soirs d'orage des Chinois cultives

me demandent d'ou je suis je reponds fatigue

et les larmes aux dents "Ik ben van Luxembourg"

et si aux jeunes femmes on ose un chant flamand

elles s'envolent en revant aux oiseaux rose et blanc

 

あんたたちはフランドルを汚した しかし、フランドルは、あんたたちを裁くのだ

北海を見てみろ ブリュージュから遠ざかってしまった

昔のつまらないことで、俺を困らせるのはやめにしてくれ

イタリア、スペイン風の、あんたたちの芸術とともに

あんたたちは、あまりにも、あまりにも○○過ぎる

中国文化大革命の夜のように

出身地を聞かれ、俺はうんざりして答える

涙しながら、「Ik ben van (俺が生まれたのは)ルクセンブルク」だと

若い娘たちに、フランドル(オランダ語)の歌を聴かせた(歌わせた)なら

彼女たちは舞い上がるだろう、ピンクや白の鳥を思い浮かべて

 

et je vous interdis d'esperer que jamais

a Londres sous la pluie on puisse vous croire anglais

et je vous interdis a New York ou Milan

d'eructer mes seigneurs autrement qu'en flamand

vous n'aurez pas l'air con vraiment pas con du tout

et moi je m'interdis de dire que je m'en fous

et je vous interdis d'obliger nos enfants

qui ne vous ont rien fait a aboyer flamand

et si mes freres se taisent eh bien tant pis pour elle

je chante persiste et signe je m'appelle Jacques BREL

 

それから俺は禁じる 決してそんなことはないと否定することも

雨のロンドンでは、イギリス人にも見られるのだろうが

ニューヨークでも、ミラノでも、俺が禁じる

フランドル語(オランダ語)以外でゲップをするなら

あんたたちは○○○には見えない まったくのところ、本当に

それから俺は、自分にも禁じる 「どうでもいい」と言うことを

あんたたちに禁じる 何もしていない子どもたちに

フランドル語で吠えることを強要するのは

もし、俺の兄弟たちが黙り込むなら、それはもう、仕方のないこと

俺は歌い、固執する そして署名する 俺の名はジャック・ブレル

 

(daniel-b=フランス専門)