正確な放送日までは分かりませんが、今回挙げている映像の中では、最も古いものです。

 

こちらは、1976年のテレビ番組の映像。

 

 

こちらは、1987年、「パレ・デ・コングレ」(パリ)でのライヴ映像です。

 

 

同じく、「パレ・デ・コングレ」でのライヴですが、こちらは1991年。

 

似ていますが、こちらは、1994年の「パレ・デ・コングレ」です。

(この1991年、94年あたりが、最も「充実」しているパフォーマンスだと思います)

 

 

 

そしてやはり、「パレ・デ・コングレ」にて(1997年)。

 

 

こちらもまた、「パレ・デ・コングレ」でのライヴ映像ですが、「80歳記念コンサート」(2004年)の模様です。

 

 

そして、「最後のライヴ映像」となったのが、こちら、2015年の、「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」での公演です(当時、何と「91歳」!!)

 

 

 

 

こちらは「最晩年」、2017年10月21日(当時「93歳」!!)、ミシェル・サルドゥー(1947-)「最後のショー」に、「ゲスト出演」した際の映像です。

 

アズナヴールはここで、今回の曲を、ミシェル・サルドゥーとデュエットしていますが、「緊張」している様子のサルドゥーに、「ツッコミ」を入れながら歌っているのがまた、「面白い」ですね(笑)。

 

アズナヴールは翌年、まさにこのちょうど1年後に亡くなっていますので、そうした意味でも、「大変貴重な映像」だと言うことが出来ると思います。

 

 

こちらは「オリジナル録音」です(1961年1月発売)。

 

 

「歌詞入りビデオ」もあります!!

 

 

 

 

「生誕100周年」を記念して、最新の大全集、「The Complete Work」(何と「100枚組」!!)が発売となりました。

 

簡単に手に出来る値段ではありませんけどね。今のところは...。

 

 

こちらは、前回の大全集(20枚組)ですが、2018年10月に発売され、図らずも、「追悼盤」となりました。

 

 

こちらは、手ごろな「日本盤ベスト」(2枚組)。

 

 

「ライヴ録音」としては、2015年の「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」公演が「最後」となります。

 

 

「Blu-ray」も発売されています。

 

 

 

 

これまでの記事

 

 

 

 

さて...

 

 

 

本日、5月22日は、フランスが誇る「世界的大エンターテイナー」、シャルル・アズナヴール(1924-2018)の「誕生日」ですが、今年は、「生誕100周年」という「記念の年」にも当たるため、私としても、「特別な記事」をご用意しました。

 

 

 

1924年5月22日、パリで生まれたシャルル・アズナヴールは、父がジョージア(グルジア)の生まれ、母がトルコの生まれですが、ともにアルメニア人ということで、2004年には、「アルメニア国民英雄」(同国最高の栄誉)の称号を授与され、2008年には、正式に、「アルメニア市民権(国籍)」も授与されています。

 

 

 

1946年、伝説的歌手エディット・ピアフ(1915-63)との出会いを期に、「歌手」、あるいは、「作詞・作曲家」としての腕を磨いていくことになったアズナヴールですが、1955年にはついに、オランピア劇場への「進出」も果たすことになります(ただし、当時は「前座」)。

 

 

 

当時は、その「見た目」「声」が、まだまだ「受け入れられない」時代でもありましたが、そうしたイメ―ジも「一掃」するくらいの「成功」を収めることになり、次第に、その「評価」も、高まっていくことになりました。

 

 

 

 

そして1960年12月12日、「アルハンブラ劇場」(パリ)...。

 

 

 

各界の「名士」たちが顔を揃える中、この「初めて」の劇場で、「初披露」となったのが、今回の曲、「je m'voyais deja "希望に満ちて"」(1960-61)。

 

 

 

この曲、「je m'voyais deja "希望に満ちて"」は、ある日、ブリュッセルのバ―で聴いた、「青いスーツ」を着た若い歌手、つまり、「実在の人物」をモデルに書かれた作品で、歌われているのは、アズナヴール自身のことではないということです。

 

 

 

アズナヴールはその夜、ホテルへ戻って、さっそくこの曲を書いたということですが、帰国後、イヴ・モンタン(1921-91)に勧めてみたところ、

 

 

 

「自分たちの仕事(歌手)について歌うのは何だか...」

 

 

 

と、あっさり断られてしまったということです...。

 

 

(イヴ・モンタンには、「この手のエピソード」が、ホント、「多い」ですよね...)

 

 

 

 

最初に挙げている動画の数々を見ても分かる通り、アズナヴールは、この「アルハンブラ劇場」でも、「その通り」に、この、「売れない歌手」を演じてみせました。

 

 

 

そしてその「結果」は...

 

 

 

 

観客席は「沈黙」...。

 

 

 

 

アズナヴールは、この曲が「大失敗に終わった」と思い込み、さすがに、「落胆」の色を隠せませんでした。

 

 

 

 

しかし、マネージャーに促され、とりあえずステージに戻り、あいさつだけはして、この公演を終えようとしたまさにその時...

 

 

 

 

観客は「総立ち」になり、「熱狂的」な、割れんばかりの拍手喝采にて、アズナヴールを迎えたのでした!!

 

 

 

 

 

...このように、この曲は一転して「大成功」を収めることとなり、アズナヴール自身も、その人気を、「決定的」なものにしたのです。

 

 

 

アズナヴールにとってこの曲は、単なる「初期のヒット曲」にとどまることはなく、

 

 

 

初の「国際的大ヒット曲」で、

彼を「象徴」する曲のひとつ

 

 

 

にまで、なり得たとも言えるのです!!

 

 

 

ステージでも、「最晩年」まで長く歌い続けたため、上にも挙げている通り、実に数多くの「歌唱映像」が「いま」も、「残っている」のです...。

 

 

 

(まさに、「スーパーヒット」に「共通」するエピソードでもありますよね。

 

 

「詞」の内容は、ダニエル・バラボワーヌの「le chanteur "歌手"」や、レオ・フェレの「la vie d'artiste "芸術家の人生"」を思わせますが、その「熱狂的な受け入れられ方」は、ジャック・ブレルの「Amsterdam "アムステルダム"」のエピソードを思い出させます)

 

 

 

 

 

そんな「スーパーヒット」ゆえ、「替え歌(パロディ)」も登場しました。

 

 

 

 

こちらは、2008年に書かれたという、「Copie privee(j'ai paye deja!) "私的コピー(私はもう払ってる!)"」。

 

 

フランスで「制度化」されている、「私的複製税(手数料)」を皮肉ったものですが、「日本」でも、状況としては「似たようなもの」ですよね...。

 

 

 

「歌詞」を掲載している動画もあります。

 

 

(「リンク」のため、「別ウィンドウ」が開きます)

 

 

 

 

こちらは、「(ブレルの)あの一件」でも「有名」な、スュザンヌ・ガブリエロ(1932-92)による、「je m'voyais deja en bas de l'affiche "ポスターの一番下に私の名が"」(1965)...。

(...って、何だかなあ...笑)

 

 

 

 

 

「今回の曲」は、言ってみれば「他者の人生」を、「自分のこと」のように歌った曲でしたが、アズナヴール自身の「自伝的内容」を歌った曲も、もちろんあります。

 

 

それがこちら、「Autobiographie "自叙伝"」(1980)。

 

 

 

 

最後に、これまでにも紹介している曲で、やはり「世界的大ヒット」となっている「代表作(象徴的作品)」を3曲、あらためて載せておくことにしましょう。

 

 

 

「la boheme "ラ・ボエーム"」(1965)。

 

「hier encore "帰り来ぬ青春"」(1964)。

 

「emmenez-moi "世界の果てに"」(1967)。

(「歌詞対訳」は、それぞれの記事を、ぜひ、ご参照ください)

 

 

 

 

それでは以下に、今回の曲、「je m'voyais deja "希望に満ちて"」(1960-61)の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

 

この曲は、「詞」、「曲」、ともに、アズナヴール自身の手による作品です(「編曲」は、あのポール・モーリアが手がけています)。

 

 

 

シャルル・アズナヴールは、本当に「演技派」だと思いますが、実際に、詞の内容を「理解」してから、またあらためて動画を見ていただくと、よりいっそう、「楽しめる」ことだと思います。

 

 

 

なお、「原題」は、「僕にはもう、目に見えるようだった」という意味です。

 

 

 

 

 

今年はまさに、「生誕100周年」に当たるシャルル・アズナヴール。

 

 

 

そして...

 

 

 

2016年6月15日...

 

 

 

それが、私にとって、「最初で最後の生アズナヴール体験」でもありました。

 

 

 

 

2018年9月にも「来日」を果たしていますが、その「長旅」が、「寿命を縮める」ことになったのか、帰国して間もなく、「10月1日」に逝去されています(この公演が、「生涯最後」となったようです...)。

 

 

 

「当時」は、今年、「生誕100周年記念コンサート」が、「日本」でも開かれるのではないかというくらい、まだまだ「元気な様子」であったと聞いていますが、今でも、その、「最後」となった2018年公演に足を運ぶことが出来なかったことが大変悔やまれます...。

 

 

(当時、アズナヴール自身の「骨折」による「日程変更」だったため、どうしても、都合がつきませんでした...)

 

 

 

 

 

*2016年6月、「東京公演」の際同行した、ユトリロさんも記事を上げられました!!

 

 

 

*また、「uta」様には、「リブログ」をしていただいております!!

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

それではまた...。

 

 

 

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je m'voyais deja  希望に満ちて

 

a dix-huit ans j'ai quitte ma province

bien decide a empoigner la vie

le coeur leger et le bagage mince

j'etais certain de conquerir Paris

 

18歳で、僕は田舎を去った

人生をつかみ取る決意をして

心軽く、わずかな荷物で

パリを征服するんだと、確信していた

 

chez le tailleur le plus chic j'ai fait faire

ce complet bleu qu'etait du dernier cri

les photos, les chansons

et les orchestrations

ont eu raison

de mes economies

 

一番粋なテーラーで作らせたんだ

最新流行だった、この青いス―ツを

写真、歌

オーケストラアレンジ(*「一大キャンペーン」の意も)のために

僕の貯金は

なくなってしまった

 

je m'voyais deja en haut de l'affiche

en dix fois plus gros que n'importe qui mon nom s'etalait

je m'voyais deja adule et riche

signant mes photos aux admirateurs qui se bousculaient

 

僕にはもう、目に見えるようだった ポスターの一番上に

他の誰よりも10倍も大きく、僕の名前が載っているのが

僕にはもう、目に見えるようだった ちやほやされ、リッチで

押しかけるファンたちのため、自分の写真にサインをしている自分が

 

j'etais le plus grand des grands fantaisistes

faisant un succes si fort que les gens m'acclamaient debout

je m'voyais deja cherchant dans ma liste

celle qui le soir pourrait par faveur se pendre a mon cou

 

僕は、大物中の大物ア―ティストになっていた

観客が総立ちになって喝采するほどの大成功を収めて

僕にはもう、目に見えるようだった リストの中から

夜に、僕の首に抱きつくことの出来る女の子を探している自分が

 

mes traits ont vieilli, bien sur, sous mon maquillage

mais la voix est la, le geste est precis, et j'ai du ressort

mon coeur s'est aigri un peu en prenant de l'age

mais j'ai des idees, j'connais mon metier et j'y crois encor'

 

僕の顔は老けたよ、もちろん メイクの下では

でも、声はほら、動きだって 気力だってある

歳を重ねて、気持ちは少し荒くはなったけれど

アイディアだってあるし、僕はプロだから、まだまだやれる

 

rien que sous mes pieds de sentir la scene

de voir devant moi le public assis, j'ai le coeur battant

on m'a pas aide, je n'ai pas eu d'veine

mais au fond de moi, je suis sur au moins que j'ai du talent

 

足もとにステージを感じるだけで

目の前に座っている観客を見るだけで 胸が高鳴る

誰も助けてはくれず 僕はツイてなかった

でも、心の奥では 僕には才能があるって信じているさ

 

ce(mon) complet bleu y'a trente ans que j'le porte

et mes chansons ne font rire que moi

j'cours le cachet, je fais du porte a porte

pour subsister je fais n'importe quoi

 

この(僕の)青いスーツは、着るようになってもう30年

僕の歌は、もう、自分しか楽しませない

個人教授のアルバイトに訪問販売

食いつなぐためには、なんだってやるさ

 

je n'ai connu que des succes faciles

des trains de nuit et des filles a soldats

les minables cachets, les valises a porter

les p'tits meubles et les maigres repas

 

僕の成功は安っぽいものだった

夜行列車に安い娼婦

みじめなギャラ 旅行かばん

小さな家具付きアパートに、貧しい食事

 

je m'voyais deja en photographie

au bras d'une star l'hiver dans la neige l'ete au soleil

je m'voyais deja racontant ma vie

l'air desabuse, a des debutants friands de conseils

 

僕にはもう、目に見えるようだった 写真には

冬には雪の中、夏には太陽のもとで、スターと腕を組んでいる自分が

僕にはもう、目に見えるようだった 悟りきった様子で

忠告好きな新人たちに、自分の人生を語っている自分が

 

j'ouvrais calmement les soirs de premiere

mille telegrammes de ce Tout-Paris qui nous fait si peur

et mourant de trac devant ce parterre

entre sur la scene sous les ovations et les projecteurs

 

初日のステージは落ち着いて

パリの名士たちからの電報に戦々恐々し

客席の前では死ぬほどあがり

熱烈な喝采と、スポットライトを浴びて、ステージに立つ

 

j'ai tout essaye pourtant pour sortir de l'ombre

j'ai chante l'amour, j'ai fait du comique et d'la fantaisie

si tout a rate pour moi, si je suis dans l'ombre

ce n'est pas ma faut' mais cell' du public qui n'a rien compris

 

僕は何でも試した 日陰から抜け出すために

恋を歌い、おどけてみたり、驚かせてみたり

すべてが失敗し、僕が日の目を見ないのは

僕のせいじゃなく、何も理解してくれない観客のせいなんだ

 

on ne m'a jamais accorde ma chance

d'autres ont reussi avec un peu de voix mais beaucoup d'argent

moi j'etais trop pur ou trop en avance

mais un jour viendra, je leur montrerai que j'ai du talent

 

誰も僕に、チャンスを与えてはくれなかった

他の連中は、ちょっとした声と、でも、たくさんのカネで成功した

僕はと言えば、純粋過ぎたか それとも、先を行き過ぎてたか

でもいつの日か、僕には才能があるって、見せつけてやるのさ

 

(daniel-b=フランス専門)