逝去を伝えるニュースです(3月23日「イタリア語」)。

 

日本でも、もちろん報道されています。

 

 

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さて...

 

 

世界的にその名を知られている、イタリア・ミラノ出身のピアノのマエストロ(巨匠)、マウリツィオ・ポリーニが、23日、その自宅にて、逝去されたということです。

 

 

 

今回もまた、「突然の訃報」で大変驚きました...。

 

 

 

私自身は、あまりショパン(1810-49)を聴かないので、ポリ―ニの演奏も、多く聴いているとはとても言えないのですが、彼は、1960年、18歳の時に、「第6回ショパン国際ピアノコンクール」において、審査員全員一致で「優勝」。

 

 

「審査委員長」を務めた大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)をして、

 

 

 

「今ここにいる審査員の中で、彼よりうまく弾ける者が果たしているだろうか」

 

 

 

とまで言わしめたことで、一躍、「世界的に有名」となりました。

 

 

 

しかしその後、「修業」のため、8年もの間、「国際演奏活動」から遠ざかり、名ピアニスト、ミケランジェリ(1920-95)に師事するなど、「地道に努力」した、「実力派」であるとも、言うことが出来る方だと思います。

 

 

時に、「精密機械」とも呼ばれたほどの「演奏の正確さ」は、「好みが分かれるところ」ではあったようですが、日本においても、クラシック音楽の「裾野を広げた」ことは、紛れもなく、ポリ―ニの「功績」だったとも、言えることでしょう。

 

 

 

ショパン「12の練習曲(エチュード) op.10」(1829-32)、その「全曲」をどうぞ(1972年録音)。

 

 

 

 

 

 

「親友」で「盟友」でもあった、マエストロ、クラウディオ・アバド(1933-2014)(+「ウィーン・フィル」)との、「ブラームス ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83」(1878-81)。

(1976年5月。「ウィーン・ムジーク・フェラインザール(楽友協会大ホール)」にて)

 

 

 

 

2月に亡くなられた、小澤征爾さん(1935-2024)との共演も、もちろんあります。

 

こちらは、バルトーク(1881-1945)「ピアノ協奏曲第1番」(1926)。

(1971年4月16日。「サンフランシスコ交響楽団」と)

 

 

 

 

アバドとの「共通の友人」でもあった、作曲家、ルイジ・ノーノ(1924-90)の作品、「苦悩に満ちながらも、晴朗な波 (...sofferte onde serene...)」(1976-77)。

 

 

ポリ―ニと、その妻、マリリサに捧げられた曲です。

 

こちらでは、その、ノ―ノについて話しているようです(イタリア語)。

 

 

 

 

ここからは、「シューベルト」(1797-1828)を見てみましょう...。

 

 

 

「さすらい人幻想曲 ハ長調 op.15, D.760」(1822)(1973年録音)。

 

「譜面付き」でどうぞ...。

 

 

 

 

こちらは、1985年のライヴ録音ということですが...。

 

 

「後期3大ソナタ」全曲(「第19番 ハ短調」「第20番 イ長調」「第21番 変ロ長調」)(1828)ですね。

(何と、どの曲も、「第1楽章提示部」を「反復」しての演奏です)

 

 

 

 

そしてこちらは、その「スタジオ録音」から。

 

 

やはりいずれも、「第1楽章提示部」が「反復」されていますが、次の2曲は特に、「冒頭に戻る際にのみ弾かれる部分(いわゆる「1カッコ」)がある」ことで、「大切にしている」ということがあるようです。

 

 

「第20番 イ長調 D.959」第1楽章(1983年12月録音)。

 

「第21番 変ロ長調 D.960」第1楽章(1987年6月録音)。

 

 

 

私が「唯一」持っているポリ―ニのCDが、まさに、「この録音」です。

 

 

 

シューベルトの後期ソナタを演奏して感じるのは、時間の喪失、または減衰ということです。

 

イ長調ソナタのスケルツォで表現されているのは、単なる喜びや幸せではなく、過去の幸福な時への追憶であり、メランコリックな後味を持っているのです。

 

変ロ長調のソナタは、シューベルトのソナタの中で、最も演奏が難しい曲かも知れません。

 

この曲では、すべてが、幼年時代への悲しくも甘い追憶、失われた無垢なものへの暗示に満たされているのです。

 

気取りや誇張は、このソナタでは皆無なのです。

 

 

(ブックレットに掲載されたポリーニのコメント)(要約)

 

 

 

 

(参考)アルフレッド(アルフレート)・ブレンデル(1931-)は、「展開部への突進力」を重視して、「第1楽章提示部の反復」は「省略」しています。

(1988年収録「第20番」。ほぼ同時期に、「CD録音」もしています)

 

 

 

ブレンデルによれば、「提示部の反復は、形式上書かれたものに過ぎず、シューベルト自身の性格から言っても、そのまま、展開部へと突っ走ったであろう」ということです。

 

 

 

(参考)「シューベルト(ピアノ曲)」がテ―マの記事一覧

 

 

主に、ブレンデルの演奏にて、曲を紹介しています。

 

 

 

 

こちらは、やはり晩年の名曲、「3つのピアノ曲(即興曲) D.946」(1828)(1985年6月録音)

 

 

1986年5月16日、東京・NHKホールでの演奏です(「第1番 変ホ短調」)

 

 

 

 

この時の映像は、「インタビュー」も含めた「完全版」も残されています。

 

 

「22歳以下の青少年のみ入場可」という、「特別なコンサート」でした。

 

 

 

演奏されている曲

 

 

 

ベートーヴェン(1770-1827)

 

 

「ピアノソナタ第26番 変ホ長調 op.81a "告別"」(1809-10)

 

「ピアノソナタ第24番 嬰ヘ長調 op.78 ("テレーゼ")」(1809)

 

「ピアノソナタ第23番 ヘ短調 op.57 "熱情"」(1805-06)

 

「6つのバガテル op.126」(1823-24)より「第3番 変ホ長調」

 

 

 

シューベルト(1797-1828)

 

 

「3つのピアノ曲(即興曲) D.946」(1828)より、「第1番 変ホ短調」

 

 

 

 

 

「親日家」でもあったマウリツィオ・ポリーニ。

 

 

度々「来日」していますが、こちらは、1998年頃の日本のテレビ番組の映像を中心に、再編集して、放送されたもののようです。

 

 

 

 

このところ、体調を崩されていたということですが、それでもやはり、「82歳」というのは、あまりにも「突然」で、「早い」ように思われます。

 

 

 

ポリ―ニは、奇しくも、「師」であったミケランジェリ、「ライバル」でもあったブレンデルと「同じ誕生日(1月5日)」であり、しかも、それぞれ「11歳違い」ということから、二度、「驚き」ました。

 

 

 

また、ブレンデルが、「93歳」になった現在でも「存命」であることから、やはり「早すぎる」と、本当に、そのように感じざるを得ません...。

 

 

 

 

あらためて、マウリツィオ・ポリーニのご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

 

 

合掌...。

 

 

 

 

マウリツィオ・ポリーニ(1942.1.5-2024.3.23)

 

 

 

 

(daniel-b=フランス専門)