大変「貴重」な、「懐かしい」録音です。

 

この「大きな古時計」は、1962年、NHK「みんなのうた」で放送されたものですが、立川澄登さん(たちかわすみと)(1929-85)「代表曲」にもなりました。

 

その後、1973年にも、「リメイク」された映像にて、再び放送されました。

 

 

この曲で思い出されるのは、やはり「合唱」でしょう。

 

幼少時の「思い出」もあって、私自身、特に、「児童合唱」に心を惹かれます。

 

 

もちろん、「プロ」による、「素晴らしい合唱」も聴き逃せません!!

 

 

そしてこの方!!

 

「異色の選曲」とも言われた、平井堅さん(1972-)による歌唱(2002年)。

 

 

「ジャンル」は違っても、やはり、「歌ごころ」のあるア―ティストの歌唱は違いますね...。

 

「声」も、とっても「素敵」です。

 

 

 

 

 

 

 

この曲の「原曲」は、1876年に、アメリカで発表された、「My Grandfather's Clock」という作品です。

 

 

作者(「詞」「曲」とも)、ヘンリー・クレイ・ワーク(1832-84)が、1874年、イギリスを旅行した際、宿泊したホテルで見かけた、もう動いていない、大きな「振り子時計」に興味を示し、その「来歴」を聞いたことから、この詞を書くに至ったということです。

 

この作品の発表後、「楽譜」が何と、「100万部以上」も売れたそうです。

(「字幕」の種類は、「日本語」、「英語」とも、「選ぶ」ことが可能です)

 

 

 

 

さて...

 

 

 

「卒業シーズン」(にもピッタリ)ということもあり、今回と次回は、「学校での思い出の曲」を紹介してみたいと思います。

 

 

 

しかし、「紹介」とは言っても、みなさん、すでに「ご存じ」のはずの曲ですよね。

 

 

 

私自身の「思い出の曲」であると同時に、「メランコリック」で、「ノスタルジー」をも感じさせるこの曲、「大きな古時計」は、もともとは「アメリカの曲」で、すでに「150年」近くも前の曲ということですが、「唱歌」の「偉大な古典」として、日本でも大変な人気を誇っていると言うことが出来ます。

 

 

(アニメ映画「ちびまる子ちゃん」でも、この曲を「合唱」する場面がありました。

 

その他にも、実に数多い「使用例」があります)

 

 

 

 

この曲の作者は、ヘンリー・クレイ・ワーク(1832-84)という、フォスター(1826-64)とも並び称される、19世紀アメリカの「歌曲作曲家」です。

 

 

そのワ―クが、1874年にイギリスを旅行した際、イングランド北東部にある、「ダラム」という街(映画「ハリー・ポッターシリーズ」などの「撮影地」としても「有名」)のホテルに宿泊しましたが、玄関ロビーに置かれていた、動いていない「大きな振り子時計」に興味を示し、その「来歴」を、スタッフに尋ねました。

 

 

スタッフによると、数年前までそのホテルは、ジェンキンスという兄弟が経営していたものの、弟が「病死」して以降、その時計は遅れ出し、後を追うようにして兄も亡くなると、ついに「止まってしまった」というのです!!

 

 

しかも、「止まった時に指していた時刻」というのが、ちょうど、「兄の亡くなった時刻そのもの」であり、その後、「修理」しても、二度と、「動くことはなかった」ということです。

 

 

これは「実話」であり、「オリジナル版」においても、まさに「その通り」に歌われています。

 

 

 

「日本」では、「バリトン歌手」であった立川澄登さん(たちかわすみと)(1929-85)の歌唱により、この曲は、一躍「有名」になりました。

 

 

1962年、NHK「みんなのうた」で、長門美穂歌劇団児童合唱部とともに歌った音源で、1973年には、映像のみ「リメイク」して、再度放送されましたが、これにより、私たちの世代にも、広く「浸透」したのです。

 

 

この時、「日本語詞」を書いたのが、保富康午(ほとみこうご)(1930-84)という「作詞家」で、他にも、「訳詞」を書かれた方はいますが、この保富さんの訳詞こそが、「スタンダード」として、「現在においても残っている」バ―ジョンであると、言うことが出来ると思います。

 

 

 

この曲には、ワ―ク自身が書いた「続編」や、「アンサ―ソング」、「パロディーソング」などもありますが、今回の記事の「趣旨」からは外れるため、ここでは採り上げないことにいたします。

 

 

 

 

この曲に関する、「私自身の思い出」としては、「小学校の中学年(「3年生」か「4年生」のどちらか)」の頃のことだったと思います。

 

 

校内での「発表会(合唱)」だったと思いますが、当時の「6年生」が、この曲と、次回の記事で紹介する「あの曲」を歌ったことから、「40年以上」経ったいまでも、その様子が思い出されるくらい、「心に残った」と言えるのです。

 

 

(実は当時、「6年生」に、「憧れのひと」もいました...)

 

 

 

なので「私」としては、このまま、その「次回の曲」に行きたいと思います。

 

 

 

記事の順は、若干「シャッフル」されることになりますが、その点は、どうか、ご了承をお願いいたします。

 

 

 

 

そしてもうひとつ...

 

 

 

2015年から使い始め、このブログを始める「きっかけ」ともなった「先代」のパソコン(「Windows 8.1」)が、昨年10月の初め、ついに「お亡くなり」となったことから、3日日曜日、「専門業者」への引き渡しを行ないました。

 

 

「8.1」のサポート終了後も、何とか「大事」に使ってきたそのパソコンですが、「ヒンジ」(「ノートパソコン」を折りたたむ、「蝶つがい」の部分)の損傷により、すでに、「画面が出せない」状態に陥っていました。

 

 

 

その「最後の日の朝」、再び「電源」を入れてみましたが、それこそもう、「二度」と、画面が戻って来ることはありませんでした。

 

 

 

幸い、その業者は、「デ―タ消去」を確実に行ない、部品も「リサイクル」してくれるということですが、それも、「無料」にて、引き受けてくれるというところです。

 

 

 

現在使っている(=この記事を書いている)ノートパソコンは、3年前に「予備」として、その業者から購入したものですが、「Windows 10」の「中古」とはいえ、「プロ仕様」のため、大変「助かっている」とも、言えるものです。

 

 

 

 

「人の一生」を歌っているとも言える「今回の曲」を思うとき、本当に、その「先代のパソコン」を「送る歌」にも思えて来ました。

 

 

 

「そのタイミング」で「この記事」を書いているのも、きっと何か、「深いつながり(関係)」のようなものがあるのだと思います。

 

 

 

 

そうした理由もあり、今回は、「この曲」について書いてみました。

 

 

 

 

それでは以下に、この「大きな古時計」の歌詞を、「原詞」もあわせて、載せておくことにいたしましょう。

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

それではまた...。

 

 

 

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大きな古時計

 

おおきな のっぽの ふるどけい

おじいさんの とけい

ひゃくねん いつも うごいていた

ごじまんの とけいさ

おじいさんの うまれた あさに

かってきた とけいさ

 

いまは もう うごかない その とけい

 

ひゃくねんやすまずに

チクタクチクタク

おじいさんといっしょに

チクタクチクタク

 

いまは もう うごかない その とけい

 

なんでも しってる ふるどけい

おじいさんの とけい

きれいな はなよめ やってきた

そのひも うごいてた

うれしい ことも かなしい ことも

みな しってる とけいさ

 

いまは もう うごかない その とけい

 

ひゃくねんやすまずに

チクタクチクタク

おじいさんといっしょに

チクタクチクタク

 

いまは もう うごかない その とけい

 

まよなかに ベルが なった

おじいさんの とけい

おわかれの ときが きたのを

みなに おしえたのさ

てんごくへ のぼる おじいさん

とけいとも おわかれ

 

いまは もう うごかない その とけい

 

ひゃくねんやすまずに

チクタクチクタク

おじいさんといっしょに

チクタクチクタク

 

いまは もう うごかない その とけい

 

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My Grandfather's Clock

 

My grandfather’s clock was too large for the shelf

So it stood ninety years on the floor

It was taller by half than the old man himself

Though it weighed not a penny weight more

It was bought on the morn of the day that he was born

And was always his treasure and pride

But it stopped short, never to go again

Whe the old man died

 

Ninety years with out slumbering, tick, tock, tick, tock

His life seconds numbering, tick, tock, tick, tock

it stopped short, never to go again

When the old man died

 

In watching its pendulum swing to and fro

Many hours had he spent while a boy

And in childhood and manhood the clock seemed to know

And to share both his grief and his joy

For it struck twenty-four when he entered at the door

With a blooming and beautiful bride

But it stopped short, never to go again

When the old man died

 

Ninety years with out slumbering, tick, tock, tick, tock

His life seconds numbering, tick, tock, tick, tock

it stopped short, never to go again

When the old man died

 

My grandfather said that of those he could hire

Not a servant so faithful he found

For it wasted no time, and had but one desire

At the close of each week to be wound

And it kept in its place, not a frown upon its face

And its hand never hung by its side

But it stopped short, never to go again

When the old man died

 

Ninety years with out slumbering, tick, tock, tick, tock

His life seconds numbering, tick, tock, tick, tock

it stopped short, never to go again

When the old man died

 

It rang an alarm in the dead of the night

An alarm that for years had been dumb

And we knew that his spirit was pluming for flight

That his hour of departure had come

Still the clock kept the time with a soft and muffled chime

As we silently stood by his side

But it stopped short, never to go again

When the old man died

 

Ninety years with out slumbering, tick, tock, tick, tock

His life seconds numbering, tick, tock, tick, tock

it stopped short, never to go again

When the old man died

 

(daniel-b=フランス専門)