今回の記事は、こちらの記事とも大きな関連性があることから、その「リブログ」としています(「元の記事」も、どうぞご覧ください)。

 

 

2003年に逝去した、偉大な「作・編曲家」で、「指揮者」フランソワ・ローべール(1933-2003)は、残念ながら、残された「動画」は、あまり多くはありません。

 

こちらは、1983年に行なわれたインタビューの音源で、彼自身の「肉声」を聴くことが出来る、大変「貴重」な記録と言えると思います。

(登場しているレコードのジャケット写真の多くは、もちろんジャック・ブレルのもので、他にミレイユ・マチューや、ジュリエット・グレコのものもありますが、中には、「ご本人の写真」もありましたね...)

 

 

 

「ブレル財団」公式サイト

 

https://fondationbrel.be/

 

 

 

「ジャック・ブレル」がテーマの記事一覧

 

(「今回の記事」も、「こちら」に分類しております)

 

 

 

さて...

 

 

 

今年(2023年)は、フランスで、特に数多くの「訃報」を聞くことになった「2018年」から、「5年」という「節目の年」にも当たっていたことから、「没後5周年」という記事を数多く書いても来ましたが、一方で、「没後20周年」であるこの方も、決して忘れてはいけませんね。

 

 

特に、「フランスシャンソン界の3大巨匠」であるジャック・ブレル(1929-78)を、終生支え続けた「盟友」のひとりでもある、本当に偉大な「作・編曲家」で、「指揮者」フランソワ・ローべール(1933-2003)...。

 

 

(「12月14日」がその「命日ですが、今年は、「生誕90周年」でもありました。

 

その誕生日」「1月19日」ですから、「もうすぐ」でもあります...)

 

 

 

フランソワ・ローべールは、1956年7月23日、フランス・グルノーブルの「野外ステージ」にて、ブレルと知り合ったといいます。

 

 

 

当時、「コンセルヴァトワール・ド・パリ (パリ音楽院)」に在学中ながら、1951年(18歳!!)からすでに、「伴奏者」として活動していたというフランソワ・ローべール...。

 

 

 

まさに、「運命の出会い」でした。

 

 

 

その後、ブレルの「ピアノ伴奏」、そして、「作曲」も引き受けたフランソワでしたが、「学業」のため、すべての公演に同行することは出来ませんでした。

 

 

1958年には、二人の演奏に惹かれたジェラール・ジュアネスト(1933-2018)(彼も、今年「没後5周年」でした。「元の記事」を、ぜひご覧ください。この記事は、その「リブログ」です)が、新しく、「専属ピアニスト」として「加入」することにもなったことから、以降、レコードの「編曲・指揮」に「専念」することになったのです。

 

 

(ブレルに、「ステージではもう、ギターを弾かないよう」進言したのもフランソワ・ローべールです。

 

そのことにより、ブレルの、ステージ上での「あのスタイル」が「確立」することになったのです)

 

 

 

「仕事」だけではなく、「プライベート」においても、ブレルと「親交」のあったフランソワは、1958年8月、その「三女」の誕生の際、「名付け親」ともなりました。

 

 

1959年9月に録音されたこの曲、「Isabelle "イザベル"」は、その、当時「1歳」となった「三女」、イザベルの様子が歌われたものですが、この「曲」もまた、ブレルとフランソワの「共作」となります。

 

 

この曲についての記事(「歌詞対訳」も載せています)

 

 

 

1962年、「コンセルヴァトワール・ド・パリ (パリ音楽院)」での学業も「終わり」に近づき、その「卒業」、また、「次のステージ」でもある、「パリ国立高等音楽院」へのステップアップのために、フランソワは作品を提出することになりましたが、その際、ブレルが「詞」を書いて「協力」したのが、「交響詩 ジャン・ド・ブリュージュの3つの物語」でした。

 

 

「ジャン・ド・ブリュージュ」とは、ベルギー・フランドル(「オランダ語圏」)出身の14世紀の画家で(1368年から81年まで、フランス王シャルル5世の「専属画家」として活躍)、その彼に捧げる「オマージュ」と取れる内容の詞となっています。

 

 

第1曲「la baleine "くじら"」

 

第2曲「la sirene "人魚"」

 

第3曲「l'ouragan "暴風雨"」

(「詞のないバ―ジョン」も残されています)

 

 

 

このレコ―ドは、翌1963年5月の終わりに録音され、ブリュッセルでの「市長・村長会議」の際の「記念品」として、わずか「700枚」のみ作られた「非売品」ですが、2013年(「没後10周年」/ブレルの「没後35周年」)、フランソワ・ローべール、ジャック・ブレル、いずれも「初CD化(全集)」となって、「一般公開」されました。

 

 

ブレル自身も、まさに「この曲」から、後の「Amsterdam "アムステルダム"」(1964)などの「着想」を得たようでもあり、「大きな意味を持っている」とも、言えると思います(「参考記事その1」)。

 

 

またこの曲は、何と今年(2023年=「録音」から60年)になってから、ベルギー・リエージュのコンセルヴァトワールの演奏会で、「正式」に、「世界初演」となったそうです(「参考記事その2」)。

 

 

 

参考記事その1(フランス語)

 

その2(フランス語)

 

 

 

(追加)ちなみに、その「非売品」のレコードに収録された曲として、この「il neige sur Liege "リエージュに雪が降る(雪のリエージュ)"」(ブレル自身の詞・曲による作品)があります。

 

 

この曲も、長らく「未発表」のままでしたが、ブレルの死の翌年、1979年になって、初めて「公開」となりました。

 

 

この曲について書いている記事(「歌詞対訳」も載せています)

 

 

 

フランソワ・ローべールによるブレルの曲としては、やはり、ジェラ―ル加入以前の「初期作品」が、数としては「多い」のですが、ともに「現場」にいたメンバーですから、「中期以降」にも、何曲かは、自身で(または、ブレルと「共作」で)作曲してもいます。

 

 

 

あらためて、そうした曲を見ていくことにしましょう...。

 

 

(以下の曲は、すべて、「正式な記事」をアップしております。*「j'aimais "夢多き頃"」を除く)

 

 

 

「初期」と「中期」の「狭間」にあるとも言える、1961年10月のオランピア劇場公演にて発表された曲、「la statue "私の銅像"」

 

 

 

ジェラ―ルが「動」なら、フランソワは「静」。

 

特に「木管」を際立たせる、「瞑想的」で、いかにも「フランス的な色彩感」を感じさせるアレンジが、フランソワ・ローべール曲の「特徴」でもあります。

 

「chanson sans paroles "無言歌"」(1962)。

 

 

「後期」の代表曲としては、1968年発表のこの曲、「l'Ostendaise "オスタンドの女"」が有名です。

 

 

(追加)「中期」の作品としては、極めて珍しい、ジェラ―ルとの「共作曲」、「j'aimais "夢多き頃"」(1963)。

 

 

(追加)「初期」にも、「l'ivrogne "酔っぱらい"」(1961)という「名曲」がありました...。

 

 

 

続いては、「アレンジャー(編曲者)」としてのその「腕」を...。

 

 

1972年6月の、「初期作品の再録音」では、フランソワ・ローベールの腕もまさに「熟練」の域に達し、さらに「立体的」で、「厚み」のある音作りとなっていることがよく分かります。

 

 

「la valse a mille temps "華麗なる千拍子"」(1959-72)。

 

「quand on n'a que l'amour "愛しかないとき"」(1956-72)。

 

 

(注目!!)ブレルの没後45周年を記念して、今年(2023年)10月、最晩年の名作、「Orly "悲しみのオルリー"」(1977)の「未発表バージョン」(ギター伴奏のみ)が「初公開」となりました。

(他にも残る「未発表音源」同様、正式な録音の前の「試演」だと思われますが、「ギタ―」は、ブレル自身なのか、あるいは、「Jojo "永遠なれジョジョ"」で参加している、ミシェル・ジェジナであるのかどうかは、はっきりとはしていません)

 

 

 

この音源は、「アナログレコード」にて発売されています。

 

 

 

この音源についての「ニュ―ス」(「フィガロ紙」)(フランス語)。

 

 

 

こちらが、「アレンジ後」の「同曲」です...。

 

 

そして、フランソワ・ローべールが書いた、ブレルへの「最後の曲のひとつ」がこちら、「sans exigences "要求もなしに(何気なく)"(1977-2003)でした...。

 

 

(この録音は、もともと「未完成」で、2003年、フランソワの「監修」のもと、「21世紀のデジタル技術」により、見事によみがえったものです。

 

この曲を収録した「新全集」発売の直後、フランソワは、「70歳」でこの世を去っていきました...)

 

 

 

以上の曲は、こちらの、「最新の大全集」にすべて「収録」されています(「Orly」の「未発表バ―ジョン」を除く)。

 

 

 

そして「映画音楽」...。

 

 

ブレルとの「コラボ」では、まず、バルバラ(1930-97)との「共演」となった、ブレル自身の「監督・脚本」による作品、「Franz "わが友フランツ~海辺のふたり"」(1971-72)のテ―マ曲、「Valse Franz "ヴァルス・フランツ"」があります。

 

 

翌1973年の、やはりブレル自身の「監督・脚本」による映画、「le Far West "西部"」のテ―マ曲も、大変「美しい」曲でした...。

 

実際にこの曲が使われている、「仲間との出会い」の場面です。

(ブレル自身の「主観」が強く出過ぎて、結局、興行的には「大失敗」に終わってしまいましたが...)

 

 

 

よく知られている作品としては、やはりブレル自身が曲を提供し、フランソワ・ローべールが「編曲・指揮」を担当した、1969年のアニメ映画、「タンタンの冒険:太陽の神殿」があり、その主題歌、「Ode a la nuit "夜への讃歌"」を、劇中では「ゾリノ」を演じている、「女優」で「歌手」の、リュシー・ドレーヌ(1931-2020)が歌っています。

 

 

 

もともとが「クラシック畑」の出身ということもあり、フランソワには、そのジャンルにおいても、れっきとした「作品」が残されています。

 

 

何と、2013年11月6日、「東京」での演奏だということですが、「トランペットのためのコンチェルト」(実際には「トランペット・ソナタ」)という作品で、けっこう「有名」な曲のようでもあります...。

(トランペットは、フレデリック・メラルディ氏です)

 

 

 

今年は、ブレル自身も「没後45周年」(来年2024年は「生誕95周年」)ということで、このような「記念番組」も作られました(9月9日公開。113分)。

(「ナビゲーター」は何と、「France2」の「週末の夜の顔(ニュ―スキャスター)」でもあるジャ―ナリスト、ロ―ラン・ドゥラウッス氏が務めているではありませんか!!)

 

 

「証言者」は、すでに世を去っている方が多いので、「編集」は、さぞ「大変」だったことでしょうね...。

 

 

 

それでは最後に、もうすぐ「クリスマス」ということもありますので、「大聖堂のオルガン」を用いた、こちらの曲をお聴きください。

 

 

「voici "ここに(このように)"」(1958)。

(曲は、フランソワ・ローべールとの「共作」ですが、この録音の「オケ」は、アンドレ・ポップが担当しています)

 

 

この曲の記事(「歌詞対訳」も載せています)

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

(daniel-b=フランス専門)