今回の記事も、こちらの記事にて紹介した曲と「関連性」があることから、その「リブログ」としています。

 

こちらは、1980年(1979年12月?)にスイスのテレビに出演した時の映像です。

 

(「RTS(Radio Television Suisse)」は、スイスの「フランス語圏」向け公共放送)

 

こちらは、1980年2月16日のテレビ番組の映像だということです。

 

 

そして1986年4月18日、「ゼニット・パリ」での、大変「貴重」な「ライヴ映像」です。

 

この「ゼニット・パリ1986」は、CDで発売されており、こちらが、その「公式音源」となります。

 

 

 

 

 

続いては、1983年5月、「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」にて行われた公演のライヴ録音。

 

この音源は、「大全集」にのみ収録で、「ゼニット・パリ1986」のように「分売」はされていませんが、それが「疑問」に思えるくらいの「名盤」です。

 

やはり、「ベストアルバム」的なライヴとなっています。

 

 

こちらの、「シャンゼリゼ劇場」での音源(1980年6~7月)は、ミシェル自身の、確認出来る「(単独の)ライヴ録音」としては、「最初のもの」となります。

 

この音源もやはり、「大全集」にのみ収録で、現在ではもう、「一般的」ではありません。

 

 

 

続いてこちらが「オリジナル録音」です。

 

録音は、アメリカ・ロサンゼルスで行なわれているとのことから、おそらく、「元の記事」で紹介している(この記事は、その「リブログ」です)、「la groupie du pianiste "ピアニストのグルーピー"」同様、1978年10月の録音ではないかと思われますが、そこまでの「詳細」は、明らかにされてはいません。

 

ともあれ、ともに、アルバム「Beausejour "ボーセジュール"」(1980年1月23日発売)に収録されることになり、同年5月には、「第1弾」で、「シングル」としても発売されました。

 

その結果、「シングル」だけでも、「40万枚」という「大ヒット」になったということです。

 

こちらが、そのシングルの「両A面曲」である、「la groupie du pianiste "ピアニストのグルーピー"」です(詳しくは、「元の記事」をご覧ください)。

 

 

 

 

こちらは、「最新」のベストアルバム(3枚組)です。

 

 

こちらが、いわゆる「文庫版」の全集です。

 

 

 

 

「夫」であったミシェル・ベルジェ(1947-92)の死後、自ら「病魔」と闘いながら臨んだフランス・ギャル(1947-2018)、1993年9月の、「パレ・オムニスポール・ド・パリ・ベルシー(現「アコー・アリーナ」)」での公演からの「ライヴ録音」です。

 

 

 

 

 

 

そして、ミシェル・ベルジェ、フランス・ギャルのレパートリーによって制作された、ミュージカルの「一大傑作」、「RESISTE "レジスト"」(2015年11月初演)...。

 

こちらは、実際の公演のその模様で(2016年12月)、この曲が歌われている場面です。

 

恋愛に無頓着な、クラブの「オ―ナ―」にして、二人の娘の「父親」でもあるムッシュー・ブ―ヴィエ(ローラン・エヌカン)が、自身の「無神経さ」を悔やんで、歌っているものです。

 

 

 

こちらが、オリジナルの「スタジオ録音」です。

 

 

 

 

 

 

 

ミュージカル「RESISTE」公式サイト

 

動画サイト公式チャンネル

 

 

この曲が登場する場面について書いている記事

 

 

これまでの記事(上掲のミュージカル、「RESISTE」についての記事も含みます)

 

 

 

さて...

 

 

「11月28日」は、フランスの偉大な「音楽プロデューサー」で「歌手」の、ミシェル・ベルジェ(1947-92)の「誕生日」でした。

 

 

その「悲劇的な突然死」(「心臓発作」による)のため、とかく「命日」である、「8月2日」のみが「クロ―ズアップ」される傾向にあり、また日本では、フランス・ギャル(1947-2018, 今年は、「没後5周年」にも当たっていました)の「夫」ということぐらいでしか知られていないのが「実情」ですが、そのフランス・ギャルのために、数多くの「名曲」を書いただけではなく、自身が歌った作品も、「珠玉の名曲」と言えるものばかりです。

 

 

また、ロックオペラ「スターマニア」(1979年初演)を「大成功」させた「作曲家」として、「44歳」という「短い」生涯ながら、現在でもなお、その名は輝き続けています。

 

 

 

最新の「リメイク版」、「スターマニア 2022」公式サイト(フランス語)  

 

*「2024年」の公演日程も「発表」となりました!!

 

 

(参考)「スターマニア」がテーマの記事一覧

 

(参考)「ダニエル・バラボワーヌ」がテーマの記事一覧

 

 

 

なので、「誕生日の記事」も、「積極的」に書いていきたいと思っているわけですが、やはり、「この曲」を選ばないわけにはいかなかったでしょう...。

 

 

 

「quelques mots d'amour "いくつかの愛の言葉"」(1980)。

 

 

 

今回は、この曲で行ってみたいと思います。

 

 

 

とは言え、書くこととしては、やはり「前回の繰り返し」ということになってしまうので「恐縮」ではありますが、結果として、「アルバム」でも「シングル」でも「大ヒット」を記録し、まさに、「輝かしい1980年代の幕開け」と言うに相応しい、「名曲」になったとも思います。

 

 

「スターマニア」の「大成功」を受け、ミシェル自身も、「歌手」として、より「成功」するために、今回の曲を含む、その最新アルバム、「Beausejour "ボーセジュール"」(1980)(このタイトルは、当時、ミシェルとフランスが住んでいた場所の「地名」に由来)では、「1970年代を思わせる曲は、思い切ってカットする」という方針を打ち出し、「1年」以上もかけて制作された、まさに「入魂の1枚」となったものです。

 

 

それゆえ、「3曲」もの「大ヒット曲」が生まれ、アルバム「本体」だけでも「40万枚」、「la groupie du pianiste "ピアニストのグルーピー"」とともに、「第1弾」で「シングルカット」されたこの曲、「quelques mots d'amour "いくつかの愛の言葉"」もまた、「40万枚」を売り上げるという、まさに、「大成功」の結果につながったのでした...。

 

 

 

 

このような動画も見つけました。

 

 

ミシェル・ベルジェがプロデュースした二人の女性歌手、ヴェロニク・サンソン(1949-)、そしてフランス・ギャル、その「経緯」が、分かりやすく「解説」されています(とは言っても、「フランス語」ですが...)。

 

 

 

上掲の動画でも触れられている、ヴェロニク・サンソンの「代表曲」のひとつ、「amoureuse "恋人"」(1971-72)。

 

ヴェロニク自身も話していた通り、「二人(私たち)はとてもよく似ていた」ということですが...。

 

 

 

ヴェロニクとの「突然の別れ」がきっかけとなって作られたミシェルのアルバム、通称「coeur brise (ブロークン・ハート)」(1973)の中の1曲、「attend-moi "僕を待ってて"」を聴いたフランス・ギャルは、「ともに仕事がしたい」と、ミシェルのもとへ向かいました。

 

「曲折」はありましたが、その後、この曲、「la declaration d'amour "愛の告白"」(1974-75)で、本格的な「再デビュー」となったのです...。

 

 

 

 

それでは以下に、今回の曲、「quelques mots d'amour "いくつかの愛の言葉"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

「比喩的な表現」もあったりして、訳出には、意外と「難しい」ところもありましたが、それが、「いかにもミシェル・ベルジェ流」と言える「作詞法」でしょう。

 

 

いずれにせよ、「美しい曲」でもありますので、耳には、「すんなり」と入ってくるはずだと思います。

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

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quelques mots d'amour  いくつかの愛の言葉

 

il manque quelqu'un pres de moi

je me retourne, tout le monde est la

d'ou vient ce sentiment bizarre que je suis seul

parmi tous ces amis et ces filles qui ne veulent

que quelques mots d'amour

 

僕のそばに誰かがいない

振り返ってみれば、みんながそこにいる

孤独だという、この不思議な気持ちはどこから来るのだろう

この、友だちみんな そして

愛の言葉だけを欲しがる娘たちの中で...

 

de mon village capitale

ou l'air chaud peut etre glacial

ou des millions de gens se connaissent si mal

je t'envoie comme un papillon a une etoile

quelques mots d'amour

 

地元の大きな村では

暖かい空気も、冷たく感じるかもしれない

そこでは、多くの人々が互いをよく知らない

僕は君を、ある星へと送ろう 蝶のように

いくつかの愛の言葉

 

je t'envoie mes images

je t'envoie mon decor

je t'envoie mes sourires

des jours ou je me sens plus fort

je t'envoie mes voyages

mes jours d'aeroport

je t'envoie mes plus belles victoires

sur l'ironie du sort

 

僕の思うイメ―ジを、君へ送ろう

僕の環境も

僕の微笑みも

とても強く印象に残っている日々のことも

僕の旅のことも

飛び立つ前の日々のことも

運命のいたずらに打ち勝った

僕のもっとも素晴らしい勝利のことも

 

et dans ces boites pour danser

les nuits passent, inhabitees

j'ecoute les battements de mon coeur me repeter

qu'aucune musique au monde

ne saura remplacer

quelques mots d'amour

 

そしてこのダンスクラブでは

無人のまま、幾夜も過ぎていく

僕は繰り返し、この胸の鼓動を聴いている

世界中のいかなる音楽でも

代わることは出来ないだろう

いくつかの愛の言葉

 

je t'envoie mes images

je t'envoie mon decor

je t'envoie mes sourires

des jours ou je me sens plus fort

je t'envoie mes voyages

mes jours d'aeroport

je t'envoie mes plus belles victoires

sur l'ironie du sort

 

僕の思うイメ―ジを、君へと送ろう

僕の環境も

僕の微笑みも

とても強く印象に残っている日々のことも

僕の旅のことも

飛び立つ前の日々のことも

運命のいたずらに打ち勝った

僕のもっとも素晴らしい勝利のことも

 

de mon village -(a) cent a l'heure

ou les docteurs greffent les coeurs

ou des millions de gens se connaissent si mal

je t'envoie comme un papillon a une etoile

quelques mots d'amour...

 

地元の村は 時速100キロ(大急ぎ)で

医師たちが心臓を移植するところ

そこでは、多くの人々が互いをよく知らない

僕は君を、ある星へと送ろう 蝶のように

いくつかの愛の言葉...

 

(daniel-b=フランス専門)