1979年、「初共演」にて録音した、シューマン(1810-56)の「ピアノ協奏曲」以来、ともに「巨匠(マエストロ)」として、「偉大な道のり」を歩んで来た、アルフレート(アルフレッド)・ブレンデル(1931-)と、クラウディオ・アッバード(1933-2014)。

 

「カラヤンの後任」として就任した、ベルリン・フィルの「芸術監督」(1990-2002)を退任した後、この「ルツェルン祝祭管弦楽団」を率いることになったアッバードと、ブレンデルのこの共演は「2005年」のもので、かつての共演の「イメージ」は残しつつも、さらに「深化」した音楽を聴かせてくれています。

 

 

 

「6月9日」が「命日」で、今年「生誕120周年」でもある、南米チリ出身の偉大なマエストロ、クラウディオ・アラウ(1903-91)が、その「晩年」に、サー・コリン・デイヴィス(1927-2013)とともに残した、真に「偉大」なベートーヴェンです(1987年2月録音。ドレスデン)。

 

 

こちらの音源は、「楽章」ごとに「分割」されています。

 

 

 

 

 

こちらは、マルタ・アルゲリッチ(1941-)のピアノ、そしてやはり、クラウディオ・アッバード指揮、グスタフ・マーラー室内管弦楽団による、2004年2月の「ライヴ録音」を「譜面付き」で。

 

 

「気分屋」と呼ばれることも多いアルゲリッチですが、「天才肌」のピアニストであり、このように、気分が大変乗っている時には、「超絶的な名演奏」を聴かせることから、やはり、「偉大なマエストロ」であることに違いはありません...。

 

 

 

 

 

テーマが「ベートーヴェン」のこれまでの記事。

 

 

「記念サイト」もまだあります...。

 

 

 

さて...

 

 

 

本当に「久しぶり」になってしまって申し訳ありませんが、「クラシック音楽」のジャンルから、やはり、私の「大好きな曲」について、少し書いてみたいと思います。

 

 

 

ベートーヴェン(1770-1827)の「ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37」(1796-1803)。

 

 

 

ベートーヴェンにとっては「特別」とも言える、やはり「ハ短調」で書かれた「名曲」ですが、「ピアノ協奏曲」の中では、この曲が、「唯一」の「短調」による作品です。

 

 

 

ハイドン(1732-1809)に認められたこともあって、彼を頼ってウィーンへと上ったベートーヴェンでしたが、今回の曲、「ピアノ協奏曲第3番」に「着手」した1796年当時は、すでに、「演奏家」としても、「作曲家」としても、「大きな注目」を浴びていた頃でもありました。

 

 

しかし「多忙」なため、この曲の作曲はなかなか進まず、「交響曲第1番 ハ長調 op.21」(1800)と「同時」に「発表」(1800年4月2日)するつもりが、この時点ではまだ、「第1楽章」しか出来ていなかったといいます。

 

 

1803年4月5日、「アン・デア・ウィーン劇場」にて、自らが主催する音楽会でようやく「初演」となった、この「ピアノ協奏曲第3番」(ベートーヴェン自らが「独奏ピアノ」を担当)ですが、何と、「この時点」になっても、「楽譜」の「独奏ピアノ」のパートはほとんど「空白」のままだったというので「驚き」です。

 

 

「証言」によれば、同日に発表された他の曲でも、「早朝」にはまだ譜面が完成していない状態で、「最後のリハーサル」は「苛烈」を極めました。

 

 

記譜が間に合わなかった「協奏曲」の「独奏ピアノ」のパートには、ところどころ、「記号」のような(象形)文字が書き込まれているだけで、後は、「ベートーヴェン自身の頭の中」といった様子でしたが、あろうことか、そのような状況であるにもかかわらず、「友人」でもあった、新進の指揮者、イグナーツ・フォン・ザイフリート(1776-1841)に「譜めくり」を頼んだということです。

 

 

結局、そのほとんどを「記憶で(半ば「即興」で)弾いていた」と、ザイフリートも「証言」している通りで、そのこともあってか、この「初演」の「評判」は、あまり芳しいものではありませんでした。

 

 

 

(参考記事)この「エピソード」は、「笑い話」にもなっているようですが...。

 

 

 

翌1804年7月19日、「弟子」であったフェルディナント・リース(1784-1838)の「ピアニスト・デビュー」に際しては、記譜の「完成」した楽譜が用いられ、あわせて、正式に「出版」もされたということです。

 

 

 

(参考記事)ここで、毎度おなじみ、「おやすみベートーヴェン」をどうぞ...。

 

 

 

また、次のようなCDも紹介されています。

 

 

 

(「試聴」出来ます!!)

 

 

 

「協奏曲」というジャンルでは、そのほとんどの曲で、「独奏者」のために、「カデンツァ」という、その「腕」を存分に発揮することの出来る「見せ場」が設けられています。

 

通常、「両端」の「急速楽章」の「終盤」に挿入されることがほとんどですが、特に「第1楽章」のものは、それ自体で「クライマックス」を作っていると言っても過言ではなく、どの作品でも、特に「念入り」に、「重点的」に書かれているものです。

 

作曲者が「こだわる」あまり、「カデンツァ」まで、「完全固定」で書き入れている例も「多い」ですが(シューマンなど)、演奏者の「裁量」に任せているものもあります。

 

 

この曲においても、通常は、ベートーヴェン自身が書いた「64小節」のカデンツァ(*ルドルフ大公のために、後の1809年に書かれたもの)を演奏することが「ほとんど」となっていますが、上掲のCDでは、さらに、「5つ」の「別バージョン」のカデンツァが「収録」されているということです。

 

 

大変「興味深い」ですね。

 

 

「試聴」は「可能」となっていますので、ぜひ、聴いてみてください。

 

 

 

全体的に「ほの暗い」曲想が大変印象に残り、聴きやすくて、「長さ」(約36分)もほとんど「気にならない」と思われる、この「ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37」...。

 

 

 

ベートーヴェンが、作曲に際し、最も「影響」を受けたと思われるのが、モーツァルト(1756-91)の、こちらの曲です。

 

 

「ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491」(1786)。

 

 

 

この演奏は、「伝説の大ピアニスト」、クララ・ハスキル(1895-1960)が亡くなる3週間前(1960年11月14~18日)に、イーゴリ・マルケヴィチ(1912-83, 「キーウ」出身)の指揮により、パリで録音された、大変「貴重」なものです。

 

背中に障がいのあったハスキルは、「ブリュッセル・ミディ(南)」駅の階段から「転落」するという、大変痛ましい「事故」のため、同年12月7日、「急逝」してしまいました。

 

翌12月8日には、ベルギー出身の「相棒」のヴァイオリニスト、アルテュール・グリュミオー(1921-86)とのコンサートが行なわれるはずでした...(その「彼」のもとへ向かう途中の出来事だったといいます...)。

 

 

 

 

今回の、この「ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37」はいかがだったでしょうか。

 

 

 

この曲の「次」に聴くとすれば、やはり、こちらの「第4番 ト長調 op.58」(1806)が「お薦め」です。

 

こちらも、アルフレート(アルフレッド)・ブレンデルのピアノでどうぞ(1983年9月8日。ライヴ)。

 

 

 

最後に、クラウディオ・アラウの録音(CD)の「カップリング曲」ともなっていた、「ピアノソナタ第6番 へ長調 op.10-2」(1796-98)の「名演奏」(1988年4月)をあらためてどうぞ...。

 

 

この曲の記事

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

(daniel-b=フランス専門)