こちらは「オリジナル録音」です(1958年3月25日録音/同年11月発売)。

 

 

こちらの「歌唱映像」には、1962年11月22日の、「スイスのテレビ番組にて」というデータが記されていますが、直前まで「アルジェリア戦争」(1954-1962)の「当事国」であったフランスでは、「放送禁止」という「憂き目」にも遭っていたようです...。

 

 

こちらは、「没後25周年」を記念して、この11月10日に「公開」されたばかりの「未発表音源」のひとつです。

 

この曲については、2012年に発売された「大全集」(2017年に「増補再発売」)以降、「未発表録音」であった、「ミュジコラマ(オランピア)1968」(1968年1月22日。オランピア劇場)でも歌われていたことが明らかとなりましたが、古くから、「オランピアライヴ盤」(下に挙げている映像が、その「ジャケット写真」)として発売されていた、翌1969年2月の公演でも、歌われていたことが、「一部ファンの間」だけではありますが、知られていました。

 

 

「アナログ時代」には「カット」されていたこの曲。「CD時代」になってからも、それは変わりませんでしたが、2002年(「没後5周年」)に発売された次の「3枚組CD」の「ディスク1」、「ディスク2」は、「公演初日」(1969年2月4日)の「完全版」となっており、今回のこの曲、「veuve de guerre "戦争寡婦"」(1958)も収録されています。

 

ただ、今回発表された上掲の音源は、「これ」とも、先述の「1968年1月」のものとも違いますので、やはり、「公式な録音日」である、「1969年2月5~8日」(「実際の公演日」は、「2月4~17日」)の「どれか」ということになると思います。

 

 

 

 

バルバラは、「最後のライヴ録音」となった、1993年の、パリ・シャトレ劇場での公演でも、この曲を歌っています。

 

この録音は、1993年12月10日から12日のテイクです。当初、「11月6日から12月31日」の予定であったこの公演では、「健康上の理由」(「呼吸器疾患」による)から、12月3日から9日までに6公演が「中止」となり、このライヴ録音の直後(12月13日、または14日)に入院。その後の公演は、すべてキャンセルとなりました。

 

 

翌年、バルバラは、医師の制止を振り切って、1月29日からの「全仏ツアー」を行ないましたが、3月26日のトゥール公演が「生涯最後のステージ」となってしまいました。

 

その後、「ステージからの引退」を発表。「自伝(回想録)」も執筆していましたが、1997年11月24日、本当に「突然」に、この世を後にしました...(その「自伝」は、「未完」に終わったものの、死後、出版されました)。

 

 

 

「没後25周年」の「記念」として、何と「29枚組」という、「最新の大全集」が「発売」されたことに、変わらぬその「人気」と「カリスマ性」を感じますが、ちょっと、「簡単」には手が出せないシロモノ...。

 

 

 

1993年12月、「最後のライヴ録音」のCDがこちら...。

 

 

「未完」となった「自伝(回想録)」は、「日本語訳」も出版されています。

 

 

これまでの記事

 

 

(参考)こちらは、私が「参考」としている「ファンサイト」です。

http://www.passion-barbara.net/

 

 

 

さて、「11月24日」は、フランスを代表する「偉大な女性歌手」、バルバラ(1930-97, 本名モニック・セール)の「命日」となります。

 

 

そして、「今年」は何と、「没後25周年」にもなるということで、「時の流れ」を、あらためて感じてしまうことも確かなのですが、その、バルバラが残した「珠玉の名曲」の数々は、「現在」になってもなお、色褪せることはありません...。

 

 

 

今年(2022年)は、2月に始まった「かの国の暴挙」により、何と言えばよいのか...

 

 

バルバラたちが「実際に経験」したであろう「悲劇」が、この「現代(21世紀)」に、「繰り返される」ことにもなってしまいました...!!

 

 

バルバラは、その「(最愛の)母親」が、「ウクライナ・オデーサ」の出身であるだけに、よりいっそう、その思いを「強く」感じます...。

 

 

 

今回もやはり、歌ってしまえば、わずか「1分40秒」程度という、「速くて短い曲」ながら、その「悲劇」を、「端的」に表現した名作、「veuve de guerre "戦争寡婦"」(1958)という曲を、紹介してみたいと思います。

 

 

バルバラには、本当に、「同様のテーマ」を歌った名作が数多くあって、それらの「すべて」を、「同時」に載せることは、本当に「難しい」と思います...(「不可能」ではありませんが、「記事の主旨」がまったく「変わって」しまいます...)。

 

 

これまでに紹介している曲の中から、少し拾ってみますと、

 

 

「Madame "マダム"」(1966-67)。

 

この曲が「発表」された、1966年12月、「ボビノ劇場」でのライヴ録音からです。

 

 

「perlimpinpin "ペルランパンパン"」(1972)。

 

1981年11月、当時、「ラ・ヴィレット公園」内にあった、「ジャン・リシャール・サーカス」の常設大テント劇場、「イポドローム・ド・パンタン」での公演の映像です(その後の「再開発」により、現在では、「ゼニット・パリ」がこの地にあります)。

 

 

「le soleil noir "黒い太陽"」(1968)。

 

1978年2月、オランピア劇場公演のライヴ録音からです。

 

 

同じく、1978年2月のオランピア劇場公演から。

 

「le mal de vivre "生きる苦しみ(孤独のスケッチ)"」(1964-65)。

 

 

 

そしてこちらの曲は、一聴すると、「タブー」とも思われる内容ではありますが、その「死生観」を「明らか」にしたとも言える、「初期」の名作、「a mourir pour mourir "死にあこがれて(死ぬために死ぬのなら)"」(1964)。

 

1987年9月、パリ・シャトレ劇場公演からの映像です。

 

 

死ぬために死ぬのなら、私は、汚れのないときを選ぶ

行くために行くのなら、私は、待っていたくはない...

 

そこでは、機関銃も火を噴かない

誰も傷つかない

あなたがたの戦場とは違う戦い...

 

 

 

さて、今回発売となった「最新の大全集」では、「未発表テイク」(「NGテイク」)が数多く収録されているようです。

 

 

私自身「未購入」のため、現時点では、はっきりしたことは言えませんが、たとえば「この曲」(正式に紹介済み)...。

 

 

「l'amour magicien "魔法の恋(恋の魔術師)"」(1975-80)。

 

この表記によると、「1981年の別バージョン」とのことですが、「声の調子」は、「同時期の録音」と比べるまでもなく「良く」、もしかすると、1975年1月のボビノ劇場公演の後、(「出来」に満足せず、)自ら「発売中止」とした、「1978年9月発売予定」だった「ミニアルバム」のための音源なのかも知れません...。

 

こちらの「Fragson "フラグソン"」(1975-80)は、1980年の、その「正式な録音」中に、「ボツ」になったバージョンとの可能性も考えられます。

 

 

 

また、今回紹介の曲、「veuve de guerre "戦争寡婦"」(1958)と、「同時期の作品」ということで、以下の名曲をあらためて紹介しておきましょう...。

 

 

「d'elle a lui "彼女から彼へ"」(1903-58)。

 

もともとは、「ベル・エポック期」(「19世紀末」から、「第一次世界大戦」勃発までの「約25年間」)に、アンナ・ティボー(1867-1948)という歌手が発表した作品です。

 

 

「近く結婚するから俺を忘れてくれ」という手紙を受け取った女性が、その「返事」の形として歌う曲です。

 

 

 

この曲のみ、まだ「正式」には紹介出来てはいません(「訳詞」が載せられない可能性があるため)。

 

「les boutons dores "金色のボタン"」(1959)。

 

 

「親子で幸せな生活」を夢みる「孤児院の少女」は、その「空想」をふくらませますが...。

 

 

「とても悲しい曲」のひとつです。

 

 

 

この曲も、「正式」には、まだ紹介出来ていなかったか...。

 

「最初期のバルバラ」を支え続けた、「エクリューズ座」の共同経営者の1人、アンドレ・シュレッセールの名曲で、「souvenance "帰って来て...想い出よ"」(1959)。

 

 

大変「美しい」、そして、「ロマンティック」な作品です...。

 

 

 

そして、やはり大変「美しい」、しかし、大変「悲しい」曲でもあります。

 

「le cri des sirenes(les sirenes) "レ・シレーヌ"」(1959)...。

 

 

(「正式な記事」として書いているものは、「これまでの記事」から、「タイトル」にて、検索が可能です)

 

 

 

それでは以下に、「veuve de guerre "戦争寡婦"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

載せている動画でも、バルバラ自身が「紹介」している通り、この作品の「詞」は、「俳優」のマルセル・キュヴリエ(1924-2015)が書き(かつては、「その事実」は、明らかにはされていませんでした)、「曲」は、エドガー・ビショフ(1912-95)が書いています。

 

 

かつての日本では、「戦争未亡人」という訳語が用いられていましたが、「現代」では、もはや「相応しくない」とも考えられるため、「寡婦」という言葉に差し替えています。

 

 

また、歌詞の「日本語訳」も、「日本盤レコード」(EOS-40184 東芝EMI)に記載の、早川清至氏の「名訳」がありますので、基本的に、その「訳詞」をお借りしていますが、一部、「古い表現」は、なるべく、「現代的な表現」となるよう、手を加えたところもあります。

 

 

この詞に「何」を感じられるかは「人それぞれ」かと思いますが、「この1年近くで見て来たこと」からすれば、いままた、まさに、「現実感」をもって受け止められることだろうとも思います。

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

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veuve de guerre  戦争寡婦

 

mon mari est mort a la guerre

je venais d'avoir dix-huit ans

je fus a lui seul tout entiere

de son vivant

mais le jour de la fete

on me conta fleurette

peut-etre qu'on aurait pas pu

si je n'avais pas tant bu

comme j'etais couchee sur le ciment

on a pu facilement devenir mon amant

 

私の夫は戦争で死にました

私は18になったばかりでした

私は、彼だけにすべてを捧げました

彼の生きている間は

でも祭りの日に

私は口説かれました

たぶん、私がそれほど酔っていなかったら

そうはならなかったでしょう

そのあたりに横になっていたので

誰でも簡単に

私の恋人になることが出来ました

 

si ca devait arriver

c'est que ca devait arriver

tout dans la vie arrive a son heure

il faut bien qu'on vive 

il faut bien qu'on boive

il faut bien qu'on aime

il faut bien qu'on meure

 

起きるべきことは

起きるべきこととして

人生しかるべき時に起きる

(人は)生きなくてはならない

飲まなくてはならない

愛さなくてはならない

死ななくてはならない

 

mon amant est mort a la guerre

je venais d'avoir dix-neuf ans

je fus a lui seul tout entiere

de son vivant

mais quand j'ai appris ca

je ne sais ce qui se passa

je ne sais quelle folie

je ne sais quelle furie

en un jour je pris trois amants

et puis encore autant

dans le meme laps de temps

 

私の恋人は戦争で死にました

私は19になったばかりでした

私は、彼だけにすべてを捧げました

彼の生きている間は

でも私がそれをきいたとき

何が起きたのか分かりませんでした

何とバカげたこと

何と激しいこと

私は、1日に3人の恋人を得て

さらにまた1日で

同じ数の恋人を得たのです

 

si ca devait arriver

c'est que ca devait arriver

tout dans la vie arrive a son heure

il faut bien qu'on vive 

il faut bien qu'on boive

il faut bien qu'on aime

il faut bien qu'on meure

 

起きるべきことは

起きるべきこととして

人生しかるべき時に起きる

(人は)生きなくてはならない

飲まなくてはならない

愛さなくてはならない

死ななくてはならない

 

tous les six sont morts a la guerre

a la guerre que font mes amants

bientot chez nous y aura plus guere

d'hommes vivants

mais quand un seul restera

j'epouserai celui-la

on sera enfin tranquille

jusqu'au jour ou nos filles

en seront aussi au moment

de prendre des amants

comme leur pauvre maman

 

6人とも死にました

6人が起こした争いで

そのうちにきっと

生きた男はいなくなることでしょう

たった1人だけ残ったら

私は、その男と結婚しましょう

それでどうにか落ち着けることでしょうから

私たちの娘が

いつか、恋人を得ることが出来る

その日まで

哀れな母親として

 

si ca doit arriver

c'est que ca doit arriver

tout dans la vie arrive a son heure

il faut bien qu'on vive

il faut bien qu'on boive 

il faut bien qu'on aime

il faut bien qu'on meure

 

起きるべきことは

起きるべきこととして

人生しかるべき時に起きる

(人は)生きなくてはならない

飲まなくてはならない

愛さなくてはならない

死ななくてはならない

 

il faut bien qu'on vive

il faut bien qu'on boive 

il faut bien qu'on aime

il faut bien qu'on meure

 

(人は)生きなくてはならない

飲まなくてはならない

愛さなくてはならない

死ななくてはならない

 

(daniel-b=フランス専門)