私の頭の中に、「絶えず流れている曲」というのが、この「楽興の時第4番 嬰ハ短調 op.94, D.780-4」(1824年頃)です。
「この曲」、「この録音」(1988年録音)に、「何を感じる」かは「人それぞれ」かと思いますが、私には、「抑えきれない情熱」と、それに相対する、「(穏やかながらも)諦観」のようなものが、「対比的」に描かれているように感じられます。
全体的に、「メランコリックで暗い」曲ですが、そのような、「なかなか晴れない気分」が、こちらの「冬の天候」と見事なくらい「リンク」しているようにも感じられ、私とも、「波長が合い過ぎる」とさえ思います。
上掲の、アルフレート(アルフレッド)・ブレンデル(1931-)の「弟子」でもあるポール・ルイス(1972-)は、その「ピア二ズム」を「継承」するひとりとして、「その音楽」を「現代」に伝えてくれています。
こちらの「楽興の時第2番 変イ長調 op.94, D.780-2」(1824~27年頃)もまた、「同じような気分」の曲ですが、冒頭の部分は、「ピアノソナタ 第18番 ト長調 op.78, D.894 "幻想"」(1826)「第1楽章」の「開始部分」をも思わせます。
そして、同じ「変イ長調」である、「4つの即興曲 op.142, D.935」の「第2番」をも思わせることから、やはり「同じ年」である、「1827年」の作品である可能性も充分に「ある」と思います(その「即興曲 D.935」の記事では、「最晩年のシューベルトに共通した曲想である」とも書きました)。
形式的には、シンプルな「ロンド」ですが、その「挿入句」が、2度目に入る「後半」では、「悲劇的」なまでの「感情の高ぶり」を感じます。
「いったい、"楽しい音楽" などというものがあるのだろうか。私は、ひとつも知らない」
という、シューベルト自身の「痛ましい」までの言葉を、「そのまま表したような曲」だと私は思います...。
そしてその「ロンド」が、さらに「大規模」な形に「発展」した曲のひとつが、「最晩年の作品」でもある、この「3つのピアノ曲(即興曲) 第2番 変ホ長調 D.946-2」(1828)...。
「歌曲風」の主題(オペラ「フィエラブラス D.796」からの「引用」とも)や、展開のその「劇的さ」は、この後に書かれた「後期3大ソナタ」の1つ、「第20番 イ長調 D.959」の最終楽章(後述)にも匹敵するほどで、大変内容の濃い、充実した1曲となっています。
後半の「第2エピソード」は、「人生のはかなさ」をも思わせるような、「悲しいメロディ」が続きます。シューベルト自身も、演奏者も、この部分に重きを置いているのか、この部分が、「この曲全体の雰囲気」を支配しているかのような感じさえ受けます。いずれにせよ、とても「デリケート」なパートでもあり、シューベルトが意図したように表現するには、かなりの「技量」が要求されることでしょう。
ポール・ルイス(1972-)の演奏も、あわせて載せておきましょう...。
(なお、この大変「印象的」な「歌曲風主題」は、フランス、ミッテラン政権の「ブレーン」でもあったジャック・アタリ氏が「フランス語詞」を書き、バルバラが歌った曲、「Coline "コリーヌ"」の「原曲」としても知られています)
そしてその「後期3大ソナタ」の1つ、「第20番 イ長調 D.959」(1828)...。
この曲は、同じ「イ長調」で書かれた佳曲、「ピアノソナタ第13番 op.120, D.664」(1819)と区別して、「大きなイ長調」とも呼ばれています。
その「両端楽章」、「第1楽章」と、「第4楽章」をどうぞ...。
この曲は、シューベルトのピアノ作品の中でも、「最も感情の浮き沈みの激しい作品」の1つに数えられると思います。
「明るく、華やかな曲」とも言われていますが、私の印象では、「暗い」、「短調」の部分が、「全体の気分」を「支配」していて、とてもそうには思えません。
この両端楽章の「穏やかな」主題は、「展開部」に入ると、たちまちにして表情が一変。「嵐」のような「激しさ」に姿を変え、「突然」の、その思わぬ「悲劇性」に驚かされることになります。
(第2楽章の「中間部」も、もはや、「カオスの極み」とも言えるような「激しさ」を感じます)
曲全体の「演奏映像」もあります(この動画の「撮影時期」は、上掲の音源とも、ほぼ「同時期」のものです)。
「感情の浮き沈みが激しい」ということでは、こちらの「ピアノソナタ 第18番 ト長調 op.78, D.894 "幻想"」(1826)の、特にこの「第2楽章」も、まったく負けてはいません...。
とても「穏やか」で、「美しい」、「軽やか」ですらある「主題」で始まりますが...。
「静寂を打ち破る」ような、「突然の強奏」が、解説者も評した、「美しい夢と過酷な現実」という、まさに、「2つに引き裂かれた世界」を感じることが出来るところだとも思いますが、それは同様に、歌曲集「冬の旅 op.89, D.911」(1827)の第11曲、「春の夢」などにも聴くことが出来るものです。
いずれにせよ、初めて聴く方は「驚かれる」かも知れません。
そして、結局「未完成」に終わってしまった、「ピアノソナタ第15番 ハ長調 D.840」(1825)...。
その「完成」された「最初の2つの楽章」は、とても「高いレベル」に位置していますが、そのことが、「後半2つの楽章」で「思わぬ重荷」となり、「筆が止まってしまった」最大の「原因」ともなったのでしょう。
先の「幻想ソナタ」と同様、こちらのこの「第2楽章」においても、「悲劇的」な表情を見せているシューベルト...。
その「重厚」とも言える「展開」に、続く「後半の2楽章」は、うまく、その「アイディア」をつなげることが出来なかったのではないかと思います(「迷った跡」も、多く見られます....)。
その結果、「長大」になり過ぎてしまった「フィナーレ」はもう、当時のシューベルトの手には負えずに、筆を続けることを「断念」してしまったのでしょう...。
その「正しい答え(の一例)」とも言えるのが、その「1ヶ月後」に完成された、「双子の兄弟」である、「ピアノソナタ第16番 イ短調 op.42, D.845」(1825)の、この「第4楽章(フィナーレ)」...。
そして、「急速で長大なフィナーレ」ということで出た「答え」は、この、「最晩年」の「後期3大ソナタ」のひとつ、「ピアノソナタ第19番 ハ短調 D.958」(1828)の、この「第4楽章(フィナーレ)」ということになるでしょう...。
この「ハ短調ソナタ」は、前年に亡くなったベートーヴェン(1770-1827)の「後を継ぐ」べく、「並々ならぬ情熱」を注いだ跡が、まざまざと感じられる「大作」です。
第1楽章の「第1主題」も、ベートーヴェンが、自身の「創作主題による32の変奏曲 ハ短調 Wo0.80」(1806)に使ったものを借りながらも、「独自の展開」により、さらに「ダイナミック」な楽曲へと「変貌」を遂げることに「成功」しています。
上に聴く「フィナーレ」は、やはり「弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 D.810 "死と乙女"」(1824-26)の「フィナーレ」でも用いられた、「タランテラ」(イタリア・ナポリ発祥の舞曲)によって書かれている楽章ですが、歌曲「魔王 op.1, D.328」(1815)を思わせる、「スリリング」で、「不吉」な曲でもあり、常に、「心理的不安」を感じながら聴き続けることになると思います(まるで、「闇夜の孤独なマラソン」のよう...)。
「大傑作」が立て続けに「誕生」したことで、特に、「最後の7年間」とも呼ばれている、1822年から1828年...。
その「最初の頃」に書かれているこの「ピアノソナタ第14番 イ短調 op.143, D.784」(1823)は、「著しい体調不良」の中での作品であり、全体的に「陰鬱」な印象を受けますが、一方で、「ブルックナーの声が聴こえる」とも評されています。
上に挙げているのは、「第3楽章(フィナーレ)」ですが、この曲を弾いている、「音楽学者」でもあるブレンデルの言葉を借りれば、「シューベルトの音楽」というのは、「恐怖、あるいは、神経症に基づくもの」であり、「死への強迫観念が大きくなっていく過程をとらえたドキュメント」でもあるということで、まさに、「そのこと」が感じられる曲の「代表」だとも言うことが出来ると思います。
「急速なフィナーレ」ということでは、こちらの「ピアノソナタ第21番 変ロ長調 D.960」(1828)の「第4楽章」が、その「最高の到達点」...。
「生涯最後のピアノソナタ」となったこの「第21番」でも、まだ「新たな挑戦」は続けられ、「対位法」など、「古典派への回帰」が見られながらも、そのことも含めて、確実に「新時代への橋渡し」を行なって、シューベルトは、この世を去って行きました...。
その「命日」が「11月19日」です。
今年は、「生誕225周年」、そして「来年」にはまた、「没後195周年」ということにもなるシューベルト。
シューマン(1810-56)やメンデルスゾーン(1809-47)、リスト(1811-86)にブラームス(1833-97)などなど、「ロマン派」の有名作曲家は、少なからず、このシューベルトの「影響」を受けています。
この機会に、「歌曲だけではないシューベルト」をぜひどうぞ!!
最後に「こちらの曲」を...。
言ってみれば、この曲は、「禁断の曲」かも知れません...。
「陰鬱さや哀れさを表す」、「温和で落ち着いていると同時に、深く重苦しく、何かしら絶望と関係があるような死ぬほどの心の不安を表す」、とも言われている「へ短調」で書かれた、この「4つの即興曲 op.142, D.935」(1827)の「第4番」...。
冒頭の「前打音」を伴ったリズム動機は、特に、「ハンガリー的」とも呼ばれていますが、これを用いた曲は、「へ短調」の作品が多い、というのも、また1つの「特徴」として挙げられます。
言い方としては、本当に「良くない」かも知れませんが、私は、この曲に、まさに「世界の終わり」を見るような想いがいたします。
本当に、言い方としては「良くない」とは思いますが...。
そして、「コメント」でも「話題」として上がった「この曲」を、「特別」に、こちらにも載せておくことにいたしましょう...。
デュオ・クロムランクによる「名演奏」で、「4手のための幻想曲 へ短調 op.103, D.940」(1828)。
この曲もまた、「へ短調」ですね...。
関連記事
「デュオ・クロムランク」については「こちら」を...。
「シューベルト(ピアノ曲)」についての記事一覧(「詳しく」は「こちら」から)。
ありがとうございました。
それではまた...。
(daniel-b=フランス専門)