今回の記事は、2月に書いた次の記事の「補足」という意味も込めて、その「リブログ」として書いています。
「曲の詳細」、「商品リンク」などは、大変恐れ入りますが、「こちら」から、「関連記事」をご参照いただきますよう、よろしくお願い申し上げます(「データ容量」の都合により...)。
さて今回は、本年2月に書いた上掲の記事の「補足」という形で、フランスシャンソン界の「3大巨匠」の1人とも呼ばれた、ジャック・ブレル(1929-78)の、「初期の代表作」にして、「世界的」な、シャンソンの「スタンダードナンバー」ともなった名作、「ne me quitte pas "行かないで"」(1958-59)の「カバー」を「特集」してみたいと思います。
この曲に出合ったのが、ちょうど「40年前」である、「1982年9月」のこと。
当時の、NHKテレビ「フランス語講座」の「今月のシャンソン」として、放送中には「毎回」、この曲を流してもいました。
そのことが「きっかけ」となり、「シャンソン」、「フランス語」の道を進むことになり、「現在」に至っているわけでもありますから、もし、「あのとき」、「この曲」に「出合わなかった」としたら、この場で、このような記事を書いていることもなかったことでしょう...。
それだけ、「私」にとっては、「運命を変えた、大切な1曲」であるとも言えるのです...。
もちろん、「世界的な名曲」ですから、「(カバーの)その数」から言っても、とても「1記事中」に「すべて」を収めることは出来ません。
そこで今回は、「最もよく知られている」と思われる、バルバラ(1930-97)や、イザベル・オーブレ(1938-)、セルジュ・ラマ(1943-)、ジュリエット・グレコ(1927-2020)などを「除外」する代わりに、「それ以外」でも、この曲の「歴史」に欠かすことの出来ない録音や、「意外(かも知れない)な名歌手によるカバー」を集めて載せてみました...。
やはり、「曲のイメージ」からも、「女性」が歌うケースが「多い」ようにも感じられますね...(ブレル自身、当初は、「女性が歌う」ことを「想定」しており、エディット・ピアフも、「はっきり」と、「このような曲は、男が歌うべきではない」と、「公言」してもいました...)。
まず、日本では「ほとんど知られていない」とも思うものの、この曲を、「最初」に録音したのは、この方、シモーヌ・ラングロワ(1932-)...。
「幼少期」より、特に正式な音楽教育を受けることなく歌い始めたラングロワは、エディット・ピアフ(1915-63)の曲を歌って「好評」を博したものの、やはり「将来」のことを思い、あらためて、歌を「学んだ」ということです。
そうした中、「共通のプロデューサー」でもある、ジャック・カネッティ(1909-97)を通して、1957年に知り合ったのが、このジャック・ブレルでした...。
シモーヌ・ラングロワは、ブレルの作品にほれ込み、それらの曲を「録音したい」と考えていましたが、彼女を「高く」評価していたカネッティは、いきなり、ブレルの5曲を含む、「10曲入りアルバム」を制作する「賭け」に出たところ、これが見事に「大当たり」となり、1958年度の、「ACC(アカデミー・シャルル・クロ)ディスク大賞」を「受賞」することにもなったのです。
そのアルバムでは、ブレルの「最初期」の作品、「sur la place "広場で"」(1953-54)を、ブレルとの「デュエット」で録音しているほか、当時の最新曲、「je ne sais pas "私は知らない"」(1958)を歌っていました(「詳細」は、各曲の記事をご参照ください。「リンク」は、記事の終わりに載せています)。
今回の曲「ne me quitte pas "行かないで"」は、1959年9月の、ブレル自身の録音に先駆け、同年1月に録音されています。
この歌が作られる「きっかけ」ともなった、スュザンヌ・ガブリエロ(1932-92)との「破局」は1958年のことであり、1957年中には完成していた、「je ne sais pas "私は知らない"」の方では、直接的な「因果関係」があるとは見なされてはいませんが、その「内容」として、かなり多くの「共通項」が見られることは「たしか」だと思います。
その、シモーヌ・ラングロワの「インタビュー」です。
こちらは、2018年10月(ブレルの「没後40周年」)に行なわれたリサイタルの際に、収録された映像です。
ニーナ・シモーヌ(1933-2003)は、「ジャズシンガー」、「ゴスペル歌手」として大変「有名」な、アメリカのアーティストですが、1965年のアルバム、「I put a spell on you」にて、この「ne me quitte pas "行かないで"」を何と、「オリジナル」の「フランス語版」で録音したことから、「フランス語圏」の人々の間でも、本当によく、「記憶に残っている歌手/バージョン」だと言えるようです。
私自身は、「最初に聴いた頃」には、本当に「苦手」でもあったのですが(「アク(くせ)が強い」...と、思いました)、いまあらためて聴いてみると、この映像の頃(1971年12月)には、「フランス語の発音」も、いつしか、「上達」している?...
「フランス語」で歌う「英語圏」の「有名アーティスト」ということであれば、「この方」も挙げないわけにはいきません...。
「ポリス」のボーカルとして、「世界的にも有名」な歌手、スティング(1951-)も、「ブレルファン」だと「公言」し、「原語」である「フランス語」で歌っていますが、その「ベース」となっているのは、やはり、「フランスへの強い憧憬」でもあるようです。
上掲の音源は、1988年(ブレルの「没後10周年」)の「Nothing Like the Sun Tour」からのものですが、「je ne sais pas "私は知らない"」(1958)の記事には、「本家」、フランソワ・ローベール(1933-2003)のピアノ伴奏で歌う「ライヴ映像」(1991年、または、92年頃と見られます)を載せてもいますので、「興味のある方」は、ぜひご覧ください...。
参考記事
「意外」なところでは、男声のコーラスグループ、「les compagnons de la chanson(シャンソンの友)」の録音もありました(1967年)。
こちらも、「意外」に思われるかも知れませんが、イタリアのシチリア島出身であるサルヴァトーレ・アダモ(1943-)は、幼少時に、父親の仕事の関係で、ベルギーに移住しており、2019年には、正式に、「ベルギー国籍」を取得してもいます。
ブレルは、アダモのことを、「愛の植木職人(tendre jardinier de l'amour)」とも評していました。
なので、「まるで無関係」というわけでもなかったのですが、歌っている歌の「ジャンル」がやはり異なっていたためか、特に「日本」では、その「つながり」が知られることは、ほぼ「なかった」のではないかと思います。
こちらの音源には、「録音年」などの詳細な記述はありませんが、まさに、「ネット時代」だからこその「発見」とは、言うことが出来ると思いますね。
最終的に、マルティーヌ・ボージュー(1949-90)が歌うことになった、「幻の作品」とも言い得る「he! M'man "ねえ、ママ"」(1966-67)は、もともとは、こちらのミレイユ・マチュー(1946-)への作品だったようですが、結局、彼女自身は、その曲を歌うことは「なかった」ようです。
「その声」から、「ピアフの再来」とも呼ばれているミレイユ・マチューですが、この歌唱を聴くと、本当に、あの「エディット・ピアフ」が、この曲を歌っているようにも感じられます。
ブレル自身の歌唱を「批判」していた、あの「エディット・ピアフ」が...。
(ミレイユ・マチューが、この曲を録音したのは、1985年のことです...)
こちらもまた「意外」かも知れませんが、シルヴィ・ヴァルタン(1944-)も歌っています。
この映像は、1992年の「日本ツアー」(東京公演)からのものだということで、その意味でも、大変「興味深い」と言えるかも知れませんね。
「清澄な声」で世界中のファンを「魅了」して来た、ギリシア出身の名歌手、ナナ・ムスクーリ(1934-)。
一度は「引退」を発表されましたが、2013年以降、歌手活動を「再開」されたようです。
こちらの音源は、1997年に録音されたものです。
(ナナ・ムスクーリも、私と「同じ」誕生日なんだなあ...
もちろん、「親よりも上」の世代ではあるけれど...)
「伝記映画」、「ヴォイス・オブ・ラブ(Aline)」(2020)も大変素晴らしかった、セリーヌ・ディオン(1968-)。
「フランス語圏」での公演では、「当然のこと」ながら、「フランス語曲」が「メイン」となりますが、ブレルのような「古典の名作」も、そのプログラムに織り交ぜて歌っているようです。
こちらの映像は、フランスのテレビに出演した時のもので、2013年1月12日のものだということです。
(参考)映画「ヴォイス・オブ・ラブ(Aline)」についての記事(この記事は、「劇場上映時」の記事の「リブログ」です。「商品リンク」もこちらからどうぞ...)。
続いては、「外国語バージョン」...。
こちらも、ブレル自身や、ブレルに関連性のあるアーティスト(ヨハン・ヴァーミネン、リースベト・リストなど)による、「オランダ語版(「laat me niet alleen」)」は除いて紹介することにいたします...。
エジプト出身ながら、「イタリア系フランス人」であるダリダ(1933-87)もこの曲を歌っていますが、「フランス語」ではなく、「イタリア語」で録音されたものです。
1970年の録音ですが、発売されたのは、亡くなった後になってからのことだということです。
イタリア語のタイトルは、「Non andare via」となっています。
1961年秋の「オランピア劇場公演ドタキャン騒動」により、ブレルに「大チャンス」をまわしてくれたとも言える、ドイツ出身の「世界的名歌手」、マレーネ・ディートリヒ(1901-92)...。
こちらは、1963年に発表の「ドイツ語版」、「Bitte Geh' nicht fort」(マックス・コルペット訳)です。
「英語」によるバージョン、「if you go away」は、アメリカの「詩人」で、自らも曲を書き、歌ってもいたロッド・マッケン(1933-2015)が、1960年代の初めに、フランスにて、ブレルと出会ったことから「衝撃」を受け、その作品の「英訳」を試みたことが、「その始まり」でした。
言ってみれば、後年のモート・シューマン(1938-91)(後に「映画化」もされた、ブロードウェイ・ミュージカル、「Jacques Brel is alive and well and living in Paris」の「制作者」)の、その「偉大な先達」とも言えるアーティストです。
イギリスの偉大な女性歌手、ダスティ・スプリングフィールド(1939-99)は、1967年発売のアルバム、「Where am I going?」にて、この曲を「カバー」しています。
こちらの映像は、当時の、「BBC」での「ライヴ」からのものです。
まさに、アメリカ音楽界の「帝王」とも呼べるフランク・シナトラ(1915-98)。
この曲は、1969年に録音、発売されています。
スコット・ウォーカー(1943-2019)も、「英語圏」での「偉大なブレル歌い」のひとり。
1960年代後半に「ソロデビュー」を果たしたスコット・ウォーカーは、当時、モート・シューマンらによって英訳されていたブレルの作品を、積極的に採り上げて歌っていました。
こちらの「if you go away」は、もちろん、ロッド・マッケンによる訳詞で、1969年に発売されたアルバムに収録されています。
こちらが、その「英語訳」を書いたロッド・マッケン自身による録音です(1966年)。
1978年10月、ブレルの訃報をきいたマッケンは、「音楽仲間」としてのその「喪失感」から、「1週間寝室に閉じこもって酒を飲んでいた」ことを述懐しています。
そのロッド・マッケンとの「出会い」を「象徴」している曲がこちら...。
ブレルも、ロッド・マッケンの当時の「最新曲」、「The Lovers "恋人たち"」(1964)を、いわば「返礼」として、自ら「仏訳」し、「カバー」しています(フランス語でのタイトルは、「les amants de coeur」)。
こちらがその「原曲」です。
続いて、「イージーリスニング」の分野から...。
当時の「日本公演」でも演奏されており、私自身、「テレビ」で見てもいました(1990年頃)。
このことから、この曲の「日本での認知度」が、さらに「アップ」したようにも思います。
こちらは、そのポール・モーリア(1925-2006)と、彼のオーケストラによるバージョンです(1990年ライヴ)。
1960年代のテレビ映像では、有名歌手の「伴奏オケ」の指揮者としても、度々その名が登場しているレイモン・ルフェーヴル(1929-2008)。
こちらは、1977年に、日本にて発売されたアルバムに収録のバージョンです。
最後に、日本人の「有名歌手」によるバージョンを...。
昔、テレビで、何度か、その歌を聴いたことがあり、私にとっても、「懐かしい思い出」のある「名歌手」です。
金子由香利さん...。
岩崎宏美さん(1958-)は、1979年3月9日発売の「洋楽カバー」アルバム、「恋人たち」で、この「行かないで」(菅美沙緒訳)を歌っていますが、ブレルの死後間もない頃のことでもあったので、選曲されたのだと思います。
そしてこちらは「再掲」です。
1974年10月20日、「東京郵便貯金ホール(現「メルパルク東京」)」にて開催された、「西城秀樹リサイタル/新しい愛への出発」の「ライヴ音源」から...(何と、「オープニング曲」とのこと!!)。
タイトルが「泣かないで」となっていたことから、最初は気が付きませんでしたが、このバージョンは、たかたかしさん(1934-)による訳詞によっています。
ちなみに、西城秀樹さん(1955-2018)の「命日」は、この曲を作曲した、ジェラール・ジュアネスト(1933-2018)と「まったく同じ」である、「(2018年)5月16日」です!!
「記事の投稿」が、最近「遅れがち」にはなっていますが(「9月」は、本来、「書くトピック」がとても「多い」のですが、もうすでに、いくつか「スルー」してしまいました...)、この記事を書いている間にも、「シャンソン・コラムニスト」、ジャンマリ・ヴェさんの、大変「興味深い」コラムがアップされましたので、載せておきたいと思います...。
(9月12日付け)
それでは、ブレル自身による「名唱」を、いま一度お聴きください...。
1972年6月27日に、「バークレー社」にて録音された「再録音盤」であり、現在、「ベスト盤」でも、こちらのバージョンが採用されています。
この「公式動画」は、昨年11月に公開された「最新」の「歌詞入りMV」で、バックの映像は、バルバラ(1930-97)と「共演」した、自身の「監督・脚本・音楽・主演」作品である、「Franz "わが友フランツ~海辺のふたり"」(1971-72)から採られています。
「公式サイト」
「ブレル財団」は、昨年(2021年)、「創立40周年」を迎えました。
これまでの記事(「曲名」で検索していただけます。「商品リンク」なども「こちら」からどうぞ...)
ありがとうございました。
それではまた...。
(daniel-b=フランス専門)


