「あの日」から11年...。
何ということか、「こんな状況」のなかで、いつの間にか、「この日」を迎えてしまうことになろうとは...。
今年も、「この日」がやって来ました。
あの「未曽有の大災害」のために、いまだ、その行方が「分かっていない」方々も数多くいらっしゃるということですが...。
「東日本大震災」は、まさに、「現代日本」に生きる私たちの、「想像」をはるかに上回るもので、「戦災」をも思わせるような「信じられない光景」が、幾度となく「映像」にて流されたことで、「被災地」から遠く離れた地に住む者にとっても、その「衝撃」は、まさに「計り知れないほどのもの」であったと思います。
当時、まさか、「壊滅的な被害」などという言葉を、「日本の現実のニュース」で聴くことになろうとは、本当に、思ってもみなかったことでした。
1995年1月17日のあの「阪神・淡路大震災」でさえ、まさに「恐怖」と言うべきものでしたが、その「被災範囲」を、はるかに上回る、非常に「広範囲」に被害が及んだことで、「津波」というものの「恐怖」を、あらためて「認識」させてくれた「大災害」だったとも思います...。
「当時」も思ったことですが、私たちが生きる「現代」に起こったことは、やはり、「いま」を生きる「私たち」の手で、「解決」しなくてはいけない、「考え」なくてはいけない、ということでした。
いつまでも、「年長者」や、あるいは、「すでに他界されている人」の力に頼ってばかりではいけません。
もちろん、そうした「先人の知恵」を「参考」にすることも「必要」ではありますが、「自分たち(この世代)の力」で何とかしなくてはいけないということです。
このことは、今回の「ウクライナ危機」でも「同じこと」で、「私たちの世代」で、何とか「最良の解決方法」を見いだすことが出来なければ、「(この世代で/時代で)世界は終わる」ということなのです...。
「核を打たせない」、また、「打たない」、「持とうとしない」ことはとても「重要なこと」だと思います。
「チェルノブイリ原発」が、いままた「危機」だと言われています。
よりにもよって、この「3.11」に...!!
「11年前」、日本も、本当に「広範囲」で、「信じられない」ような、「荒れ果てた光景」を目にしました。
まるで、「戦災」をも思わせる、「ひどい有様」で...。
「自然災害」だけではない、「危機的状況」を生み出したのが、「運転中の原発の被災」(「福島第一原子力発電所事故」)ということでしたが、それを「逆なで」するようにも見える、今回の「ロシア軍」による「原発攻撃/占拠」という「暴挙」は、本当に「目に余るもの」があります。
このようなことで「引き合い」に出したくはありませんが、もはや「精神異常者」とも言えるプーチンは、自らの「不敗神話」が、今回の「ウクライナ侵攻」の「失敗」により「破れる」ことを恐れて、「自暴自棄」となって、いまや、「どのような行動に出るか分からない」といったところすらあるのです!!
それを「阻止」するためにも、現在、「懸命の外交努力」が続けられてもいるのですが、こんな「異常者」に、絶対、「核のボタン」を「持たせない」、そのことこそが「重要」なのです...!!
仮に、「抑止力」として、日本も「核武装」を「した」とします。
しかし、その時点で、「日本は被爆者を裏切った」、「日本が新たな脅威となった」と感じる国も「少なくない」と思います。
その「意図」に反して、肝心の、「隣接」する「核保有国」は、そのことを、「何の脅威にも感じない」ということにもなりますから、「平和を願う世論」を押し切ってでも、「非核三原則」を「破る」だけの「価値」は「ない」と思います。
それでも、「抑止」のために「踏み切る」というのであれば、やはり、「数千発の配備」は「必要」ということになりますが....(「SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)」10発程度じゃ、本当に「意味ない」ですよ、「核武装論容認派」のみなさん!!)。
そこらの「田畑」や、「山」や「河」に「ミサイルサイロ」を作り、「ビルの屋上」から...いや、「商業ビル」を「カモフラージュ」して、「ミサイル発射基地」に。
「列車」からも「発射可能」に...って、それ、「角刈り君」のやっていることと「同じ」じゃないですか...。
(そんなこと、「一朝一夕」で出来るこっちゃない...。
ドラえもんに、「壁掛け秘密基地」でも出してもらうか!?)
私は、日本を「再び戦場にする」ことは、「絶対にあってはならない」ことだと思っています。
私もやはり「人間」ですから、そうは言っていても、「ブチ切れる(「怒りに我を忘れる」)」と、どのような「言動」に走るか分かりません...。
このように書くことで、たぶん、「良識」のある「多く」の方々は、「気分を悪くされた」かも知れません...。
大変、申し訳ありません...。
私も、以後、このような「過激な言動」には走らないよう、充分に、言葉を「慎みたい」と思っています。
「東日本大震災」によって、その「尊い命」を失われた方々、また、「現在」でもなお、「不自由」な暮らしを「余儀なく」されている方々に向けて、私は、ただ、「祈りを捧げるのみ」です...。
ありがとうございました。
それではまた...。
(daniel-b=フランス専門)