今回の記事は、「前回」のこちらの記事にて紹介した曲とも「関連性」が認められることから、その「リブログ」としています。

 

ミシェル・ベルジェ(1947-92)の、その死の「直前」である、1992年6月12日に発売されたアルバム、「double jeu "最後のデュエット"」(「日本」でのタイトル)。

 

この曲、「la petite de Calmette "カルメットの少女"」は、カンボジアの首都、プノンペンにある、「国立カルメット病院」の「救護チーム」全員に捧げられた作品です。

 

こちらは、「レコーディング風景」や、前年に訪れた「カンボジア」の映像も交えて作られた「MV」で、「オリジナル録音」の音源によっています(1992年録音)。

 

こちらは、このアルバムの「メイキング映像」(1992年3月)(下記参照)。

フランス・ギャル自身が「コメント」を入れています(2012年)。

 

 

上掲の「アルバム・メイキング映像」は、「2012年」に発売された、「20周年記念盤」の「DVD」に収録されています。

 

かつては、「日本盤」(CDのみ)も発売されていました。

 

 

ミシェル・ベルジェは、アルバム発売の「前年」である1991年、その「カンボジア」を訪れたことが、フランス・ギャルの「回想」による写真集、「Michel Berger HAUTE FIDELITE」(「没後20周年」である、2012年に発売)にて語られています。

 

 

これまでの記事(ミュージカル「RESISTE」についての記事も「こちら」から)

 

(参考)「スターマニア」がテーマの記事一覧

 

(参考)「ダニエル・バラボワーヌ」がテーマの記事一覧

 

 

 

さて、「1月7日」は、フランス・ギャル(1947-2018)の「命日」でした。

 

 

また、そのちょうど「1週間後」である「1月14日」は、「弟も同然」と言える、ダニエル・バラボワーヌ(1952-86)の「命日」でもあり、私にとっても、まさに「特別な1週間」です(昨年「没後35周年」であったダニエルは、今年も、「生誕70周年」という、「記念の年」に当たってもいます)。

 

 

フランス・ギャルにしても、その「夫」でもあったミシェル・ベルジェ(1947-92)にしても、今年は、「生誕75周年」。

 

さらにミシェルは、「没後30周年」にも当たっています。

 

そして、その「世界的な代表作」(「作曲」を担当)でもある、ロックオペラ「スターマニア」(1979年初演)の「再演」も予定されています。

 

 

 

公式サイト(フランス語)(キャストは、現在、「募集中」とのことです...)

 

 

「スターマニア」では「ピン」と来なくても、「この曲」が歌われる「舞台」だと言えば、「分かる」でしょうか...。

 

 

「流行りモノだから...」という言い方は、あまりしたくありません...。

 

 

このロックオペラ「スターマニア」は、すでに、「ポピュラー音楽界」の、「偉大なクラシック(古典)作品」なのです。

 

 

「スターマニア」が「テーマ」の記事は、「3年前(2019年)の8月」に書いた、ちょうど「この曲」の場面で止まってしまっている...(早く、「続き」を書かねば...)。

 

 

 

さて、「本題」に戻りましょう。

 

 

これまでにも、「断片的」ながらも、その「収録曲」を紹介してきているアルバム、「double jeu "最後のデュエット"」(「日本」でのタイトル)...。

 

 

この「原題」を普通に訳せば、「両天秤にかける」、「ふたつの態度を使い分ける」といった「ネガティヴ」な意味しかありませんが、それぞれの曲の「キャラクターづけ」という意味においては「なるほど」とも思えます。

 

しかし、それ以上に、この「double jeu」とは、実は、「double "je(私)"」のことでもあるということで、「二重/二倍となった私」、「私の分身」、「私の両面」など、本当に様々な意味に「解釈」することが出来ると思います。

 

そのために、ミシェルの死後、「フランス・ギャルひとり(と、その「仲間」たち)」で臨んだ、1993年9月の「パレ・オムニスポール・ド・パリ=ベルシー(現「アコー・アリーナ」)」での公演は、「simple je」という「別名」でも呼ばれているわけです。

 

 

その公演の「DVD」です。

 

こちらは「CD」(「完全版」)

 

「Simple je」という「別タイトル」が付けられていることが、このCDでもよく分かります。

 

 

 

 

「すべての作品」をミシェルが手がけるものの、これまでは、ともに「ソロ名義」のアルバムしか出して来なかった二人...。

 

 

そのアルバムの中で、「コーラス」として参加することはあっても、「ステージ」をともにすることは、基本的にありませんでした(「歌うカップル」にはなりたくなかったとのこと...)。

 

 

そうして、それぞれ「別の道」をたどってきた二人がついに「合流」し、それまでの「集大成」とも言える、この「傑作アルバム」を出したことで、また「新しい時代」が始まるはずだったのですが...。

 

 

すでに、「弟も同然」であったダニエル・バラボワーヌ、そして、「盟友」のコメディアン、コリューシュ(1944-86)を、「同じ年」に、立て続けに亡くしてしまったことで、その後、ミシェルの書く作品にも、「暗い影」を落とすことにもなってしまったのですが、その他にも、「死因」ともなった「心臓病」については、「父親」で、「腎臓の専門医」でもある、ジャン・アンビュルジェ(1909-92, ミシェルよりも先に、「2月」に他界)から、「手紙」にて、「専門医に診てもらったほうがいい」との「忠告」を受けていたという「エピソード」がありました。

 

 

「父親からの"忠告"の手紙」について書かれた記事(2018年2月5日付け)(フランス語)

 

 

いずれにせよ、その「1986年」を境に、「全盛時」のような「快活さ」は影を潜め、「物静か」で、「ほの暗い」印象の曲が増えていったのも、「事実」と言えるでしょう...。

 

 

今回の曲は、前回紹介している曲、「Mademoiselle Chang "マドモワゼル・チェン"」(1981)の「モデル」となった女性が、実は「カンボジア」の出身であるということ、そして、その「10年後」である「1991年」に、「現地」を訪れたことから、書かれた作品の様です。

 

 

その意味で言えば、「両曲の間」には、「つながりがある」と言っても、過言ではないでしょう。

 

 

ちなみに、こちらが、その「Mademoiselle Chang "マドモワゼル・チェン"」です。

1986年4月の「ゼニット・パリ」での公演では、「こんな様子」だったのですが...。

 

 

(「文字データ量オーバー」のため、「商品リンク」は「省略」いたします)

 

 

 

前回記事にも書いているように、「人道的視点」で、「幅広い視野」をもって作品を書いていたと言えるミシェル・ベルジェ...。

 

 

こちらの曲もそうでした...。

 

 

フランス・ギャルのための曲、「Babacar "ババカー(セネガルの赤ちゃん)"」(1987)。

 

 

「その子(赤ちゃん)が欲しかったら、どうぞ、持って行って...」

 

と言われて、「大変なショック」を受けたことから書かれた曲です。

 

このエピソードにも、もちろん、「後日談」があります...。

 

 

 

 

この曲についての記事(「歌詞対訳」も載せています)

 

 

 

彼の、その「早過ぎる死」は、「芸術界」のみならず、「人道支援」の面においても、「大きな損失」であったと言えるでしょう。

 

 

「没後30周年」ともなる「いま」こそ、「日本」でも、「見直されるべき」だと思います...。

 

 

なお、大変「貴重」な音源が見つかりました。

 

 

1992年6月22日、パリのジャズ・クラブ、「New Morning」において、「二人」がともに出演して行なわれたライヴの模様です。

 

 

(曲目詳細)

1.laissez passe les reves  いにしえの夢

2.bats-toi  闘って

3.superficiel et leger  無邪気

4.la chanson de la negresse blonde  ブロンドの黒人娘

5.jamais partir  決して立ち去らないで

6.les elans du coeur  揺れる心

.............................................................................

7.seras-tu la?  君は、そこにいてくれるだろうか(1975)

8.la declaration  愛の告白(1975) 

9.quelques mots d'amour  愛の言葉の数々(1980)

10.la groupie du pianiste  ピアニストのグルーピー(1980)

11.Ella, elle l'a エラ・フィッツジェラルドに捧げる(1987)

12.evidemment  エヴィダマン(1987)

 

 

あらためて、アルバム「double jeu "最後のデュエット"」の中から、その「名曲」を、いくつか拾ってみましょう...。

 

 

「la lettre "手紙"」は、1987年の名作、「evidemment "エヴィダマン"」の、「続きと終わり」と添えられています。

 

夫、ダニエル・バラボワーヌを亡くした妻、「ココ(=コリンヌ=「ラジザ(l'Aziza)」)」に捧げられた作品です。

 

 

(上掲の、「アルバム・メイキング映像」でも、フランス・ギャルが、「ダニエル」について言及しています...)

 

 

この曲の記事(両曲とも、「歌詞対訳」を載せています)

 

 

「幻想的」とも言える「名曲」です。

「les couloirs des Halles "レ・アルの通路(路上)で"」。

 

 

この曲についての記事(「歌詞対訳」を載せています)

 

 

この曲は、「とっておき」のつもりでしたが、あえて、今回、載せましょう!!

「jamais partir "決して立ち去らないで"」。

 

 

 

それでは以下に、「la petite de Calmette "カルメットの少女"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

今回の「訳詞」は、1998年に発売された「日本盤CD」に掲載の、西川知余子さんのものを、そのままお借りしています(「名訳」です!!)。

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

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la petite de Calmette  カルメットの少女

 

(cette chanson est dediee a toute l'equipe de l'Hopital Calmette a Phnom Penh)

(この歌は、カンボジアの首都、プノンペンにある、「国立カルメット病院」の「救護チーム」全員に捧げられた)

 

dans les ruines des ambassades

traine le parfum amer et fade

de la poudre qui parle pour rien

et des chagrins de Phnom Penh

dans les boutiques des chinois

les neons s'allument encore une fois

les orphelins toujours debout

attendent qu'on les aime

et vendent aux passants

les images d'avant

 

大使館街の廃墟の中

鼻を突く、むっとするにおいが尾を引く

もの言わぬ役立たずの火薬と

プノンペンの痛手のにおい

中国人の店々の中で

ネオンがいま一度ともる

孤児たちはいつも立ったまま

愛をくれる人を待ち

通りすがりの人々に

昔の写真を売っている

 

la petite de Calmette s'endort

avec les marques sur son corps

des derniers combats de la route du Nord

si la petite de Calmette s'en sort

c'est que les "blouses blanches" seront plus forts

que tous les demons des temples d'Angkor

et que les anges de la mort

 

カルメット病院の少女は眠っている

体に残った傷痕の数々 それは

北のルートでの最後の戦いで受けたもの

カルメットの少女が助かるなら

それは「白衣」の方が強いからだろう

アンコール・ワット寺院の魔物全員よりも

死の天使たちよりも

 

l'histoire est toujours la meme

partout comme a Phnom Penh

l'homme est un loup pour l'homme

il faut vraiment de la veine

pour survivre a la haine

l'homme est l'ennemi mortel de l'homme

 

歴史はいつも変わらない

至るところでプノンペンと同じく

人間は人間にとっての狼

憎しみに抗して生き残るには

勇気がなければならない

人間は人間を死に至らせる敵

 

dans les jardins des hotels

les souvenirs des temps anciens

et les herbes folles s'amoncellent

sur les blessures de Phnom Penh

les petites danseuses legeres

courbent lentement leurs mains

dans la tradition millenaire

du peuple Khmer

la purete renait

de ce geste fier

 

ホテルの庭では

遥かな昔の記憶と

生い茂る雑草が密集している

プノンペンの傷口の上に

可愛い身軽な踊り子たちは

ゆっくりとその手を曲げる

クメール民族の

古式ゆかしい伝統の中で

清らかさが甦る

この誇り高きしぐさのうちに

 

la petite de Calmette s'endort

avec les marques sur son corps

des derniers combats de la route du Nord

si la petite de Calmette s'en sort

c'est que les "blouses blanches" seront plus forts

que tous les demons des temples d'Angkor

et que les anges de la mort

 

カルメット病院の少女は眠っている

体に残った傷痕の数々 それは

北のルートでの最後の戦いで受けたもの

カルメットの少女が助かるなら

それは「白衣」の方が強いからだろう

アンコール・ワット寺院の魔物全員よりも

死の天使たちよりも

 

l'histoire est toujours la meme

partout comme a Phnom Penh

l'homme est un loup pour l'homme

il faut vraiment de la veine

pour survivre a la haine

l'homme est un criminel pour l'homme

 

歴史はいつも変わらない

至るところでプノンペンと同じく

人間は人間にとっての狼

憎しみに抗して生き残るには

勇気がなければならない

人間は人間にとっての罪人

 

(daniel-b=フランス専門)