こちらは、2012年12月に発売された、「再録音」アルバムからのバージョンです。
録音は、「2003年」ということのようです。
こちらは、1973年発売のアルバム、「une femme "(ある/ひとりの)女性"(仮)」から。
こちらは、「2度目の録音」のようです(「オリジナル」は、1964年録音)。
公式サイト
また、こんな「素敵」な動画も見つけました。
この曲は、ブレル(1929-78)が「詞」を書くも、ピアフはついに録音することが出来なかった作品です。
2人の「伝説」を結び付けようとする「試み」は多いですが、この、ブレルとピアフに見立てた2人の動画は「秀逸」だと思います。
この動画は、2018年10月20日に、ドイツのブラッスリー(ビアホール)(「シャンソン喫茶」?)で行なわれたショーの、本公演に先立つ「プロモ映像」のようです。
公式サイト(ドイツ語)
日本では、加藤登紀子さん(1943-)が、自ら翻訳して歌っています。
こちらは、京都・春秋座にて、2014年5月24日に行なわれた公演、「モノオペラ- ピアフの生きた時代を語り歌う-コンサート」からの映像です。
この曲については、加藤登紀子さん自身のこちらの著書に、詳しく書かれています(2016年初版)。
関連記事(さらに「詳細」です)
公式サイト
「エディット・ピアフ」がテーマの記事一覧(これまでの記事)
さて...
「9日」のブレル(1929-78)に続いて、「10月10日」は、フランスの「伝説的女性歌手」、エディット・ピアフ(1915-63)の「命日」でした(公式には「11日」とも発表されています)。
エディット・ピアフに関しては、「昨年の命日」には記事を書くことが出来ず、「それ以外」の時期にも、まったく書くことが出来なかったために、何と、「まる2年ぶり」ということになってしまいました。
本当に申し訳ありません...。
ピアフと言えば、「l'hymne a l'amour "愛の讃歌"」(1949-50)や、「la vie en rose "バラ色の人生"」(1945-46)などといった「超有名曲」が、まったく「手つかず」のままではありますが、今回も、「私らしい視点」で記事を書いてみたいと思います。
(ぜひ、「書いてみたかった曲」でもあります!!)
今回紹介する曲は、「晩年」のピアフに深い関わりのあった作曲家兼歌手、シャルル・デュモン(1929-)が、文字通り、ピアフのために「曲」を書いた作品ですが、「詞」を書いたのは、何とも「意外」な「あのお方」...。
そう、ジャック・ブレル(1929-78)なのです!!
ブレルと言えば...
まして、「この時代」と言えば、やはり、「この曲」...。
「ne me quitte pas "行かないで"」(1958-59)(「オリジナル録音」)。
この曲の記事(「歌詞対訳」も載せています)
この、「あまりにも有名」な名曲の「裏」には、実は、ちょっと「ドン引き」してしまいそうな、「エグい」エピソードもあるのですが、そのことは「別」としても、当時、この曲を聴いたピアフは、次のような、「苦言」を呈しています。
un homme ne devrait pas s'abaisser a chanter des choses comme ca!!
「男というものは、こうした隷従に身を任せるべきではない」(大野修平先生訳)
また、ブレルを世に送り出したジャック・カネッティ(1909-97)でさえも、
「女性たちが笑うだろうよ」
と言ったとか...。
「現在」では、まさに、「シャンソンのスタンダードナンバー」のひとつであり、「偉大な作品」として、受け止められている曲でもありますけどね...。
その、アーティストとしての「スタイル」や、「存在感」も、しばしば「引き合い」に出されるピアフとブレルですが、実際に二人が「出会った」というエピソードはなく、もしかすると、前述の「苦言」も、ピアフ本人は、後には「忘れていた」かも知れないのです...。
ピアフの「晩年」と言えば、後に、「映画音楽の巨匠」として名を上げた、フランシス・レイ(1932-2018)も、「伴奏者」として、深い関わりを持っていました。
上掲の加藤登紀子さんの著書、「愛の讃歌 エディット・ピアフの生きた時代」(2016年出版)の頃には、フランシス・レイもまだ「ご存命」であり、その「対談」を通して、「晩年のピアフ」の姿が「浮き彫り」にされたとも言えるでしょう。
フランシス・レイ自身は、ブレルを「あまり深くは知らない」ということで、「最晩年のピアフ」のために、今回の曲、「je m'en remets a toi "あなた次第(決めるのはあなた)"」が書かれたことも「知らなかった」ということではありましたが、「その他のこと」については、本当に、その記憶も「鮮明」であると感じられました。
加藤登紀子さんは、その「提供の経緯」について、次のように書いています(要約)。
最期の日々、看護師以外の誰とも会わない時にも、ピアフは、次のコンサートに向けて、プログラムを練っていました。
そこへ、最近では、少し遠のいていたシャルル・デュモンから電話があり、彼自身が、その曲(「je m'en remets a toi」)を、電話口で歌って聴かせたのです。
「もう無理よ」と答えたピアフでしたが、本当はとても喜んでいて、
「まだ私のことを忘れていない人がいるのね。なんとかして歌いたいわ」
と話していたということです(その「肉声」が残る、テープが見つかったそうです)。
「1963年」と言えば、ブレルはすでに「多忙」であり、この年から、翌1964年にかけては、発表された作品が「最も多い」時期でもありました。
「自らが歌う曲」はもちろんのこと、ジュリエット・グレコ(1927-2020)への作品、「vieille "老婦人"」が書かれたのも、「この年」のことですし、他に、サッシャ・ディステル(1933-2004)へも曲を提供するなど、「一般には知られていない作品」も、数多く書かれた年です。
加藤登紀子さんは、上掲の、「春秋座公演」に際してのインタビューで、「ブレルとデュモンは友人だった」と話していましたが(「関連記事」参照)、そのような「接点」は、「ブレルファン側」からすれば、私でも、「よく知らなかった事実」でした。
それで、何とか、「当時」のことを知る「手がかり」はないかと思って調べてみたところ、「Le Parisien」紙の、次の記事を見つけました(フランス語)。
2018年3月25日付け。
(ステージからの「引退」を書いた記事の様ですが、その後も、活動を続けている様子です...)
この記事によれば、シャルル・デュモンは、マルセイユのビストロで、ブレルと「一緒だった」と話しており、ブレルは、バーテンダーから手帳(メモ帳)を借りて、「自分はピアノを弾いた」ということです。
「1時間もしないうちに」、曲は出来上がったということで、デュモンがピアフに電話したのは、まさに、「その時」のことでした。
しかし、ピアフの声は「疲れ(衰弱し)切って」おり、残念ながら、これが「最後の会話」となったそうです...。
その後間もなく、ピアフは亡くなり、デュモンは、この曲を「自分で歌う」ことに決めたということです。
加藤登紀子さんも、「ブレルがピアフのために詞を書いた」ことを、「大変興奮している」と話していました。
加藤さんによれば、
「常に生きることに肯定的だったピアフの哲学が歌われている」ということです...。
「曲」は、少し、こちらの「名作」を思い出させますね...。
どちらも、いかにも「デュモン節」といった感じで、その「特徴」が、「よく表れている」印象を受けます。
ピアフ自身が「詞」を書いた名作、「les amants "恋人たち"」(1961)。
「オリジナル」は、「デュエット・バージョン」です。
デュモン自身も、後に、自ら「再録音」しています。
(参考)こちらの記事でも、この曲について触れています。
最後に、デュモンの「代表作」のひとつである、この曲も載せておきましょう...。
「ta cigarette apres l'amour "夜明けのタバコ"」(1972)。
以下に、「je m'en remets a toi "あなた次第(決めるのはあなた)"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。
この「原題」は、「やや古い言い方」であると言われますが、「(判断は、)あなたにお任せします」、「あなたが頼りです」といった意味ですので、加藤登紀子さんが付けられたこの「邦題」は、とても「洗練されている」と思いますね。
(やや「備忘録的」...)また、各節の「初め」に現われる、「pour ce qui est de ~」という表現は、「~については」を表す「成句」ということです(「~するもののために」と訳してしまうと、「意味が通らなくなる」ので「要注意」です...)。
それではまた...。
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je m'en remets a toi あなた次第(決めるのはあなた)
pour ce qui est de vivre
ou de ne vivre pas
pour ce qui est de rire
ou de ne rire plus
je m'en remets a toi
生きて行くこと
または生きないこと
笑うこと
またはもう笑わないこと
それを決めるのはあなた
pour ce qui est d'aimer
pour une part de chance
pour ce qui est d'esperer
ou de desesperance
je m'en remets a toi
愛すること
幸運のほんの一部
望むということ
または絶望すること
それを決めるのはあなた
oui mais
pour ce qui est des pleurs
comme au temps des cerises
pour ce qui est du coeur
qui se tord et se brise
je m'en remets encore
je m'en remets a moi
ええ、でも
涙は
さくらんばの季節のように
心は
ねじれて壊れてしまう
私はまた立ち直る
それを決めるのは私
pour que ce soit demain
plutot que le passe
pour que ce soit l'airain
plutot que le laurier
je m'en remets a toi
明日となるように
過去よりはむしろ
鋼となるように
月桂樹よりはむしろ
それを決めるのはあなた
pour que ce soit la vie
plutot qu'une saison
pour qu'elle soit symphonie
plutot qu'une chanson
je m'en remets a toi
これが人生であるために
ひとつの季節というよりはむしろ
それ(人生)が「交響曲」であるために
ひとつの歌というよりはむしろ
それを決めるのはあなた
oui mais
pour accrocher aux branches
notre amour s'il vacille
pour briser la faucille
du temps qui se revanche
je m'en remets encore
je m'en remets a moi
ええ、でも
枝からぶら下がるために
私たちの愛が揺らいたとしても
鎌を壊すための
復讐の時
私はまた立ち直る
それを決めるのは私
tu vois
tu peux faire l'ete
je peux porter l'hiver
on peut appareiller
on peut croquer la terre
la la la...
je m'en remets a toi
la la la...
分かるでしょ
あなたは夏を作ることが出来る
私は冬を届けることが出来る
私たちは出航することが出来る
地球(大地)をかじることが出来る
ラララ...
それを決めるのはあなた
ラララ...
(daniel-b=フランス専門)