今回の記事は、金城先生の「誕生日」について書いた、昨年7月の記事の「リブログ」です。
(再掲)那覇市近郊の、沖縄県島尻郡南風原(はえばる)町にある、「金城哲夫資料館」内部の様子を撮影したものです。
「生家」である、料亭「松風苑」の「離れ2階」が、「書斎」として使われており、ここが「資料館」となっていますが、「常時公開」というわけではなく、生家の「ご厚意」によって、特別に公開されている施設ですから、訪れる際には必ず「予約」の連絡を入れ、「失礼のないように」とのことです。
「南風原(はえばる)町」公式サイトより
昨年の「誕生日」(7月5日)には、「ウェブ資料館」も開設されました。
金城先生を「よく知る」方々の、「貴重」なインタビューを聴くことが出来ます。
「動画サイト」にもアップされています
その中から、いくつか拾ってみました。
「バルタン星人」の「生みの親」でもある、飯島敏宏監督(1932-)。
「脚本家」としては、「千束北男(せんぞくきたお)」の「ペンネーム」を使っていました。
「ウルトラセブン」最終回の「監督」として「有名」な、満田かずほ監督(1937-)です。
今年、「放送開始50周年」となる、「帰ってきたウルトラマン」(1971)で「メインライター」を務められた、「脚本家」の上原正三先生(1937.2.6-2020.1.2)も、「沖縄県那覇市」のご出身です。
上原先生は、後に、現在の「スーパー戦隊シリーズ」の「基礎」を築いたことでも知られています。その「第1作」、「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975)も、上原先生が「メインライター」を務められています。
金城先生の「奥様」でいらっしゃる金城裕子さん。
「帰郷」に関するエピソードなど、とても「興味深い」話をされています。
「長男」で、実家の料亭「松風苑」の「代表」、「料理長」を務めていらっしゃる金城京一郎さん。
「幼少時」の父親との思い出、特に、「亡くなった当時」のエピソードを話されています。
さて、「2月26日」は、「ウルトラマン」(1966)、「ウルトラセブン」(1967)を世に送り出した「生みの親」、名脚本家、金城哲夫先生(1938.7.5-76.2.26)の「命日」です。
昨年7月、「誕生日」(「7月5日」)の際に、「思い出したか」のように、金城先生の記事を書かせていただきましたが(この記事は、その「リブログ」です)、今年が「没後45周年」という「記念の年」に当たるためか、はたまた、「新型コロナウイルス禍」ということもあってか、ちょうど「その日」に、上掲の「金城哲夫ウェブ資料館」が「開館」し、大変「貴重」な、「証言映像」の数々を見ることが「可能」となりました。
その映像は、上掲以外にもまだまだありますから、詳しくは、「公式サイト」、「動画サイト」を検索していただきたいと思いますが、「最初」の飯島敏宏監督も、「金ちゃん(金城先生)の悪口をいう人はあまりいない」と「証言」されている通り、どれを見ても、その「人柄の良さ」が伝わって来る内容となっています。
「円谷プロ」に「入社」した後、「ウルトラシリーズ」を生み出し、「文芸部長」として、「脚本」の面でその「総指揮」をとった、「最大の功労者」、金城哲夫先生。
後に、「不運」もあって、「沖縄」へと「帰郷」することになりましたが、「本土との架け橋であり続けたい」と願う心は、変わることがありませんでした。
「その想い」も込めて、「沖縄返還」、「日本本土復帰記念事業」である、「沖縄海洋博」(1975.7.20-76.1.18)の「構成」、「演出」を引き受けましたが、地元では、「本土の回し者」と「非難」する声も上がりました。
まさに、「板挟み」となったその「ストレス」からか、「泥酔」して、「(「仕事場」へ入ろうとして、)2階から転落」した(と「推定」される)金城先生は、直ちに病院へと搬送されましたが、その3日後の「2月26日」、「脳挫傷」により、まさに「志半ば」で、「帰らぬ人」となりました。
享年「37歳」...。
上掲の動画で、満田監督が話されていた、「ウルトラセブン」の「ノンマルトの使者」(第42話)は、「終盤」の「重要なエピソード」の1つであり、「本当の正義とは何か」を問う、「異色の作品」としても「有名」です。
海辺にいたダン(演:森次晃嗣)とアンヌ(演:ひし美ゆり子)の前に、ひとりの少年が現われ、
「海底は"ノンマルト"のものだから、侵略してはいけない」
と「警告」。
その時、「海底開発センター」の「シーホース号」が「爆破」され、「沈没」してしまいます。
「ノンマルト」とは、「人類」以前に「地球」で栄えていたものの、「人類」のために、「海底」へと追いやられてしまった「先住民族」...。
ダン(=「ウルトラセブン」)の故郷の「M78星雲」では、もともと、「地球人(人類)」のことを「ノンマルト」と呼んでいました。
「地球」を、「人類」を守るべく、「ウルトラ警備隊」に入隊したダンは、ここで、まさに「板挟み」となってしまいます。
「ノンマルト」に味方する怪獣「ガイロス」を倒すため、「変身」を迫られますが、本当に、「悩みに悩んだ」末の「決断」となりました。
現在では「否定」されているようですが、このエピソードは、金城先生が「沖縄人」であることと、何か「関係」があるのではないかと、「かつて」は言われていました。
このエピソードの後、金城先生が書いた脚本は、「前後編」で描かれた「最終回」、「史上最大の侵略(前編/後編)」(第48話/第49話)のみとなりました...。
(この「最終回」については、「元の記事」にも載せている、以下の「動画」、「記事」をご参照ください)
(参考動画)
(参考記事)
そして、実はこの後、「帰ってきたウルトラマン」(1971)でも、「脚本」を担当したエピソードが、「1本」だけ存在します。
すでに「円谷プロ」を退社し、沖縄に「帰郷」した後のことでしたが、私用で「海外」へ出るために、「東京」を経由したところ、「2代目社長」となった円谷一氏(つぶらやはじめ)(1931-73)に頼まれ、この「1本」を、「3日」で書き上げたということです。
それは、「毒ガス怪獣出現」(第11話)というエピソードです。
「旧日本軍」が開発した「イエロー・ガス(毒ガス)弾」を食べたことによって、自ら、「猛毒ガス」を吐く体質へと変わってしまった、怪獣「モグネズン」...。
このエピソードは、1969年、沖縄の「米軍基地」に、実際に「毒ガス兵器」が貯蔵されていたという「事件」をヒントに書かれたものだということですが、その「表現方法」は、「帰ってきたウルトラマン」の他の作品と比べてもあまりに「異質」であり、「行き過ぎ」だという感じを受けることも「確か」だと思います。
「金城氏の怒りが伝わってくるようだ」
と、漫画家の小林よしのりさん(1953-)も書かれていましたが、「沖縄人」としての「金城哲夫」が、この作品では、「そのまま」表現されているように感じます。
そしてこのエピソードが、金城先生が書いた、「最後」の「ウルトラ作品」となりました...。
それではまた...。
(daniel-b=フランス専門)

