「スタジオ録音」の前年に行なわれた、パリ、モンパルナスの「ボビノ劇場」でのライヴ録音です。

 

「1967」となっていますが、実際には、1966年12月13日から15日にかけてのテイクで(公演は、年明け「1月9日」まで)、ブレル(1929-78)の「アデュー・オランピア」の余韻の残るパリで、バルバラも負けじと「入魂」のステージを見せたものです。

 

こちらは、1967年10月1日のテレビ番組「ディスコラマ」に出演の映像です。

この曲を含むアルバム、「ma plus belle histoire d'amour "わが麗しき恋物語"」が発売されたのは、この翌月のことです。

 

こちらに収録されています。

 

 

1970年代に入ってからの歌唱も味わい深いものがあります。

テンポは「速め」ですが、それだけに、「熱い感情のほとばしり」を感じることが出来ます。

 

こちらは、1973年7月17日、南仏カルパントラの大聖堂前の広場で行なわれた、「ガラ・コンサート」の音源からです。

 

この録音は、こちらのBOXに収録されています。

 

 

こちらは、その翌年、1974年2月、パリ、ヴァリエテ劇場でのライヴ録音からです。

 

 

 

こちらは「オリジナル録音」です(1967年4~5月録音)。

 

「新しい世代」による「カバー」では、エロディ・フレジェ(1982-)のこの歌唱も「素晴らしい」と思います(2017年7月に公開)。

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10097047678.html(これまでの記事)

 

さて、「6月9日」は、フランスを代表する「偉大な女性歌手」、バルバラ(1930-97, 本名モニック・セール)の「誕生日」でした。

 

今年は、「生誕90周年」という「記念の年」にも当たっており(「2017年」は「没後20周年」でした。「命日」は、「11月24日」です)、今回の「選曲」は非常に「悩み」ました。

 

 

「第一」の候補は、実は次の曲、「y'aura du monde "私の埋葬式に"」(1966-67)だったのですが、「本当に」悩んだ末、上掲の「parce que (je t'aime) "愛するゆえに"」(1966-67)に変更いたしました。

 

ただ、こちらの曲も、この「ライヴ(ボビノ1967)」では大変「気分」が乗っていて、バルバラの、「茶目っ気」ある、「快活」な一面がうかがい知れるものだとも言えますので、また近いうちに、「必ず」採り上げたいと思っています。

 

 

今回紹介する曲、「parce que (je t'aime) "愛するゆえに"」は、1966年12月から、翌年1月にかけて行なわれた、パリ、モンパルナスの「ボビノ劇場」での公演にて発表された「新曲」の1つで、1967年4月から5月にかけて、あらためてスタジオでも録音された名曲です(これら「新曲」は、公演前に録音された音源も残っていますが、基本的に、「大全集」内でしか聴くことが出来ません)。

 

 

当時の「ボビノ劇場」は、「3大巨匠」の1人、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)が、「看板スター」として、度々出演していたことでも「有名」ですが、そのブラッサンスの逝去後、1980年代半ばにいったん「閉館」となりました。

 

その後、業態を変え「再スタート」しましたが、現在では、再び、有名アーティストが舞台に立つこともあるようです。

 

しかし、一般に、「ボビノ劇場公演」と言う時には、「1930年代以降」のダミア(1889-1978)や、ピアフ(1915-63)の時代、そして特に、「オランピア劇場」への「ステップ」として、また、「オランピア劇場」の「ライバル」として、ブラッサンスが「大活躍」していた、「1950年代中盤以降」のことを指しています。

 

 

バルバラは、1964年10月、その「ブラッサンス公演」の前半、「2番手スター(ヴデット・アメリケーヌ)」としてステージに登場した際、「大絶賛」を博しました。

 

 

(参考)次のCDは、その公演の「ライヴ録音」ですが、「当然」ながら、「後半」のブラッサンスのみの収録です。

 

ただ、この公演の「前半」で、バルバラが歌って「大成功」を収めたことは、憶えておいて損はないでしょう。

 

 

 

「彼女の悲しいシャンソンは、ブラッサンスの陽気な歌を、ほとんど忘れさせてしまうほどだった」

 

このようなコメントも残っているほどです。

 

 

当時のバルバラは、ちょうど、フィリップス社での「最初」のアルバム、「Barbara chante Barbara(邦題「私自身のためのシャンソン」)」が発売となった頃でもありました(このアルバムは、翌年、「ACC(アカデミー・シャルル・クロ)ディスク大賞」を受賞しています)。

 

 

このアルバムですね。

 

翌1965年には、日本にも紹介され、その後の「バルバラ人気」を呼んだ、「記念すべき1枚」です。

 

 

このアルバムと言えば、やはりこの曲でしょう。

「Nantes "ナントに雨が降る"」(1963-64)。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12332372079.html?frm=theme(参考:この曲の記事)

 

 

翌1965年9月15日、ラジオ局「France Inter」が、「バルバラ・デー」と銘打って、「彼女の1日」を特集しました。

 

 

その夜、初めて、「グランド・ヴデット(いわゆる「真打ち」)」としてボビノ劇場に出演しましたが、その時の「感動」をもとに作られたのが、次の曲、「ma plus belle histoire d'amour"わが麗しき恋物語"」なのです。

 

この作品も、このステージで発表された1曲です。

 

ce fut un soir en septembre,

vous etiez venus m'attendre

ici meme, vous en souvenez-vous?

 

それは、ある「9月の夜」のこと

あなた(がた)は、私を待つために

ここ(「ボビノ劇場」)に来てくれました 憶えていますか?

 

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12330214267.html?frm=theme(参考:この曲の記事)

 

 

「Madame "マダム"」も、やはりこのステージにて発表された、「至高の名作」。

 

「彼」の「母親」によって、「恋人同士」だった二人の仲は「引き裂かれる」ことになってしまいましたが、彼が「戦死」したことにより、その母親から、「自分の無理解」を詫びる「手紙」を受け取り、心が「揺れ動く」様子を描いた作品です。

 

描写がとても「リアル」で、心に「深く」染み入ります...。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12267985850.html(参考:この曲の記事)

 

 

「a chaque fois "愛の語らいにはいつも"」は、「公演前」(1966年11月)の他、1965年にも「2回」、録音が行なわれていますが、そのいずれも、現在では、基本的に、「大全集」内でしか聴くことが出来ません(「正式録音」は、やはり1967年4~5月のものです)。

 

この「ボビノ劇場」でのライヴ録音は、「燃えるような」パフォーマンスであり、まさに「イチ押し」です!!

 

 

この音源も、ようやく「正式」にアップされました。

 

幼いころの「思い出」とリンクしている、この、「静か」で、「抒情的」な一編は、現在では「あまり目立たない」作品かも知れませんが、「名作」には違いありません。

 

「au coeur de la nuit "真夜中に"」。

 

 

何とも「にぎやか」な終幕!!

 

アンコール曲、「les rapaces "欲ばりども"」。

 

歌い始める前のMCでは、演奏中に、いくつか「ミス」をしてしまったことを、ユーモアを交えながら話しています。

 

 

さて、こちらの曲、「Marie Chenevance "マリー・シェヌヴァンス"」もやはり、1967年発表の作品ですが、現在では、「ほとんど忘れ去られている作品」と言えるかも知れません。

 

しかし、この作品の「詞」を書いているのは、実は、つい先日亡くなられた、名作詞家、ジャン=ルー・ダバディ氏(1938.9.27-2020.5.24)なのです(とても「珍しい」作品です)。

 

ジャン=ルー・ダバディは、ミシェル・ポルナレフ(1944-)の大ヒット曲、「holidays "愛の休日"」(1972)、「lettre a France "フランスへの手紙(哀しみのエトランゼ)"」(1977)などの詞を書いていることでも知られていますが、日本では、「FIFAワールドカップ2002(日韓大会)」の際、当時の「日本代表」監督、フィリップ・トルシエ(1955-)の「通訳」として同行していた、フローラン・ダバディ氏(1974-)の「父親」としての方が知られているかも知れません。

 

 

この場をお借りしまして、あらためて、ジャン=ルー・ダバディ氏のご冥福をお祈りしたいと思います。

 

合掌...。

 

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12178198710.html?frm=theme(参考:「フランスへの手紙(哀しみのエトランゼ)」の記事)

https://ameblo.jp/utrillo-714/entry-12599515961.html(参考:ユトリロさんの記事)

 

 

さて、そんなこんなで、結局、「アルバム全体」を俯瞰する、「大がかり」な記事となってしまいましたが、たしかに、「名曲揃い」と言える「ボビノ1967」(ライヴによる「ベストアルバム」とも言うことが出来ます)、そして、アルバム「ma plus belle histoire d'amour "わが麗しき恋物語"」...。

 

これらのアルバムの「名曲」は、また随時、採り上げてみたいと思っています。

 

 

「ボビノ1967」については、ユトリロさんの、こちらの記事もどうか「ご参照」ください。

 

この録音が、「SACD」にて、「日本盤」で発売されたという話題です。

https://ameblo.jp/utrillo-714/entry-12562695169.html(ユトリロさんの記事)

 

 

それでは以下に、「parce que (je t'aime) "愛するゆえに"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

「本来」ならば、「別れ」を歌った、このような曲の歌詞は、「出会いの場」でもある「ブログ」に載せるのは「心苦しい」ばかりではあるのですが、「バルバラ」という人物の、「人生哲学」をも知ることが出来る、大変「深い」作品でもありますので、掲載することにしました。

 

その点は、どうかご了承をお願いいたします。

 

それではまた...。

 

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parce que (je t'aime)  愛するゆえに

 

c'est parce que ton epaule

a mon epaule,

ta bouche a mes cheveux

et ta main sur mon cou,

c'est parce que dans mes reins

quand ton souffle me frole,

c'est parce que tes mains

c'est parce que joue a joue,

c'est parce qu'au matin

c'est parce qu'a la nuit

tu me dis(*quand tu dis) "viens", je viens

tu souris, je souris

c'est parce qu'ici ou la

dans un autre pays

pourvu que tu y sois

c'est toujours mon pays

 

それは、あなたの肩が

私の肩にふれたから

私の髪にふれたあなたのくちびる

そして、私の首をふれるあなたの手

それは、あなたの吐息が

私の腰に優しくふれたから

それは、あなたの手だったから

それは、頬と頬をすり寄せたから

なぜなら、朝に

なぜなら、夜に

「おいで」とあなたは言い、私も行く

あなたは微笑み、私も微笑む

なぜなら、ここであろうと、向こうであろうと

他の国でだって

あなたが居さえすれば

いつだって私の国だから

 

c'est parce que je t'aime

que je prefere m'en aller

c'est mieux, bien mieux, de se quitter (*car il faut savoir se quitter)

avant que ne meure le temps d'aimer

 

あなたを愛しているからこそ

私は、去ることを選ぶわ

その方がいい、ずっといい、別れた方が(*別れた方がいいと知るべきよ)

「愛する時間」が死んで(終わって)しまわないうちに

 

c'est parce que j'ai peur de voir s'endeuiller

les minutes, les heures, les secondes passees,

c'est parce que je sais qu'il faut un presque rien

pour defaire une nuit et se perdre au matin

je ne laisserai pas pencher sur notre lit

ni l'ombre d'un regret, ni l'ombre d'un ennui(*de l'ennui),

je ne laisserai pas mourir au fil des jours

ce qui fut toi et moi, ce qui fut notre amour

pour qu'il ne soit(*il ne sera) jamais emporte par le temps

je l'emporte moi-meme, il restera vivant

 

それは、お互い悲しむ姿を見るのが怖いからよ

過ぎ去った、「ひと時」や、「時間」や、「瞬間」...

なぜなら私は知っているから

夜を追い払い、朝にわれを忘れても

それはほとんど「何でもない」ということを

私たちのベッドの上にうつむいたままでいたくはないの

後悔の影も、倦怠の影すらも

日々の流れのままに死ぬようなことはしたくない

「あなたと私」であったもの、「私たちの愛」であったもの

それが、「時の流れ」によって運び去られるようなことがあってはダメだわ

私自身が決めること そうすれば生き残れるわ

 

oh laisse-moi, oui, je t'aime

mais je prefere m'en aller

c'est mieux tu sais, de se quitter (*car il faut savoir se quitter)

avant que ne meure le temps d'aimer

 

ああ、そっとしておいて そう、愛してる

でも、私は、去ることを選ぶわ

その方がいい、分かるでしょ(*別れた方がいいと知るべきよ)

「愛する時間」が死んで(終わって)しまわないうちに

 

j'en ai vu comme nous qui allaient a pas lents

et portaient leur amour comme on porte un enfant

j'en ai vu comme nous qui allaient a pas lents

et tombaient a genoux dans le soir finissant

je les ai retrouves, furieux et combattants

comme deux loups blesses, que sont-ils maintenant?

 

私は、私たちのようにゆっくりと歩みを進める人たちを見たわ

子どもを授かるという、愛を抱いて

私は、私たちのようにゆっくりと歩みを進める人たちを見たわ

ある夜の終わり、膝をついて

たけり狂い、争い合っている彼らを

まるで傷を負った二匹の狼のように 彼らはいま、どうしているのかしら?

 

ca, je ne peux pas, je t'aime

je ne veux pas nous dechirer

c'est mieux tu sais(*crois-moi), de nous quitter

avant que ne meure le temps d'aimer

c'est mieux..., de nous quitter

avant que ne meure le temps d'aimer

 

そんな..私には出来ない 愛してるから

私は、そんな風にはなりたくはない

分かるでしょ 別れた方がいいと

「愛する時間」が死んで(終わって)しまわないうちに

その方がいい...別れた方が

「愛する時間」が死んで(終わって)しまわないうちに

 

(*)は、1967年に録音された、「スタジオ録音」での歌詞です。

 

 

 

 

 

こちらのCDには、「a chaque fois "愛の語らいにはいつも"」も収録されていますが、正規の「スタジオ録音」(1967)ではなく、先述の、「1965年」の「試演版(9月1日録音)」が使われています(「1966年ハンブルク録音」の記載がありますが、それはまた「別」の録音です)。

 

 

(daniel-b=フランス専門)