アラン・バリエール死去を伝えるニュースです。
こちらは、「よく知られた5曲」を紹介しています。
またしても「訃報」が飛び込んで来ました...。
シャンソン界の「大スター」の1人である、アラン・バリエールが、18日、逝去されたということです。84歳でした。
今回のこの情報は、ユトリロさん(この記事は、ユトリロさんの記事の「リブログ」です)、ホブさんともに挙げていらっしゃいます。
https://ameblo.jp/hobucat/entry-12560888344.html(ホブさんの記事)
アラン・バリエール(本名アラン・べレック)は、1935年11月18日、ブルターニュ地方の港町、ラ・トリニテ=スュル=メールに生まれました。
約30kmほど離れた、ロリアンの街で中学校に通った後は、アンジェにある「技術系」の名門校、「アール・ゼ・メティエ」に学んだバリエールでしたが、そうした「理系」の彼を「転換」させたのは、友人から勧められた、詩人フランシス・カルコ(1886-1958)の詩集、「放浪生活とわが心」(1912)だったと言います。
それ以降、ヴェルレーヌ(1844-96)や、ランボー(1854-91)など、フランスの「有名詩人」の作品を「むさぼり読んだ」ということです。
1959年には、「技術者」として、パリで「就職」もしたようですが、1955年頃から「作詞・作曲」も始めており、ギターを弾きながら歌ったりもしていました。
1961年には、「オランピア劇場」にて行なわれたコンクールに入賞し、これが「きっかけ」となって、レコード会社との「契約」にもありつけました。
次いで1962年には、コレット・ルナール(1924-2010)の「前座」としてオランピア劇場に出演しましたが、待望の「大ヒット」が生まれたのは、この翌年、「1963年」のことです。
1963年、「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」に、「フランス代表」として、自作の「elle etait si jolie "愛し合った時"」(原題は、「彼女はそれほど美しかった」という意味)をもって臨んだアラン・バリエールは、「グランプリ」こそ逃しましたが、ラジオを聴いていた「一般大衆」からの支持を大きく集め、一躍「有名」となりました。
こちらがその、「elle etait si jolie "愛し合った時"」です。
この映像は、1963年3月4日放送のテレビ番組からのものということです。
こちらも大ヒット曲です。
「plus je t'entends "あなたの声を聞く時"」(1963-64)(この音源は「再録音」のものと思われます)。
ここに使われている映像は、映画「ポワゾン(原題「Original Sin」)」(2001)からでしょうか...。
こちらの曲「la Marie-Joconde "マリー・ジョコンド"」も同じ頃の作品で、「最晩年」であったエディット・ピアフ(1915-63)が、「病床」でこう語ったと言われています。
「神様が、いま少し私に生きることを許してくださるのなら、ぜひ歌ってみたい。
これはきっと、"世界的なヒット"になるでしょう...」
こちらは、1964年の大ヒット曲「ma vie "マ・ヴィ(私の人生)"」です。
この映像は、1972年6月20日に、テレビで歌ったものです。
1966年、バークレ社へ移籍して最初のヒットが、こちらの「toi "トワ(きみ)"」です。
この映像は、1967年4月13日のものです。
「lamento "ラメント(挽歌)"」も同じ頃の作品。
ガルシア・ロルカ(1898-1936)、ジョン・F・ケネディ(1917-63)の死を悼んだ曲です。
「海への想い」を歌った曲、「a regarder la mer "悲しみは海の色"」(1970)です。
「les yeux d'Elsa "エルザの瞳"」(1969)は、ルイ・アラゴン(1897-1982)の詩による作品です。
異色のヒット曲、「un homme s'est pendu "首吊り男"」(1968)。
アラン・バリエールは、1971年に自身のレコード会社を設立して「独立」し、1973年には「来日」も果たしました。
しかし、徐々に人気に「翳り」が見え始め、1977年には、「税金問題」から、「北米」での生活を余儀なくされたといいます(このあたりのエピソードは、ほぼ同時期のミシェル・ポルナレフをも思い出させます...)。
1990年代初めにフランスへ戻ったアラン・バリエールは、母国での活動を「再開」させましたが、2011年1月には、「3度目」という「脳血管障害」に襲われ入院。その後、ブルターニュの自宅で「静養」していましたが、2011年9月10日の地元、ラ・トリニテ=スュル=メールでの公演、および、16日のパリ、「パレ・デ・コングレ」での公演をもって、「引退」する発表を行ないました。
「新時代」にあっても、「ロック」や「ye-ye(イエ・イエ)」に「対抗」する曲作りを貫いていたアラン・バリエール。
その歌唱は、いわゆる「スタンダード・ナンバー」においても「定評」がありました。
私も「大好き」な、「Domino "ドミノ"」の「名唱」です。
アンドレ・クラヴォー(1911-2003)が1950年に歌ったものが「オリジナル」です。
アラン・バリエールの録音は、最初のレコード会社、「RCA」でのものです。
すでに「歌手活動」からは退いていたアラン・バリエールですが、「素晴らしい歌声」で、やはり「一時代」を築いた「大歌手」には違いありません。
あらためて、ご冥福をお祈りしたいと思います。
合掌...。
アラン・バリエール(1935.11.18-2019.12.18)
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(daniel-b=フランス専門)


