「最新」のニュースです。

 

1989年11月9日、「東西ベルリン」を隔てていた「ベルリンの壁」が「崩壊」しました。

「平成元年」の出来事です。

 

そのきっかけは、東ドイツ(当時)の政府報道官、ギュンター・シャボウスキー(1929-2015)が、決議されたばかりの「政令」を、会見で、「誤って」発表したことによります。

 

そのシャボウスキー氏の「死去」(2015年11月1日)を伝えた、イギリスBBCテレビのニュースからです(日本語吹替え版)。

 

さて、本日「11月9日」は、かつての「東西冷戦」の「象徴」であった、「ベルリンの壁」が「崩壊」した「記念日」ですが、今年は、それからちょうど「30年」という、「記念の年」でもあります。

 

「ベルリン」は、1701年に「プロイセン王国」の都となってから、一貫して「ドイツの首都」でした。

 

しかし、「第二次世界大戦」(1939-45)で、ドイツは、「無条件降伏」(1945年5月8日)により「敗戦」が確定したため、「戦勝4ヶ国」(米/英/仏/ソ連)によって「分割占領」されることになり、首都「ベルリン」もまた、それぞれの管理地区に「分割」されることになったのです(そのため、「米英仏」が統治していた「西ベルリン」は、西側の「飛地」ということになりました)。

 

そのうち、「米英仏」3国と、「ソ連」は「対立」するようになり、1948年6月24日、ソ連が、「西ベルリン」への、すべての「鉄道」、「道路」を「封鎖」するという事件が起こりました(「ベルリン封鎖」)。

 

ソ連の狙いは、西側の、「西ベルリン統治の放棄」でしたが、「全面対決」を避けるために、「空路」の封鎖までは行ないませんでした。

 

「人口約200万人」という「西ベルリン」をどう救うか...。

 

そこで、「西側」がとった作戦が、「ベルリン大空輸」でした。

 

アメリカは、「西ベルリンを見捨てるつもりはない」と宣言し、「食料」、「物資」の空輸体制を整えました。

 

ソ連側の「妨害」も多々ありましたが、「協定」によって「空路」は「保証」されていたこともあり、最終的に、この作戦は「成功」しました。また、この時に、「突貫工事」によって開港したのが、現在の、「ベルリン・テーゲル国際空港」です。

 

ソ連は、「ベルリン封鎖の失敗」を認めざるを得なくなり、1949年5月12日、封鎖は「解除」されました(「空輸作戦」は、同年9月末まで続けられました)。

 

米英仏は、「統一ドイツ」の建設をあきらめ、1949年5月23日、「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」を建国(「暫定首都」は、ベートーヴェンの「生誕地」でもある「ボン」)。対するソ連側も、同年10月7日、「東ベルリン」を「首都」とする、「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」を建国し、東西ドイツの「分断」は、「決定的」なものとなったのです。

 

しかし、当時はまだ、東西ベルリンの往来は「自由」でした。

 

そのため、「東側」から「西側」への「人口流出」が続き、「東ドイツ」は、「深刻」な影響を受けていました。

 

「危機感」を抱いた「東ドイツ」と「ソ連」は、突然、「西ベルリン」を「包囲」し、「東西ベルリン間」および、西ベルリン周辺の、東ドイツとの「分割境界線」、合計「155km」あまりの通行を「一斉遮断」しました。

 

それが、「1961年8月13日午前0時」のこと。

 

これが、「ベルリンの壁」の「始まり」でした。

 

「有刺鉄線」が張りめぐされたその境界線付近は、やがて「壁」が建設され、東西の往来は「不可能」となりました。

 

この「ベルリンの壁」により、人々は、「家族」や、「友人・知人」と「不意」に引き離されることとなり、この壁を越えようとした者たちは、警備兵の銃により、次々と、その命を落とすことになったのです。

 

その模様を「取材」し、「コンセプト・アルバム」として世に送り出したのが、ダニエル・バラボワーヌ(1952-86)です。

 

まだ「初期の作品」と言える、1977年4月に発売された、2枚目のアルバム、「les aventures de Simon et Gunther...Stein "シモンとグンター兄弟の冒険"」は、「商業的」には成功しませんでしたが、このアルバムの代表曲、「lady Marlene "レディ・マルレーヌ"」をテレビで歌ったところ、それがミシェル・ベルジェ(1947-92)の眼にとまり、その後、ロックオペラ「スターマニア」(1979年初演)の出演につながりました。以降、「兄弟同然」の付き合いとなったことは、これまでにも書いている通りです。

 

「la porte est close "門は閉ざされた"」。

 

不意に通行が出来なくなってしまった、「1961年8月13日」のベルナウアー通り。

「混乱」している、兄シモンの心境が歌われています。

 

「西側」にいる弟グンターからの手紙を受け取ったシモンは、そのグンターが、兵士たちに連れて行かれるのを目の当たりにし、うなだれてしまいます(「la reponse "返事"」)。

 

「ベルリンは何も変わってはいない。

抜け出すことはあまりにも難しい...」

 

このアルバムを代表する曲、「lady Marlene "レディ・マルレーヌ"」がこちらです。

 

兄シモンは、「東側」からの「脱出」を試みて命を落としました。

 

兄を迎え入れるため、「壁の向こう」で待っていた弟グンターもまた「負傷」しましたが、彼は、「治療」により、一命を取り留めました(「la lettre a Marie "マリーへの手紙"」)。

 

このアルバムについては、以下の記事にて詳しく書いています。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12135961116.html?frm=theme(参考:記事その1)

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12136136293.html?frm=theme(参考:記事その2。「レディ・マルレーヌ」対訳掲載)

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10095491551.html(ダニエル・バラボワーヌがテーマの記事一覧)

 

Advent D Simon & Gunth Stein Advent D Simon & Gunth Stein
12,544円
Amazon

 

25th Anniversaire 25th Anniversaire
4,254円
Amazon

 

 

このアルバムで歌われている「ベルナウアー通り」は、「実在する通り(地名)」です。

 

「ベルリンの壁の悲劇」を「象徴」するかのような通りであり、アパートの中は「東側」、目の前の通りは「西側」ということで、住民が窓から飛び降りて逃げるという光景が、1961年8月12日から13日にかけて、「現実」に見られました。

 

この「ベルナウアー通り」では、その「壁」の一部が、現在も「保存」されています。

https://www.google.co.jp/maps/@52.5350246,13.3895329,3a,77.5y,97.91h,101.57t/data=!3m6!1e1!3m4!1sJvnQzrlPXqqyVWE-EOF6dQ!2e0!7i13312!8i6656

 

「ベルリンの壁」は、上掲のように、「誤った情報」がもとで一気に「崩壊」となりましたが、当時は、1985年のゴルバチョフ政権誕生(ソ連)により、東欧にも、「改革の波」が押し寄せていた時代でもありました。

 

「冷戦」は「終結」し、「東西ドイツ」は、1990年10月3日、「再統一」されました。

 

「ベルリンの壁」崩壊から「30年」...。

 

しかし、現在もなお、世界では「紛争」や「対立」が続いています。

 

ドイツ国内でも、「旧東西」の「格差」は、依然「埋まっていない」と言います。

 

「ベルリンの壁」や、その「崩壊」が「遠い記憶」となる中で、それでもやはり、当時の「歓喜」を、いま一度、「思い出してほしい」と思うのは、私だけではないはずです。

 

そうした意味も込めて、今回、この記事を書かせていただきました。

 

それではまた...。

 

(参考文献)

 

(daniel-b=フランス専門)