1961年10月の、オランピア劇場公演からの録音です。
初めて「グランド・ヴデット(真打ち)」として「オランピア」の舞台に立ったブレルは、「新曲」も数多く揃えて観客を「魅了」しましたが、この曲も「その1つ」です。
まだ「デフォルメ」のない、「ストレート」なその歌唱が、胸に「突き刺さる」ようです。
この公演では、「劇場専属」のオケ(指揮は、ダニエル・ジャニン)が伴奏を務めたため、ジェラール・ジュアネスト(1933-2018)の他に、フランソワ・ローベール(1933-2003)も「ピアノ」を弾いています。
こちらは、近年発見された、その翌年5月のパリでのライヴ録音です。3月に「バークレー」に移籍したこともあり、その録音のスタイルにて歌われています。歌詞の内容に沿った、より「ドラマティック」で、「自己嫌悪」の感じられる歌唱だと言えます。
こちらはさらに翌年(1963年)の、「テレビライヴ」での映像ですが、歌詞に込められた「苦い思い」が、これならとても「分かりやすい」と思います。
右手を上げ、照明を落として、「銅像」であることを表現しているのが、とても「印象」に残ります。
次の音源が、公式の「スタジオ録音」です(1962年3月7日)。
移籍後間もなくのこの録音は、「大仰」なようでいて、実は、その「詞の世界」を深く掘り下げた、「彫りの深い表現」であるとも言うことが出来ると思います。
次回紹介予定の「Zangra "俺の名はザングラ"」(1961-62)とともに、「戯曲的」な趣きを持った作品であることがよく分かる録音で、バックのオケも、実に「味わい深い」ものが感じられます。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12451874621.html(前回の記事)
https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10096189787.html(これまでの記事)
昨年、「没後40周年」(「10月9日」が「命日」)を迎えた、シャンソン界の「3大巨匠」の1人、ジャック・ブレル(1929-78)ですが、今年は「生誕90周年」と、これもまた「記念の年」に当たっています。
その「誕生日」は、「4月8日」です。
というわけで、「特集」でお送りしていますが、今回、次回とお送りする曲は、ともに、「初めての記録的成功」となった、1961年10月の「オランピア劇場公演」において発表された「新曲」です。
このオランピア劇場公演の後、ブレルは、「最初期」から所属していた「フィリップス社」(現在では、「音楽部門」は「廃止」されています)から、エディ・バークレー(1921-2005)が創設した「バークレー社」に「移籍」しました。
その「移籍第1弾」となったレコードが、「les bourgeois "ブルジョワの嘆き"」ですが、「1962年3月6日」から録音が開始されたそのレコードは、程なく、「店頭」にも並びました(「シングル」、「アルバム」ともに、ほぼ「同時発売」です。「アルバム」は、当時、「8曲」入りの「25cm盤」と、現在も残る、「12曲入り」の「30cm盤」が「混在」していました)。
今回紹介する曲は、「la statue "私の銅像"」(1961-62)です(単に、「銅像」としている邦題もあります)。
先述のように、「フィリップス時代」である、1961年10月のオランピア劇場公演で発表された「新曲」ですが、その後「すぐ」の移籍となったため、「フィリップス社」ではレコーディングがされることがなく、「ライヴ録音」としてのみ残りました。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12148831939.html?frm=theme(参考:「オランピア1961」その1の記事。この曲を含みます)
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12149616841.html?frm=theme(参考:「オランピア1961」その2)
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12150098449.html?frm=theme(参考:「オランピア1961」その3)
正式なレコーディングとなったのが、「移籍後」すぐということになりますが、この曲は、「2日目」である、「3月7日」に録音が行なわれました。
「ライヴ録音」は「フィリップス」、「スタジオ録音」は「バークレー」と分かれましたが(後に「統合」)、そのどちらも、「消えることなく」、現在に至るまで「残り続けている」ことは、とても「素晴らしい」ことだと思います。
今回の曲、「la statue "私の銅像"」は、詞はもちろんブレル自身が書いていますが、曲は、フランソワ・ローベール(1933-2003)との「共作」となります。
フランソワ・ローベールは、前回の記事、「la valse a mille temps "華麗なる千拍子(千拍子のワルツ)"」でも聴いていただいた通り、自身のオケを率いて、「素晴らしい伴奏」でブレルを支え続けた「編曲・指揮者」ですが、彼がブレルと出会ったのも、仲間うちでは最も古い、「1956年」のことです。つまりは、ほぼ「最初期」からの「付き合い」と言えるわけです。
その後、「正式なピアニスト」となるジェラール・ジュアネスト(1933-2018)が加入するまでは、彼自身がピアノを弾き、曲もいくつか書いていました。ジェラールが加入して以降は、「編曲・指揮」に専念したこともあってその数は減りましたが、それでも、今回の曲「la statue "私の銅像"」や、同じアルバムの曲「chanson sans paroles "無言歌"」、また、「l'Ostendaise "オスタンドの女"」(1968)などといった「美しい曲」を、いくつか書いています。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12202868754.html?frm=theme(「無言歌」の記事)
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12371894128.html?frm=theme(「オスタンドの女」の記事)
「chanson sans paroles "無言歌"」(1962)は、ここにも載せておくことにしましょう。
さて、今回の曲は「la statue "私の銅像"」ですが、次のニュースは、ブレル生誕の地、「ブリュッセル」にも、ついに「銅像」が建てられたという話題です(2016年には、歌のタイトルともなっているフランスの都市、「ヴズール」の劇場に、ブロンズの「胸像」が展示されたということで、これに続いての、「3体目(?)」のようです)。
2017年10月11日、ブリュッセル近郊出身の彫刻家、トム・フランツェン(1954-)の手による銅像「l'Envol(飛翔)」が、「Fondation(edition) Jacques Brel(ブレル財団による記念館)」の目の前、「ヴィエイユ・アル・オー・ブレ広場」にお目見えしました。
その「制作風景」ですが、「悪い」ですけど、ちょっと「恐い」(笑)ですね...。
https://www.google.co.jp/maps/@50.8446527,4.3522657,18.35z(周辺地図です。「小便小僧」から、坂を上って来てすぐのところにあります)
ブレルと言えば、「メトロの駅」(ブリュッセル)は、1982年にすでに出来ていますね。
https://www.google.co.jp/maps/@50.843916,4.3212393,15.64z(画面中央。「西駅」の隣りの駅です)
次は、ブロードウェイ・ミュージカル「Jacques Brel is alive and well and living in Paris」(1968)からの「英語版」です。
こちらも、モート・シューマン(1936-91)らによる「オリジナル」ではなく、アメリカのセント・ルイスにあるミュージカル劇団、「New Line Theatre」による公演からの映像です(1997年)。
「オリジナル盤」のCDには、この曲は収録されてはいませんが、1968年の「初演」から歌われていたようです。
http://www.newlinetheatre.com/(公式サイト)
こちらも「英語版」ですが、若き日のブレルと「親交」のあったロッド・マッケン(1933-2015)の詞は、「ミュージカル版」とは異なります。
それでは、以下に、「la statue "私の銅像"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。
この作品は、「自己嫌悪」の歌です。そしてその歌には、「自嘲の響き」が感じられます。
自分の死後建てられたその銅像に、刻み込まれた「栄誉の言葉」の数々...。
しかし、実際の自分は、決して、そんなに「偉大」な人間ではなかった...。
「友」を裏切り、「愛人」までも裏切り...。
「神」に祈ることもそんなにあるわけでもなく、
ただ「退屈」だったから「戦争」をしに行って、
死んでしまった自分...。
子どもたちからの「尊敬」は嬉しいが、そんな「自分」を見られたくはない...。
実に「胸を打つ」一編です。
その詞の「鋭さ」は、私たちの「心の闇」をも暴いていくような感じがします。
「初期」ながら、これほどの作品を、ブレルは書いていたのです。
現在では、あまり「目立つ」曲ではありませんが、いつまでも「忘れられない」作品です。
亡くなって「40年」が過ぎたブレルですが、娘のフランス・ブレル(1953-)が運営している「Fondation Jacques Brel(ブレル財団)」の「目の前」で、「銅像」となった彼は、「この歌と同じこと」を思っているのでしょうか...。
次回は、この流れで、同じく、1961年のオランピア劇場公演にて発表された曲、「Zangra "俺の名はザングラ"」(1961-62)について書いてみたいと思います。
それではまた...。
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la statue 私の銅像
j'aimerais tenir l'enfant de Marie
qui a fait graver sous ma statue
"il a vecu toute sa vie
entre l'honneur et la vertu"
moi qui ai trompe mes amis
de faux serment en faux serment
moi qui ai trompe mes amis
de jour de l'An au jour de l'An
moi qui ai trompe mes maitresses
de sentiment en sentiment
moi qui ai trompe mes maitresses
du printemps jusques au printemps
ah cet enfant de Marie je l'aimerais la
et j'aimerais que les enfants ne me regardent pas
マリーの子どもを抱きたい
その子は、私の銅像の下に、こう刻ませたから
「彼は、その生涯を全うした
名誉と美徳に囲まれて」
でも、その「私」はと言えば、友人たちをだまし続けた
偽りの誓いから偽りの誓いへと
友人たちをだまし続けた
元日から、次の元日までも
愛人たちをもだまし続けた
愛情から愛情へと
愛人たちをもだまし続けた
春から、また次の春までも
ああ、このマリーの子ども...私はこの子を愛したい
しかし私は、子どもたちに見られたくはない...
j'aimerais tenir l'enfant de careme
qui a fait graver sous ma statue
" les Dieux rappellent ceux qu'ils aiment
et c'etait lui qu'ils aimaient le plus"
moi qui n'ai jamais prie Dieu
que lorsque j'avais mal aux dents
moi qui n'ai jamais prie Dieu
que quand j'ai eu peur de Satan
moi qui n'ai prie Satan
que lorsque j'etais amoureux
moi qui n'ai prie Satan
que quand j'ai eu peur du Bon Dieu
ah cet enfant de careme je l'aimerais la
et j'aimerais que les enfants ne me regardent pas
(「食を絶って」やせた)聖者のその子どもを抱きたい
その子は、私の銅像の下に、こう刻ませたから
「神々は、愛する者たちを呼び戻す
そしてその中で、彼こそが、最も愛された者だったのだ」
でも、その「私」はと言えば、神になど祈ったことなどなかった
歯が痛かったときを除いては
神になど祈ったことなどなかった
悪魔が恐かったときを除いては
悪魔にも祈らなかった私
恋をしているとき以外は
悪魔にも祈らなかった私
神様が恐かったとき以外は
ああ、この聖者の子ども...私はこの子を愛したい
しかし私は、子どもたちに見られたくはない...
j'aimerais tenir l'enfant de salaud
qui a fait graver sous ma statue
"il est mort comme un heros
il est mort comme on ne meurt plus"
moi qui suis parti faire la guerre
parce que je m'ennuyais tellement
moi qui suis parti faire la guerre
pour voir si les femmes des Allemands
moi qui suis mort a la guerre
parce que les femmes des Allemands
moi qui suis mort a la guerre
de n'avoir pu faire autrement
ah cet enfant de salaud je l'aimerais la
et j'aimerais que mes enfants ne me regardent pas...
「いやな奴」のその子どもを抱きたい
その子は、私の銅像の下に、こう刻ませたから
「彼は、英雄として死んだ
もうこれ以上、人が死なないようにと、死んでいった」
でも、その「私」はと言えば、ただ「戦争」をしに行っただけ
あまりにも「退屈」だったから
戦争をしに行っただけの私
ドイツの女たちを見てみたいがために
戦争で死んだ私
ドイツの女たちのために
戦争で死んだ私
それ以外に、やりようがなかったんだ
ああ、この「いやな奴」の子ども...私はこの子を愛したい
そして...「私」の子どもたちよ...私を見ないでくれ...
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(daniel-b=フランス専門)





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