「NHK交響楽団(N響)」の「桂冠名誉指揮者」として、日本のクラシック音楽界に大変「大きな」影響を与えた、おなじみの、ヴォルフガング・サヴァリッシュ(1923-2013)です。こちらの映像は、1993年5月、東京での演奏会のものですが、オーケストラは、「N響」ではなく、当時、「音楽監督」に就任したばかりの、「フィラデルフィア管弦楽団」を率いての公演のようです。
こちらは、そのサヴァリッシュが、「ドレスデン・シュターツカペレ」を指揮した録音で、1967年のものだということです。「総譜(スコア」)とともにどうぞ。
「オーストリア音楽総監督」という「称号」をも与えられた、「偉大」なマエストロ(巨匠)、カール・ベーム(1894-1981)。「手兵」である「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」からは「名誉指揮者」の称号を贈られました。こちらの録音は、1966年に「ベルリン・フィル」を指揮したもので、「全集盤」にもなっている「名録音」です。
こちらは、ブライアン・ニューボールド教授によって「補筆完成」された、「第3楽章」です。この「第3楽章」は、「第20小節」までがオーケストレーションされ、その後は、「主部第114小節目」までと、「トリオ(中間部)」の一部までしか残されていませんでした。この録音(1983年)は、サー・ネヴィル・マリナー(1924-2016)指揮による「アカデミー室内管弦楽団」によるもので、当時、「大きな話題」となりました(実際には、この後、「第4楽章」まで演奏されています)。
サー・チャールズ・マッケラス(1925-2010)も、この「ブライアン・ニューボールド版」による「全4楽章版」を演奏しています。「第4楽章」は、この交響曲の翌年、1823年に発表された、劇音楽「(キプロスの女王)ロザムンデ」D.797の、「間奏曲第1番ロ短調」を用いていますが、これにも「根拠」があり、「もともと、この交響曲のために用意された音楽ではなかったか」という説に基づいています。「第3楽章」、「第4楽章」をどうぞ。
ブラームス(1833-97)の「ドイツ・レクイエム」(1868)の「初演者」として知られる、指揮者で、ピアニスト、作曲家でもある、カール・ライネッケ(1824-1910)の手による「ピアノ編曲版」(1867)です。上が「第1楽章」、下が「第2楽章」です。ピアノは、ベートーヴェン(1770-1827)の交響曲全曲の「ピアノ編曲版」(リスト編曲)の演奏でも有名な、シプリアン・カツァリス(1951-)です。
「11月19日」は、作曲家フランツ・シューベルト(1797-1828)の「命日」です。今年は「没後190周年」(昨年は「生誕220周年」)ということでもあります。
今回は、シューベルトとしては「初めて」、「交響曲」について書いてみたいと思います。時期的にも、今の季節に「ピッタリ」と言えるかも知れません。また、「広く知られている曲」とも言えるでしょう。ですが、「あえて」書きます。その曲とは、ズバリ、「未完成交響曲 D.759」(1822)です。
以下は、シューベルトについてのこれまでの記事です(この他にも、シューベルトの曲について触れている記事がいくつかあります)。
https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10098857198.html(シューベルトの「ピアノ曲」の記事一覧)
https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10105647345.html(ピアノ曲以外の曲一覧)
「未完成」というその名でよく知られているこの作品ですが、これは当然、「最初から意図されたもの」というわけではなく、「結果」として、「未完成に終わった」ということから、後世の人々によって「未完成交響曲」と呼ばれるようになったものです。正式には、「交響曲第8(7)番 ロ短調 D.759 (「未完成」)」と言います。
シューベルトは、この曲に限らず、「未完成」に終わった作品が数多く存在します。「交響曲」のジャンルに限っても、他に「4曲」ないし、「5曲」は「未完成」に終わっているのであり、その意味では、この曲は決して「特別」というわけではありません。
このことは、この曲の「ナンバリング」にも「影響」を与えています。
シューベルトの場合においても、「完成作品」が初期から順に、「第1番」(ニ長調 D.82)(1813)、「第2番」(変ロ長調 D.125)(1814-15)のように番号が振られており、最初期の「交響曲断片(ニ長調)」を除けば、「第6番(小さなハ長調交響曲)」(D.589)(1817-18)までは、「そのまま」ナンバリングされています。
「問題」となるのは「第7番」以降です。
現在、新しいシューベルトの作品目録(「ドイチュ目録」)によると、この「未完成交響曲」は、「第7番」に当たるということです。これは、「自筆譜のままで演奏が可能」ということから、(完成されている)「第2楽章」までで「完成作品」とみなし、「第6番」に続く「第7番」というわけです。この呼び方で言えば、続く「大ハ長調交響曲(通称「ザ・グレート」) D.944」(1825-28)は「第8番」となります(「未完成作品」をすべて除くと、こちらが「第7番」となります)。
しかし、それにもかかわらず、古くから「未完成」=「第8番」、「ザ・グレート」=「第9番」という呼び方が、「世界的」にも「定着」しているようで、そう簡単には、「新しい呼び方」は受け入れられないようでもあります。
これは、1978年に改訂される以前の「ドイチュ目録」(1951年版)の記載に基づくものですが、これにも「根拠」があります。この「未完成交響曲 D.759」の前年、1821年にも、やはり「未完成」となった「ホ長調交響曲 D.729」があり、これを「第7番」とする見方です。この「ホ長調交響曲」は、「ピアノスケッチ」では「完成していた」とみなす向きもあり、指揮者ワインガルトナー(1863-1942)、また、イギリスの音楽学者、ブライアン・ニューボールド教授(1936-)によって「補筆完成」され、これらは「レコード」にもなりました。
これが、「未完成交響曲」を「第8番」、「大ハ長調交響曲」を「第9番」とする「根拠」なのですが、「幻の交響曲」(「グムンデン・ガスタイン交響曲」)をこの「間」に数えると、「大ハ長調」は「第10番」ということにもなり、他の「未完成作品」のこともあって、「ナンバリング」は、いまだに「混乱」しているようです。
ちなみに、「ドイチュ(目録による)番号」とは、作品の「成立順」を示すもので、「D.759」というのがそれに当たります。シューベルトの場合、ベートーヴェン(1770-1827)をはじめとした他の作曲家たちと違い、「op.」(作品番号)の表記は、あくまで、「生前に出版された作品」にのみ付けられたものです。しかし、これだけでは「作曲年代」までは「分からない」ことから、「ドイチュ目録」の方が「重要視」されているのです(「ドイチュ」は、この目録を編さんした、オーストリアの音楽学者の名前です)。
1817年10月から翌年2月に書かれた、「交響曲第6番 ハ長調 D.589」(「小さなハ長調交響曲」)の後、シューベルトは、当時「復職」したばかりの「教員」の仕事を捨て、作曲に「専念」するようになりました。また、「公」を意識してか、その後の創作には「慎重な姿勢」が目立つようになったということで、1818年を境に、その「作品数」も「減少」していきます。そして、「未完成作品」も「続出」するという、言わば、「危機の時代」に突入していくのです。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12281939587.html?frm=theme(参考:「ピアノソナタ第11番」についての記事)
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12275794890.html?frm=theme(参考:「ピアノソナタ第13番」「第14番」についての記事)
1820年前後は、「歌曲」や、「劇音楽」に「集中」していた時期でもありますが、その1820年12月に、「新たな意欲」とともに、前作(「第11番 ホ長調」D.353 op.125-2)から「4年ぶり」に書いた「弦楽四重奏曲」が、「第12番 ハ短調 D.703」です。しかし、この作品も、「前作」からは「格段の進歩」を見せるも、「第1楽章」を完成させたのみで、第2楽章の「第41小節目」で作曲は「中断」されてしまいました。そのため、この作品は「四重奏断章」というタイトルで呼ばれています。現在では、この「第1楽章」のみが演奏されることがほとんどですが、「ジュリアード弦楽四重奏団」の録音のように、「第2楽章」中断部分まで演奏されているものもあります。
「第1楽章」は、「譜面付き」でどうぞ。
「第2楽章」も何とか見つけました。エマーソン・カルテットによる演奏です。
1821年も、「劇音楽」作曲の努力は続けられ、中には「成功」を収めたものもありましたが、翌年2月までかかって完成したオペラ「アルフォンソとエストレラ」D.732は、結果として「失敗」に終わりました。
このオペラの作曲を始める1ヶ月ほど前の1821年8月に手がけられたのが、先述の、「第6番」以来「約3年半ぶり」となる「交響曲 ホ長調 D.729」でした(この曲を「第7番」と数えるのが「一般的」ですが、当然「異論」もあります)。しかし、この曲も、第1楽章の「序奏部」と、続く「主部」の一部が完成しただけで、後は、「詳細なスケッチ」が残されながら、その後「放棄」されました。
「ほぼ完成されている」と見なす向きがあることも先述の通りで、こちらは、ブライアン・ニューボールド教授による「補筆完成版」です。
この「ホ長調交響曲」の「放棄」から1年もしないうちに、ピアノ譜による「スケッチ」が書かれているのが、「未完成交響曲」として有名な、この「交響曲 ロ短調 D.759」です。オーケストラの自筆スコアにも、「1822年10月30日」と、「作曲開始」の日付けが、「表紙」に記されています(彼の習慣では、「完成日付け」は、楽譜の「終わり」に書くこととなっています)。
ここまでにも書いているように、シューベルトにおいては、「未完成作品」は、決して「珍しい」ものではありません。しかし、この作品については、さまざまな「謎」も、確かに「ある」と言えるのです。
1823年夏、「旅行」から帰ったシューベルトのもとに、グラーツの「シュタイアーマルク音楽協会」から、「名誉会員」に推薦するとの手紙が届いていました。
シューベルトは「9月20日付け」で「礼状」を書き、「出来るだけ早く、私の交響曲の1つを総譜にしてお渡しする」と記しています。その「交響曲」というのが、前年秋に書き始めた「ロ短調」のことであることは、手紙の「書き方」からも「推測できる」と、解説者も述べています。
しかし、「体調」もすぐれない中、「第3楽章」の途中まで書いて「中断」している「交響曲 ロ短調」を「完成」させるだけの「気力」は生まれなかったのでしょう。そうしているうちにも、「弦楽四重奏曲 イ短調 D.804, op.29 "ロザムンデ"」の完成(1824年3月)や、「エステルハージ家の家庭教師」(同年5月)など、「他の仕事」に没頭して、「失念」してしまっていたようでもあるのです。
しかし、「義理堅い父」フランツ・テオドール(1763-1830)に戒められ、シューベルトは、「急いで」グラーツの協会のための「交響曲」を「用意」しなくてはならなくなりました。そこで、取りあえずは、「完成」している「第2楽章」までを送り、残りは、「出来次第送る」ということになったようです。
受け取った「協会側」の人物で、シューベルトの「親しい友人」の1人でもあったアンセルム・ヒュッテンブレンナー(1794-1868)は、残りの「第3楽章」、「第4楽章」を「待っていた」ものと思われますが、その後シューベルトは亡くなりました(1828年11月19日)。「協会」でも、この交響曲のことは「忘れ去られていた」ようで、ヒュッテンブレンナー自身も、「今さら」その話を持ち出すわけにもいかなくなったのでしょう。後には、彼自身も、この話題を口にしなくなったと言います。
しかし、そのままでは、この「未完成交響曲」は、「永遠」に陽の目を見ることはなかったでしょう。
「転機」が訪れたのは1865年5月1日のことで、何と、シューベルトの死後「37年」も経ってから、ヒュッテンブレンナーの「蔵書」の中から、この「第1楽章」、「第2楽章」の「自筆楽譜」が発見されたのです。発見者は、ウィーンの指揮者、ヨハン・ヘルベック(1831-77)。彼自身の指揮で、同年12月17日に「初演」されるまで、この曲は世に知られることがなかったのです。
この「ヒュッテンブレンナー」に関するエピソードは、「確かな記録」が残っているわけではなく、あくまでも「推測」によるものだということですが、この曲に関する「人間ドラマ」を思い浮かべる時、「単なる作り話」に終わるとも思えません。
もう1つの「謎」としては、「なぜシューベルトは作曲を中断してしまったのか」ということです。
よく言われていることは、「重厚」な「第1楽章」、「第2楽章」に対して、「第3楽章」の書き出しがあまりに「平板」で、「これ以上続けることが出来なくなった」というものです。「インスピレーション的」に、「これはダメだ」ということになったのでしょう。「第2楽章までで充分だと考えたのではないか」という意見もありますが、それは「ベートーヴェン的(革新的)」な発想であり、曲の「形式」においては、意外に「古典派的(保守的)発想」を持っていたとも言われるシューベルトには、そのようなつもりは「なかった」のではないかと私は思います。これらの点については、「ピアノソナタ版の"未完成"」とも言われる、「第15番 ハ長調 D.840 "レリーク"」(1825)の記事も、ぜひご参照ください。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12251131344.html?frm=theme(「ピアノソナタ第15番」の記事)
また、「あっ」と驚く「異説」には、「シューベルトはこの曲を完成させていたが、劇音楽"ロザムンデ"に転用するため、第3、第4楽章の楽譜の返還を求めたところ散逸してしまった」というものがあるようですが、にわかには信じられない話です。
その「第3楽章」は、以前は「第9小節」までしか知られていませんでしたが、近年、「切り取られた形」で、「第20小節」までの総譜が発見されています。以降、「114小節目」までは「ピアノスケッチ」が確認され、「トリオ(中間部)」も、「16小節目」まで残されています。上掲の音源で、ブライアン・ニューボールド教授による「補筆完成版」を聴くことも出来ますが、みなさんは、どう感じられるでしょうか(私としては、次に述べる「第4楽章」も含め、「楽想的」にも、各楽章の「バランス的」にも、決して「悪くはない」と思っています)。
「第4楽章」として、最も「有力」と思われているのが、翌1823年に発表された劇音楽「キプロスの女王ロザムンデ」の「間奏曲第1番」です。この曲は、調性が「未完成交響曲」と同じ「ロ短調」であることと、作曲の「時期」、編成の「類似」から、もともとが「この曲のフィナーレ」ではないかという説です。上記の「楽譜散逸説」とも似たところはありますが、「予定を変更」して(「劇音楽」に)「転用」したという「可能性」は、充分に考えられることです。
「管楽器」をいくぶん「多用」し、「色彩感」溢れる、「メロディアス」な主題が「魅力」と言えるこの「未完成交響曲」。ほぼ「同時期」に書かれた、ピアノ独奏曲「さすらい人幻想曲 op.15, D.760」とともに、「一大転換点」ともなった作品で、これが、「充実」した、「最後の7年」(1822-28)の「幕開け」とも言えるのです。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12272218417.html?frm=theme(「さすらい人幻想曲」についての記事)
やや「裏話」に徹した感もありますが、この曲を「聴いたことがない」という方は、「完成」されている、最初の「2楽章」だけでもぜひお聴きください。その「素晴らしい音楽の世界」に、必ず「感動」されることと思います。
このテーマの次回は、「交響曲第9(8)番 ハ長調 D.944 "ザ・グレート(大きなハ長調交響曲)"」(1825-28)について書いてみたいと思います。「命日」である「11月19日」に間に合えば良いのですが...。
それではまた...。
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(daniel-b=フランス専門)

