1986年東京公演からの映像です(日本語字幕付き)。
今回は、前回の記事から引き続き、16日に世を去った、偉大な伴奏ピアニストで、作曲家であるジェラール・ジュアネスト(1933-2018)の「代表作」の1つを紹介してみたいと思います。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12377159360.html(前回の記事)
https://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10096189787.html(テーマが「ジャック・ブレル」の記事)
前回の記事でも書いている通り、ジェラール・ジュアネストは、1988年の4月、ジュリエット・グレコ(1927-)と結婚しています(今年は「結婚30周年」!!)。
ジュリエット・グレコは、言うまでもなく、「戦後シャンソン」を代表する「大歌手」の1人です。
「後進に道を譲る」ということで、「2016年」に現役を「引退」しましたが、それまでの活躍は、年を重ねてからもとても「精力的」でした。そして、その隣に「いつも」その姿があったのが、夫でもあった、ジェラール・ジュアネストだったのです。
1927年2月7日、南仏モンペリエに生まれたグレコは、戦後すぐ、パリ左岸、サンジェルマン・デ・プレにて「衝撃のデビュー」を果たしました。
「実存主義のメッカ」とも呼ばれた店、「タブー」に現われた彼女のその姿は、黒い服にパンタロン、黒い瞳に長い髪...。
「美少女」であった彼女は、当然ながら、ひときわ輝く存在であり、「サンジェルマン・デ・プレの女神(ミューズ)」との「異名」をもとりました。
ただ「美しい」だけではなく、「勝気」で、「自由」でもあった彼女は、やがて「歌手」の道を進むことになりましたが、「アイドル路線」に進むことはなく、自分の歌う歌詞は、選びに選び抜いた、「芸術性の高い」ものばかりでした。
グレコは、「最初期」のブレルの「訪問」を受けています。
グレコの自伝「グレコ 恋はいのち」(原題「Jujube」)では、「ひどく青ざめた顔をした若い男が...」と表現されています。それでも、「歌い始めると、男は美しくなった」とも書かれています。まだほとんど「無名」だったブレルは、自分の作品を、グレコに歌ってもらうために訪れたのでした。
グレコは、一度は断りかけたようではありますが、「聴衆の攻撃から守るのがもっとも難しい曲を」とリクエストし、それでブレルが選んだのが、「le Diable(ca va) "OK、悪魔"」(1953-54)でした。彼女はすぐ、「オランピア劇場」のステージでこの曲を歌い、ブレルの名を紹介しました。このことに「感動」したブレルは、それ以来、彼女を慕い、終生変わらぬ「友情」にまで発展したのです。
ブレルも、テレビ番組でこの曲を歌っています。1957年の映像です。
次いで、1959年にブレルは再びグレコのもとを訪れますが、この時に同行したのが、ジェラール・ジュアネストでした。
2人が持って来た曲は、名義上では、ジェラールの「処女作」となる「on n'oublie rien "人は何も忘れない"」(1961年発表)。
この曲も、グレコの重要なレパートリーとなりました。
もう一度、載せておきましょう...。
このように、もはや「伝説」とも呼べる「出会い」が、今日まで続いたその関係の「原点」なのです。これは、「並大抵」のことではないと思います。
今回採り上げた曲、「non Monsieur, je n'ai pas 20 ans "ノン・ムッシュー、私は20歳じゃない"」は、アンリ・グーゴー(1936-)が詞を書き、ジェラール・ジュアネストが曲を書いた1977年の作品です。
と言うより、「1970年代」における、「グレコ最大のヒット曲」と書くべきでしょう。私も、「グレコ」ときいて、「真っ先に」思い出す曲の1つです。
長年のキャリアの中でも、「特筆」されるべき、「最高傑作の1つ」と言って間違いではないと思います。
詞を書いたアンリ・グーゴーは、「城塞都市」として有名な、南仏カルカソンヌの出身で、作家でもあり、自身でも「歌う」という、「マルチ」な才能を持つアーティストです。
この歌詞は、グレコ自身の「若々しさ」をテーマにしたものだとも解釈出来ますが、その一方で、
「20歳なんて、一番いい時期なんかじゃない」
「20歳なんて、ほんの小娘」
「それは見事に滅茶苦茶だった...」
と、「反ばく」する内容ともなっています。
この「鼻っ柱の強さ」こそが、「グレコの魅力」であり、だからこそ、「自立した女性」として「受け入れられた」、と言えるのです。ですから、この曲は、まさしく、グレコの「テーマソング」とも言えるものなのです。
この曲が発表された1977年というのは、詞の中にも登場する詩人、ジャック・プレヴェール(1900-77)(シャンソン「枯葉」の詞でも有名ですね)が亡くなった年でもありますし、「最晩年」のジャック・ブレル(1929-78)から、「最新作」である「voir un ami pleurer "泣く友を見る(涙)"」を「献呈」された年でもあります。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12239903423.html(「泣く友を見る(涙)」の記事)
歌詞の中にも出て来る「je suis comme je suis "私は私"」(1951)というのは、この曲と「対」になる1曲だと言えます。
こちらの曲は、そのプレヴェールの詩集「パロール(言葉たち)」(1946)の中の一編に、やはり「les feuilles mortes "枯葉"」(1945)で曲を書いた、ジョゼフ・コスマ(1905-69)が曲を付けたものです。
こちらの曲も載せておきましょう。
「伝説」が、いまや、「本当の伝説」となってしまった感がありますが、「85歳」というのは、「天寿」を全うされたのではないかと思います。
「終いの住処」となった「ラマチュエル」は、サン=トロペにも近い、南仏の、「保養地」とも言える、「風光明媚」な街です。
まさに、自身の作曲したシャンソン、「les vieux "老夫婦"」(1963)でも歌われたような、「素敵な田舎」のように思います。
また、ミシェル・ベルジェ(1947-92)が亡くなったのも、この街に滞在中のことでした。
偉大な伴奏ピアニスト、作曲家の、ジェラール・ジュアネストが旅立ってから、間もなく「1週間」となります。
ジェラールは、かつての仲間たちと「再会」出来たでしょうか。
「新曲」の話や、中断していた「曲作り」の話が「再開」したのでしょうか。
あらためて、ジェラールのご冥福を祈らずにはいられません...。
以下に、「non Monsieur, je n'ai pas 20 ans "ノン・ムッシュー、私は20歳じゃない"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。
今回の訳詞は、ジュリエット・グレコとも親交のある、中村敬子さんのものをお借りいたしました。彼女は、グレコの自伝「グレコ 恋はいのち」(原題「Jujube」)の翻訳者でもあります。
また、上掲2番目の動画は、「日本語字幕付き」です。ぜひ、ご覧ください。
それではまた...。
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non Monsieur, je n'ai pas 20 ans ノン・ムッシュー、私は20歳じゃない
non Monsieur, je n'ai pas vingt ans
vingt ans, c'est l'age dur
ce n'est pas le meilleur du temps
je sais, je l'ai vecu
j'ai danse sur quelques volcans
troue quelques souliers
avec mes reves, et mes tourments
j'ai fait mes oreillers
et je dis encore aujourd'hui
"je suis comme je suis"
ノン・ムッシュー、私は20歳じゃない
20歳、それは苦しい年頃
一番いい時なんかじゃない
生きて来たから分かっている
噴火口の上で踊りもしたわ
靴をいくつも駄目にして
夢と苦しみで
私の枕を作ったの
そして、今もなお、こう言うわ
「私は私」と
(refrain)
oui, je me souviens des jours
quand les jours s'en allaient
comme un reve a l'envers
oui je me souviens de nuits
quand les oiseaux parlaient
sous la plume a Prevert
(ルフラン)
ええ、憶えているわ
逆戻りする夢のように
過ぎ去ったあの日々を
ええ、憶えているわ
プレヴェールのはねの下で
小鳥たちがさえずっていたあの夜を
non Monsieur, je n'ai pas vingt ans
vingt ans, c'est tout petit
moi je n'ai jamais eu le temps
d'avoir peur de la nuit
ma maison est un soleil noir
au centre de ma tete
j'y fais l'amour avec l'espoir
et l'ame des poetes
les poetes sont des enfants
des enfants importants
(au refrain)
ノン・ムッシュー、私は20歳じゃない
20歳なんて、ほんの小娘よ
私には、今まで、「夜が恐い」なんて
思うひまさえなかったわ
私の家は黒い太陽
この頭の真ん中にあるの
そこで私は希望と寝るわ
そして、詩人の魂とも
詩人は子どもよ
大切な子どもたち
(ルフランへ)
moi Monsieur, quand j'avais vingt ans
j'etais deja perdue
perdre l'orage entre les dents
superbement perdue!
moi, je dansais avec des morts
plus vifs que les vivants
et nous inventons l'age d'or
au seuil des matins blancs
j'ai toujours, cheville au corps
le meme soleil levant
non Monsieur, je n'ai pas vingt ans...
私は、20歳の時
もうすっかり、「はずれて」いたわ
口に「嵐」をくわえたように
それは見事に、滅茶苦茶だった
死者たちと私は踊っていた
それから、私たち、白い夜明けに
黄金時代を作ったわ
私はいつも、この同じ朝日を
しっかり抱きしめている
ノン・ムッシュー、私は20歳じゃない...
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(daniel-b=フランス専門)


