(「秋田」行き。進行方向左手、「海側」の車窓)

(「秋田行き」。進行方向右手、「山側」の車窓。車内放送は「最新」のもの)

現在では、とても行けるどころではない「遠隔地」を、動画サイトにアップされた動画を見ながら旅してしまおうという、「バーチャル・トリップ」...。

 

「3回目」となる今回は、昨年5月2日に公開した記事「奥羽本線 秋田-青森」に引き続いて、東北の日本海側を走る、「日本海縦貫線」を構成する路線の1つ、「羽越本線」にスポットを当ててみたいと思います。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12270695839.html(昨年の記事「奥羽本線 秋田-青森」)

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12362615295.html(廃止直前の「三江線」の記事)

 

かつて、寝台特急「日本海」(大阪-青森。2012年3月に定期運行終了。翌年、完全に「廃止」)が走っていた頃は、「寝ている間に東北へ行くことが出来る」ことから、何度も利用した路線でした。秋田、青森も、「遠隔地」に違いはないとは言え、現在ほど「遠く」に感じることはありませんでした。

 

羽越本線を初めて利用したのは、初めて「新潟市」を訪れた1991年8月25日のことですが(「新発田-新津」間)、それは後述することにして、メインルート、「新潟-秋田」間(「新潟-新発田」間は「白新線」)からまず書いてみることにしましょう。

 

その1991年に、「新津-新潟-新発田」という「三角地帯」をクリアした私は、翌1992年6月21日に、いよいよ、鉄道で「初」の「東北」の地に足を踏み入れることになりました(飛行機で「北海道」は、1991年が初めてですが、幸運にも、会社の「慰安旅行」で実現しました)。

 

当時の夜行急行「きたぐに」で、早朝に新潟入りした私は、前年には、単に「乗り換え」のみで終わった「新発田(しばた)駅」であらためて下車し、市内を観光することにしました。とは言え、「次の列車」までのことで、2時間もなかったと思いますから、それほど遠くには行っていないはずです。記憶がイマイチあやふやなのですが、「新発田城」(重文)だとすると、片道徒歩20分、「清水園」ならば、徒歩7分です。どっちだったか...。

 

夜行の急行「きたぐに」(大阪-新潟)。何かと「便利」な列車でした...。

 

その後の特急「いなほ」で向かったのが、山形県庄内地方の主要駅、「鶴岡駅」で、「初めて下車した東北の駅」となったのですが、この時は、本当に、「駅前」を見たにとどまりました。

 

次いで訪れたのが「酒田駅」です(当時の酒田市は、庄内地方の「中心都市」と言われていましたが、現在では、「鶴岡」「酒田」とも、「同等の地位」であると言われます)。ここでも、次の列車まで、「2時間」くらいしかなかったはずですが、名所である「山居倉庫」と、「日和山公園」のどちらへも、「徒歩」でまわった記憶があります。当時のガイドブックに、徒歩でまわるルートと、時間の目安が載っていたので参考にしたと思うのですが、いやあ、当時は「若かった」ですね。

 

最終的に18時過ぎに、特急「いなほ」にて秋田入りしたのが、この時の「第1日目」だったわけです。翌日は、いったん「仙台」まで出て、その日のうちに帰り着くという、現在では考えられないような「超ハードスケジュール」でした。

 

それでは、もうすこし詳しく見ていきましょう。

 

「連続立体交差化工事」が長く続く新潟駅を出てすぐ、左手側に「上越新幹線」の高架がオーバークロスしてきますが、東新潟駅付近で「終点」となります(「JR東日本 新潟新幹線車両センター」)。この先、酒田方面まで延びる「羽越新幹線」の構想もあるようですが、「実現」はするのでしょうか。

 

新潟から新発田までは「白新線」です。この名称は、当初の計画で、現在の越後線白山駅(新潟駅から西へ1駅)を「起点」としたことに由来するものです(現在の起点は言うまでもなく「新潟駅」です)。

 

最初の停車駅である「豊栄(とよさか)」(最初の動画で、12分45秒頃)は、現在では、すべての「いなほ」が停車しますが、かつては通過する列車がほとんどでした。かつては、新潟のベッドタウン「豊栄市」でしたが、現在では「新潟市北区」となっています。

 

新発田(24分頃)は、先述のように、新潟以遠で初めて下車した駅です。「美しい街」という印象がありました。新発田で思い出されるのが、「まさかいくらなんでも寿司」(新発田三新軒)ですが、登場は2000年のことで、下車した当時は存在していませんでした。現在、売店は新潟駅に集約しているようで、基本的に、新発田駅構内での販売はないようです。

 

中条(なかじょう)駅(33分40秒頃)、坂町駅(40分頃)、村上駅(48分50秒頃)と、この辺りはこまめに停車します。坂町駅は、山形県の内陸部、「米沢駅」へと向かう「米坂線」の分岐駅でもあります。「米坂線」にも当然乗車していますが、ついウトウトとしてしまって、せっかくの「絶景」を見逃した、「苦い経験」があります。

 

村上駅の先には、交直流切り替えの「デッドセクション(死電区間)」があります。えちごトキめき鉄道(旧北陸線)糸魚川駅の先で、「直流」に切り替わった電源は、ここで再び「交流」になりますが、「周波数」は、糸魚川以西の「60Hz」ではなく、東日本用の「50Hz」となります。この「電源切り替え」があるために、村上駅より先の普通列車は、「気動車」で運転されています。

 

村上から先は「海の見える区間」に入ってきます。

最初の動画で「1時間18分30秒」頃に停車するのが「府屋駅」で、新潟県「最後」の駅となります。目の前はすぐ「日本海」という駅でもあります。

 

府屋駅の次に「通過」(1時間23分40秒頃)する駅が「鼠ヶ関(ねずがせき)」で、ここからが「山形県」となります。

かつての寝台特急「日本海3号」(大阪-青森)は、ほぼ「6時」にこの駅を通過し、6時06分には、「東北最初の駅」、あつみ温泉駅に停車していました(動画では、1時間30分40秒頃)。

 

「朝6時」に目が覚めると、「東北・山形県」ということで、とても「分かりやすい」ダイヤでした。そして、目に飛び込んでくるのが、その山形県の「海」ということで、私はこの列車に乗る時は、必ず「6時」には目を覚まし、以降、青森まで「約6時間」、ベッドに座って、外の景色を見ていましたね。復路の「日本海2号」は、この区間ではもうすっかり「夜」なので(22時前後)、そろそろ「横」になっている頃です。

 

「あつみ温泉駅」も、「一度は降りたい駅」と思いながらも、いまだに実現出来ていません。かつては「温海駅」と書いていましたが、「難読」のため、駅名は、1977年に現在の「ひらがな表記」に改められ、以降、他の表記でも、これに倣うことが多くなったそうです。

 

海岸線を離れ、少し内陸部に入ると、「鶴岡駅」(1時間52分20秒頃)に到着となります。

この駅での下車は、確か「3回」です。最初が、先述の1992年6月21日ですが、この時は、本当に「駅前」を見たにとどまりました。2つのビルをつなぐ「連絡橋」が印象的でしたね。

https://www.google.co.jp/maps/@38.7395697,139.8358279,3a,48.3y,147.64h,100.34t/data=!3m6!1e1!3m4!1sP3qwWW-1CAu-sEq7CaRkJA!2e0!7i13312!8i6656

 

また、ここに見えるモニュメントは、時間が来ると「雪が降るまちを」を自動演奏していました。

この曲は、内村直也(1909-89)作詞、中田喜直(1923-2000)作曲の1952年のヒット曲ですが、作曲者である中田喜直が、鶴岡で見た雪の風景から、このメロディを思いついたと言われています。

 

2回目、3回目の下車は、どちらが先だったかはよく思い出せませんが、山形新幹線が、新庄駅まで延伸(1999年12月)した際に、新庄駅から、陸羽西線(新庄-余目。「陸羽西線」の乗車は「2度目」)、羽越本線で鶴岡まで出て、そこから「日本海2号」で帰ったことがあります。「青森」や、「秋田」からではない、「途中駅」からの乗車ということで、「珍しい」例となります(山形県の「日本海側」を代表する駅と言うことは出来ます)。

 

もう1つが、「日本最長の昼行特急」であった、旧「白鳥」号(大阪-青森)が、いよいよ「廃止」となる、その直前の、2001年1月9日、福井駅からの乗車(12時06分発)で、「下車」した時のことです(18時26分着)。駅前のホテルに宿泊しましたが、この時は、今年の福井みたいに「大雪」で、道の両側に「壁」が出来ていた中、市の中心部まで歩きました。「夜」になってからのことですし、今考えるととても「危ない」ですね。また、この時でしたか、市内の有名店、「富樫ろうそく店」(山王 日枝神社近く)で、伝統工芸品「絵ろうそく」を購入し、今でも、そのまま使わずに、手もとに残してあります。

 

「史跡旧致道館」や、「大寶館」、「致道博物館」などは、「予定」だけ立てていて、その後、訪れたかどうかは、「あやふや」なままです。

 

「鶴岡」と言えば、ブロガーで「作家」の、佐藤美月さんが、次のようなイベントを紹介されていました。

https://ameblo.jp/mks0358/entry-12371174991.html(「イギリスからくりおもちゃ展」の記事)

 

さて、動画では、2時間04分20秒頃に「余目(あまるめ)」駅に到着しますが、この駅も、現在ではすべての列車が停車しますね(かつては、通過列車もありました)。この駅でも、1回「下車経験」があります。1993年11月7日、初めて前述の「陸羽西線」に乗りに行った時、秋田への特急「いなほ」への乗り継ぎ待ちで下車しました。翌月に使用する、格安の「フリーきっぷ」を購入したのもこの駅でした。

 

寝台特急「日本海3号」の「おはよう放送」です(昔は、もっと「早かった」気もしますが...)。

 

「酒田駅」(2時間13分頃)も「2回」下車したことがあります。「1回目」は先述の通り。「2回目」は、2001年1月10日のことで、前述の「鶴岡」とセットとなります。この時は、タクシーの利用で、駅からは少し遠い、「土門拳記念館」まで行って来ました。酒田市出身の土門拳(1909-90)は、日本を代表する写真家であり、この記念館では、「7万点」にもおよぶ彼の全作品を収蔵していると言います。

https://www.google.co.jp/maps/@38.9154869,139.8475292,13.55z(酒田市広域図)

 

駅前に戻って、「本間美術館」にも立ち寄りました。「本間家」というのは、この「庄内地方」の「大地主」だった人物で、この美術館は、その「別荘跡」だったということです。

 

この旅の時、少し、「ここに住んでみたい」とも思いました。当時の私には、「他所への憧れ」というものがあり、「違う近所」、「違う人付き合い」を、実際に体験してみたいとも思っていたのです。なかなか出来る状況になく、時は過ぎてしまいましたが...。

また、この酒田は、映画「おくりびと」(2008年)の舞台にもなりましたね。

 

酒田駅では、現在、駅弁の販売はないようですが、かつて、「鳥海釜めし」とか、「ササニシキ弁当」といった駅弁の販売がありました。1993年5月、旧「白鳥」号で、「福井-青森間」(約10時間半!!)を乗り通した時は、この酒田駅で積み込まれた駅弁を、逃さずゲットしたものです。

 

酒田を出ると、次の停車駅は「遊佐(ゆざ)駅」(2時間25分15秒頃)です。この先の、「象潟(きさかた)駅」、「仁賀保(にかほ)駅」ともに、現在では、すべての列車が停車しています。2番目の「山側」の動画では、この辺りで「鳥海山」も見えて来ます。

 

こちらの特急「白鳥」号では、車掌さんが、「鳥海山」の案内をしています(4分40秒頃)。

 

再び海岸線に出るのが次の「吹浦(ふくら)駅」(山側の動画で、2時間25分30秒頃)を通過した頃ぐらいで、その次の「女鹿(めが)駅」(海側2時間33分45秒頃通過)が、「山形県最後の駅」となります。次の「小砂川(こさがわ)駅」(2時間38分頃通過)からは、いよいよ「秋田県」に入ります。

 

「象潟」と書いて「きさかた」と読みます(2時間45分頃停車)。「ぞうがた」ではありません。旧「白鳥号」が走っていた頃には、まさにそのように書かれたポスターが、「JRグループ」として、福井駅にも掲出されていたこともありました。それを見ると、ますます旅情をかき立てられ、降りてみたくもなりましたが、いまだに、この駅での「下車」は実現していません...。

 

その「象潟駅」も、現在では「にかほ市」に入っていますが、市の中心は、「こちら」となっているようです。

 

「仁賀保駅」(2時間54分30秒頃)は、「TDK」の創業者、齋藤憲三氏(1898-1970)の出身地ということもあって、駅周辺には、「TDK」に関する施設がいくつかあります。かなり以前にガイドブックで見た「フェライト子ども科学館」が面白そうだと思ったのですが、現在では、「TDK歴史みらい館」の方が私には合っているかも知れませんね。いずれにせよ、この駅も、ずっと「降りてみたい」と思っていながら、いまだに、「下車」が叶いません...。

https://www.google.co.jp/maps/@39.2904938,139.960593,15.57z(駅周辺マップ)

 

「羽後本荘駅」(3時間06分頃。市の名前は「由利本荘」です)は、「由利高原鉄道」(旧国鉄矢島線)の分岐駅ですが、この路線も、依然「未乗」のままとなっています。

 

「下車」は当然、いまだに「ない」のですが、この駅で思い出されるのは、2001年3月2日、先述の旧「白鳥号」ラストランの際に、「記念」として、「一部区間」だけでも、「特急券(指定席)」を取れないか、と旅行会社に掛け合ってみた時のことです。

 

全区間「1,052.9km」中、「唯一」残っていたのが、この「羽後本荘」から、次の停車駅「秋田」(羽越本線終点)までのたった「1区間」、「42.8km」分でした(おかげで、「安く」は済みましたが...)。しかし、「秋田」に「思い入れ」のある私としては、「秋田県内」の区間で取れたことは良かったと思います(こちらの地元に近い区間だったら、あまり感慨も湧いて来なかったでしょう...)。

 

その「終点」、「秋田駅」到着は、新潟を出てから「約3時間40分前後」です。距離的には大阪-金沢間(267.6km)とほぼ同じ「273.0km」ですが、「単線区間」があったり、「速度制限」が多かったりで、そこまで「速く」は走れません(それが、「味」の1つでもあるのですが...)。

「海を見ながら走る」、これだけでも、「乗るに値する」路線だと私は思います。

 

「羽越本線」は「遠隔地」のため、ある程度「乗ったことはある」と言っても、やはり、「地元ほど」にはなりません。

 

新潟から秋田という「下り」では、「あつみ温泉」以降はほぼ必ず起きていましたが、それ以前はまだ「寝ている」ことが多いため、それを除くと、昼の列車で移動したのは、「3回」程度と、ごくわずかです。

 

「上り列車」では、2001年1月10日を除いては、ほぼすべて「寝台特急」の「夜の区間」となっているため、車窓を見ていることはほとんどありませんでした。

 

その寝台特急「日本海」は、「下り」「上り」とも、「深夜の時間帯」となるため、「新潟駅」を経由しません。

新潟駅の南15.2kmに位置する「新津駅」と、「東」にある「新発田駅」との間を、そのまま「短絡」する形で走っています。しかし、この路線も「羽越本線」です。新潟駅へ向かうのは「信越本線」であり、新潟駅から新発田駅へ向かう「白新線」は、その両線を短絡する目的で作られた「新線」ということなのです。

 

新津から新発田への「前面展望」映像です。

 

「水原(すいばら)駅」近くの「瓢湖(ひょうこ)」は、「白鳥が来る湖」として有名になりました。

 

この区間も、「昼」には、たったの「1回」しか乗っていません(「寝台特急」ではあれほど「行き来」したのに...)。

1991年8月25日、「新発田駅」から「新津駅」まで利用したのが、「昼の時間帯」で「唯一」の乗車です(その後、「新潟駅」へ戻りました)。

 

「日本の原風景」を感じさせる、「鶴岡」「酒田」といった庄内地方、そして、「秋田」。

その「メインルート」となる「羽越本線」。

「寝台特急」が全廃された現在では、とても「行きにくい場所」ともなってしまいました...。

 

最後に、やはり、この曲を載せておくことにいたしましょう。

(「YouTube」のウィンドウが開きます)

 

大変長くなりました。

 

それではまた...。

 

(daniel-b=フランス専門)