またしても、偉大なアーティストの訃報が入って来ました。「NO CASH」さんからの情報ですが、「50年」というキャリアを誇る大歌手、ジャック・イジュランが、「4月6日」に亡くなっていたと言うのです!!

 

今回は、このジャック・イジュラン(1940-2018)について、少しだけ書いてみたいと思います(「専門外」なので、詳しくはありません...)。

 

ジャック・イジュランは、1940年10月18日、パリの東の郊外、ブルー=スュル=シャントレーヌという街に生まれました。父はアルザスの出身、母はベルギー人でした。

 

1944年、ドイツの占領統治下にあった当時、アルザス出身の祖父が、「この街を破壊しないよう」請願したということです(歴史的に、「アルザス」は、ドイツとも「深い関わり」がありました。このことについて書かれた有名な小説が、アルフォンス・ドーデの、あの「最後の授業」です)。父は、「鉄道員」の傍ら、「音楽家」でもあり、ジャックは、兄とともに、幼い頃から、様々な音楽に慣れ親しんだということです。

 

彼も、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)らと同じく、シャルル・トレネ(1913-2001)に憧れ、また、そのブラッサンスやジャック・ブレル(1929-78)と同じように、名プロデューサー、ジャック・カネッティ(1909-97)の門を叩いたということです。とは言え、当時は、まだ「14歳」(1954年。これは、ブレルとほぼ「同じ頃」のことです!!)でしかなかったこともあり、カネッティからは、「10年後に...」とも言われてしまったそうです。しかし、これが、ジャズ界の「巨人」、シドニー・ベシェ(1897-1959)との出会いを生むことにもなったのでした。

 

1960年には、「俳優」として映画界にも進出しますが、1960年代で特筆されるべきことは、「長い兵役」の後、ピエール・バルー(1934-2016)に出会ったことでしょう。1964年には、そのつながりもあって、ブリジット・フォンテーヌ(1939-)を通して、再びジャック・カネッティに会うことにもなりました。詩人ボリス・ヴィアン(1920-1959)の作品に曲を付けて歌うことが、「歌手」としての「本格的スタート」となったようです。

 

1966年になると、さらに多くの出会いに恵まれ、1969年には、ブリジット・フォンテーヌを通して知り合った、アレスキー(1940-)とアルバムを共作します(「Higelin et Areski」)。

 

1970年代以降は、「カリスマ的」人気を誇ることになりますが、「演劇」と「音楽」を融合したようなその世界は、「独特」のものがあると言えます。また、「共演歴」も相当なもので、フランスの「プログレッシブ・ロック」の関係者のほとんどは、彼との共演があったと言います。

 

最初に挙げた曲「tombe du ciel "空から落ちて"」(1988)は、彼を代表する作品の1つですが、この作品は、「歌をやめよう」と考えていた「空白の2年」の後に発表されたもので、彼が憧れた、シャルル・トレネへの「オマージュ」だともいうことです。

(「tombes du ciel」と書くと、映画「パリ空港の人々」の原題となります。「第2回目」の旅行記を象徴する作品でしたね。主演のジャン・ロシュフォールは、昨年10月9日、87歳で他界しました)

 

この曲は、アルバムと並行して「シングル」としても発売され、ともに「大ヒット」となりました。また、先述のように、このアルバムにおいても、その共演者は実に多彩で、様々なジャンルの作品が収録されているということです。

 

次に挙げる曲、「Champagne "シャンパーニュ"」(1979)は、私が彼に出合った作品であり、「唯一」知っていた曲でもありました。

 

邦題は「悪魔のシャンパーニュ」と言うそうですが(「日本盤」が出ていたのはこれ?)、私は、NHKテレビ「フランス語講座」、1983年8月19日放送の、「夏のシャンソン特集 その2」でこの曲を聴き、そのテレビ録音(「カセットテープ」より)は、現在でも残してあります。

 

当時のテキストには、ジャック・イジュランのコメント(永瀧達治先生のインタビューによるもの?)も掲載されています。

 

「le pire monstre, c'est la raison. on devrait vivre dans un univers magique」

(「最悪の怪物は理性だ。人は、不思議の世界の中で生きるべきなんだ」)

 

アレンジは違いますが、こちらも「Champagne "シャンパーニュ"」です。彼の、「演劇志向」がうかがえますね。

 

こちらは、2011年1月の映像から。

 

前年のアルバム「coup de foudre "ひとめぼれ"」(2010)が「ディスク・ドール(ゴールド・ディスク)」を獲得したということで放送されたもののようで、この番組内で、彼は、「Champagne "シャンパーニュ"」を弾き語りしています。

 

次の2つは、彼の逝去にともない放送されたもので、いくつかの曲から、彼の「これまで」を振り返るものです。

 

こちらは、ニュース系週刊誌、「L'Obs」のセレクション。

 

こちらは、高級紙、「ル・モンド」によるセレクションです。

 

彼はまた、シャンソン界の「3大巨匠」レオ・フェレ(1916-93)の「心酔者」でもあったようです。

 

1989年にベルギーで制作された、レオ・フェレのドキュメンタリー番組で、彼は、次の様に語っています。

 

「レコードの両面を、完全な静寂の中で聴いた。

驚くではありませんか。私に語りかけて来るのです。

その一瞬一瞬が大切な時で、生命をよみがえらせてくれる。

私は、友だちと直接話しているようだった。

妥協することもなく、媚びることもない友と。

非常に激しい感動を与えてくれた。

聴き終わった時、静寂だけがあった。私はぼうっとしていた。

彼の歌を聴くたびに、私に大きな力を与えてくれる。

精神的な、人間的な...詩は力。人生に対する力を。

日常的なところではなく、広大なところへと運ばれる...」

 

というわけで、彼は、フェレの代表作の1つ、「jolie mome "ジョリ・モーム"」(1960)も歌っています(ライヴ)。

 

原題は、「可愛い娘ちゃん(美しい娘)」といったニュアンスです。

 

「オリジナル」はこちらです(バークレーへ移籍後「第1弾」の録音です)。

 

ジャック・イジュランには、3人の子どもがいて、芸術分野でそれぞれに活躍していますが、中でも、最も有名なのが、長男のアルテュール・アッシュ(1966-)でしょう。

 

こちらは、「最新(?)の曲」になるのでしょうか。今年1月に公開されています。

「moonlove fantaisie」です。

 

1994年、東京・渋谷で、ジャックとアルテュールの初の「ジョイント・コンサート」があったということで、ジャックは、「一緒に歌う」かどうかは、「成り行き次第」と、当日のインタビューに答えていました。また、次の様にも話しています(要約)。

 

「アルテュールがアーティストになったのは嬉しいが、勧めたわけでも、無理強いしたわけでもない。アルテュールの音楽は、"息子だから"というわけではなく、"ひとりのアーティスト"として好きだ。音楽のスタイルが違うし、父親のコピーではなく、独立した、"対等"の存在だ。親子としては"距離"があっても、互いに"尊敬と愛情"がある、"温かい"関係だ」

 

アルテュールは、

 

「"イジュラン"という、"父親の名前"では、自分のアイデンティティを実現出来ないので、イニシャルの"H(アッシュ)"にした。

父親は"不在"によって輝く存在なので、近いようで"遠く"、愛情はあるが、"遠い"存在だった。

音楽については、父は何も言わなかった。自分で自分の道を切り開いたのだが、父のステージはよく見たし、それがいい勉強になっている」

 

と言っていました。

 

偉大な歌手ジャック・イジュラン。死因は、ウィキペディアの記述では「よく分かっていない」ようですが、近年は、「体調が優れなかった」ということです。

 

いずれにせよ、これでまた「1つの時代」が終わり、自分も「年を取った」と思わざるを得ません。

 

このように、「フランス」でも「訃報」が相次いでいます。

 

あらためて、ジャック・イジュランのご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

 

合掌...。

 

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(参考:こちらは、アルテュール・アッシュの最新アルバムです)

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(daniel-b=フランス専門)