またしても、「驚き」の訃報が飛び込んで来ました...。
「最近」は、もう、あまり、「プロ野球」の中継を見ることもなくなってしまいましたが、この、「鉄人」衣笠祥雄さん(1947-2018)は、その「現役時代」に、何度か、テレビ中継でその姿を見させていただきました。
「連続試合出場日本記録2215試合」(世界第2位)という「大記録」は、1996年6月14日に、米・メジャーリーグ、ボルティモア・オリオールズのカル・リプケンJr.選手(1960-)に抜かれるまでは、「世界記録」でした。また、衣笠さんが記録を更新する前の世界記録は、同じくメジャーのルー・ゲーリッグ選手(1903-41)の「2130試合」(1925-39年)です。
衣笠さんが現役を引退されたのは、「1987年」のことですが、当時の私は、ちょうど、「プロ野球」にも「興味」があった頃です。
当時の「PL学園」から、あの清原和博選手(1967-)が、「西武ライオンズ」に入団したのが、前年の「1986年」のことであり、当時の「常勝西武」や、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の、「連続3冠王」落合博満選手(1953-)との「師弟関係」といった「話題」もあったことから、その頃の私は、「プロ野球」に関する情報(特に「パ・リーグ」)は、欠かさずチェックしていました。
当時は、「人気のセ(・リーグ)、実力のパ(・リーグ)」などということが、よく言われていましたが、実際、テレビで中継されるのは、「巨人戦」を中心とした、「セ・リーグ」の試合がほとんどで、そのことへの「反抗」として、「パ・リーグ」を応援していたということもあります。これは、本当に「懐かしい」思い出ですね。
「広島カープ」も、当時は、安定して「Aクラス」(上位3球団)入りしていて、古葉竹識監督(1936-)の「名将ぶり」もよく憶えています。山本浩二選手(1946-)、衣笠選手の「YK砲」をはじめとした「赤ヘル軍団」、後に「脳腫瘍」で亡くなった「炎のストッパー」津田恒実選手(1960-93)など「スター選手」が揃い、やはり「強いチーム」として記憶に残っています。
その「広島」が、「西武」と対決した「日本シリーズ」が「1986年」のことで、当時、食い入るように、テレビ中継を見ていました。
結果は、「4勝3敗1引き分け」で「西武」でしたが、これは、初戦引き分け後に、「3連敗」からの「大逆転」となったもので、「第8戦」まで行なわれた「大激戦」だったことでも記憶に残るものです。
この当時は、衣笠さんも「現役」で、その試合で、彼の姿を見ていました。もう、「30年以上」も前の話ですが、「懐かしい」、本当に「懐かしい」映像が出て来ましたので、この記事にも貼っておきたいと思います。ここには、津田選手の姿もあります。
これら、「現役時代」の映像を見ていると、本当に「昨日」のように「鉄人衣笠」が思い出されますが、彼は、本当に「紳士」だったと、今でも思います。若かった頃は「やんちゃ」なエピソードもいろいろあったようですが...。
「死球」を受けても、逆にピッチャーを気遣うように、一塁へと向かうその姿。何といっても、これが一番、忘れられません...。
プロ野球で「2人目」の「国民栄誉賞」(1987年)を受け、「野球殿堂入り」(1996年)も果たした衣笠さん。
その現役時代の背番号「3」は、「永久欠番」です。
彼もまた「がん」ということで、1月に亡くなった、「同級生」星野仙一さん(1947-2018)と、これもまた「同じ」ということになってしまいました...。
その「お姿」、「活躍」は、永遠に忘れることはないでしょう。
謹んで、衣笠祥雄さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
合掌...。
(daniel-b=フランス専門)