「4月8日」は、ジャック・ブレル(1929-78)の「誕生日」でした。

 

今年は、「没後40周年」(10月9日が「命日」)、来年が、「生誕90周年」の「記念の年」に当たりますので、「特集」でお送りしています。

https://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10096189787-1.html(これまでの記事一覧)

 

「シャンソン界の3大巨匠の1人」と呼ばれたジャック・ブレルは、「故郷」に関する「美しい」曲もいくつか書いています。

 

今回も、前回の「le plat pays "平野の国"」(1961-62)に引き続き、その「美しい曲」を紹介してみたいと思います(次回も、このテーマで書きたいと思っています)。

 

今回紹介する曲は、「mon pere disait... "父の想い出"」(1967)という作品です。

 

前回も書いたように、ブレルは、父方の先祖が、北海に面する、「ウエスト=フランデレン州」(ベルギー)の出身ということで、その地域をテーマに書かれた曲がいくつかありますが、この曲も、その1つです。

 

ブレル自身の詞・曲によりますが、大変「美しい」曲であり、編曲・指揮担当のフランソワ・ローベール(1933-2003)のアレンジも、冴えに冴え渡っています。

 

この作品、「mon pere disait... "父の想い出"」は、1967年1月3日、「日本式」に言えば、何と、「正月三が日」に録音されています。当時のフランスは、「リリース」も素早く、この約「3週間後」には店頭に並んだということですから、これもまた「驚き」です。

 

ブレルは、1966年10月に、「オランピア劇場」にて、「さよなら公演」を行ないました。

しかしこれは、日本で言う「芸能界引退」ということではなくて、先ごろ、同様の声明を発表したエルトン・ジョン(1947-)のように、「公演活動は引退するが、音楽活動はやめない」ということです(とは言え、ブレルは、当時37歳。まさに、キャリアの「絶頂期」でした)。

 

当時のブレルは、「眠るのは旅行かばんの中」というくらい、「多忙」を極めていました。

年間「320日」も歌うという毎日でしたので、「肉体的」にも「精神的」にも「限界」を迎えていたことは容易に想像が出来ます。しかし、そんな中にあっても「新曲」は書かなくてはいけない。そこでブレルが下した「決断」が、「ステージからの引退」だったのです。

 

もっとも、「引退発表」の後、「オランピア」での公演の後も、「契約の都合上」、結局「250回」もステージに立たされたと言います(ちょっと「ひどい話」という気はしますね...)。

 

そんな「多忙」の中ではありましたが、この「1966年」あたりから、ブレルの作風は「転換期」を迎えます。

 

それまで、「外側」に向いていたその「力」は、「内側」、つまり、「心の内面」に向かうようになっていったのです。

 

「ステージからの引退」を公表することにより生まれたとも言える、これらの「内省的」な作品。

この「mon pere disait... "父の想い出"」にも、その「特徴」が色濃く表れていると思います。

かつて、ベートーヴェン(1770-1827)がそうであったように、私は、この時期のブレルを、特に「後期」と呼んでいます(ステージでの「全盛期」は「中期」です)。

 

この「mon pere disait...」の原題は、「父が言っていた」ということで、一種の「おとぎ話」とも言えるのですが、詞も曲も大変美しく、「ノスタルジック」でもあります。その、「北海」と「北風」の「伝説」は、聴く者の心に染み入り、「最果ての地」への旅に誘ってくれるようにも思います。

「北国」を旅する時なら、「どこででも」、頭に浮かんで来る曲だと思います。「名曲」です。

 

次に挙げる2人の歌手は、「オランダ語」で歌う、代表的なアーティストです。

 

映像は1つですが、前半が、ブリュッセル近郊ウェメル出身のヨハン・ヴァーミネン(1951-)、後半が、「旧オランダ領」であった、インドネシア、バンドン生まれのオランダ人女性歌手、リースベト・リスト(1941-)です。

 

この2人に関しては、主に、次の記事で紹介していますので、ご参照ください。

 

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12160995814.html(ヨハン・ヴァーミネンについての記事)

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12162693097.html(リースベト・リスト関連の記事)

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12294018113.html(「パリ&ブリュッセル 第2回目の旅行記」より)

 

 

こちらでは、ヨハン・ヴァーミネンが、「Voir un ami pleurer "涙(泣く友を見るということは)"」(1977)を、リースベト・リストが「mon pere disait... "父の想い出"」を、ともに「オランダ語」で歌っています。「mon pere disait...」は、前回紹介した、アムステルダム出身の詩人、エルンスト・ヴァン・アルテナ(1933-99)による訳詞ですが、「voir un ami pleurer」は、ヨハン・ヴァーミネンが、自身で翻訳したもののようです。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12239903423.html(「涙(泣く友を見るということは)」の記事)

 

それでは、「mon pere disait... "父の想い出"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

現在、参照出来る動画がないのが残念なのですが、この「mon pere disait...」の最後の歌詞、

 

...qui me fera capitaine

d'un brise-lames

ou d'une baleine...

 

...私を船長にしてくれるだろう

「防波堤」か「クジラ」の船長に...

 

は、1965年から66年頃に書かれたと見られる、「la biere(ca sent la biere) "ビールの匂い"」の「第1稿」の最後のところでも聴くことが出来るものです。

 

その動画にも、「正式な年月日」の記載はないのですが、「ステージ」で歌っていることと、「活発」な、そのスタイルから、1965年から66年と「推定」出来ます。このことから、この両曲は、もともと「同一」の曲であったのが、「分化」したものだということが分かります。

 

「la biere(ca sent la biere) "ビールの匂い"」は、正式には、翌1968年に発表されています。

 

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12167617631.html(「ビールの匂い」の記事)

 

(映像がすべて消えていますので、とりあえず、ここに「別のもの」で載せておきましょう)

 

 

それではまた...。

 

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mon pere disait...  父の想い出

 

mon pere disait

c'est le vent du nord

qui fait craquer les digues

a Scheveningen

a Scheveningen petit

tellement fort

qu'on ne sait plus qui navigue

la mer du Nord

ou bien les digues

c'est le vent du nord

qui transperce les yeux

des hommes du nord

jeunes ou vieux

pour faire chanter

des carillons de bleu

venus du nord

au fond de leurs yeux

 

父が言っていた

スヘーヴニングンの堤防を

スヘーヴニングンの堤防を

壊してしまうのは北風なんだよ、坊や

風があまりに強いと

航行する者たちにも

北海か、堤防かが

分からなくなってしまうものなんだ

北風は

老いも若きも

北国の人々の

眼を突き刺す

その瞳の奥にある

北国から来た

青いカリヨンを

鳴らすために

 

mon pere disait

c'est le vent du nord

qui fait tourner la terre

autour de Bruges

autour de Bruges petit

c'est le vent du nord

qui a rabote la terre

autour des tours

des tours de Bruges

et qui fait que nos filles

ont le regard tranquille

des vieilles villes

des vieilles villes

qui fait que nos belles

ont le cheveu fragile

de nos dentelles

de nos dentelles

 

父が言っていた

ブリュージュのまわりで

ブリュージュのまわりで

大地を回しているのは北風なんだよ、坊や

北風が

塔の周りの

ブリュージュの塔の周りの

大地に鉋(かんな)をかけたんだ

そしてこの国の娘たちに

落ち着いた眼差しを与えるんだ

古い街の

古い街の

また、美人たちには

繊細な髪を与えるんだ

この国の「レース」のような

この国の「レース」のような

 

mon pere disait

c'est le vent du nord

qui a fait craquer la terre

entre Zeebruges

entre Zeebruges petit

c'est le vent du nord

qui a fait craquer la terre

entre Zeebruges

et l'Angleterre

et Londres n'est plus

comme avant le deluge

le point de Bruges

narguant la mer

Londres n'est plus

que le faubourg de Bruges

perdu en mer

perdu en mer

 

父が言っていた

大地を割ったのは

北風なんだよ、坊や

ゼーブリュージュと

ゼーブリュージュと...

北風が

大地を割ったんだ

ゼーブリュージュと

イギリスの間で

そして、ロンドンはもう

「大洪水」の前とは違ってしまった

ブリュージュの先端は

海をあざ笑っている

「ロンドン」はもはや

ブリュージュの「郊外」でしかないのだ

(その間が)海に消えた

海に消えた...

 

mais mon pere disait

c'est le vent du nord

qui portera en terre

mon corps sans ame

et sans colere

c'est le vent du nord

qui portera en terre

mon corps sans ame

face a la mer

c'est le vent du nord

qui me fera capitaine

d'un brise-lames

ou d'une baleine

c'est le vent du nord

qui me fera capitaine

d'un brise-larmes

pour ceux que j'aime...

 

父は、こうも言っていた

魂も

怒りもなくなった私の身体を

土に還すのは

北風なんだと

北風が

海に向けて

魂のなくなった私の身体を

土に還してくれるのだと

北風が

私を船長にしてくれるだろう

「防波堤」か「クジラ」の船長に

北風が

私を船長にしてくれるだろう

愛する人たちの

涙を受けとめるために...

 

(訳注:「brise-larmes」は韻を踏むための「造語」。

「brise-lames」が「防波堤」なので、「涙を受けとめる」と訳出しました。

「larme=涙」)

 

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(daniel-b=フランス専門)