シューベルト(1797-1828)のピアノ音楽を特集してお送りしています。
(これまでの記事の「リスト」のページも貼っておきます)
http://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10098857198.html
「第13回目」の今回は、いま1度、「1822年以前」に戻ることにしましょう。先月19日付けでも、1819年7月の作、「ピアノソナタ第13番 イ長調 op.120, D.664」を採り上げました。
確かに、シューベルトの作品は、「1822年」を境に、「飛躍的な進化」を遂げたと言えるのですが、それ以前にも、同様の時期がありました。それが、「1817年」です。
1814年10月、シューベルトは、教師であった父の学校に、「助教師」として、就職することになります。しかし、真の情熱が、「作曲」にあったことは、誰の目にも「明らか」でした。
「コンヴィクト(国立の寄宿制神学校)時代」の1808年に知り合った友人、ヨーゼフ・フォン・シュパウン(1788-1865)を通して、1815年頃、フランツ・フォン・ショーバー(1796-1882)と知り合ったシューベルトは、その後、彼、ショーバーの勧めもあって、教員生活をやめ、1816年秋から、彼の下宿に住み込むことになります(さらにこの後、ショーバーを通して知り合ったのが、宮廷歌手の、「ミヒャエル・フォーグル」ということになります)。このことにより、「自由な生活」を手に入れたシューベルトは、作曲に専念できる態勢が整い、さらなる「音楽的発展」を遂げた、と言えるのですが、それを「代表」するジャンルが、「ピアノソナタ」だった、とも言えます。この「1817年」には、「未完成作品」も含めると、実に「7曲」もの「ピアノソナタ」が書かれています。
1815年に手を染めたこのジャンルでは、それまで、「第1番 ホ長調 D.157」(1815年2月)、「第2番 ハ長調 D.279」(1815年9月)、「第3番 ホ長調 D.459」(1816年8月)が書かれていますが、すべて「未完成」に終わっていました(「第3番」は、2つの「未完成ソナタ」を合わせたものと考えられています)。
今回紹介する第1曲目、「ピアノソナタ第4番 イ短調 op.164, D.537」は、1817年3月に作曲された、このジャンルでは「初めて」の、「完成作品」ということになります。また、「20世紀中頃」を過ぎてから、ようやく「再評価」がされてきた作品とも言うことが出来ます(初版出版は、1852年です)。
前3曲と比べても、「著しい書法の充実」が認められるこの「第4番 イ短調」ですが、構成は、「3楽章」となっています(音楽学者アルフレート・アインシュタインは、「4楽章説」を唱えていますが、「ウィーン原典版」編者ティリモは、これを「否定」しています)。
ピアノソナタ初の「短調作品」であり、第1楽章の開始の主題も、これまでになく「重厚」です。
また、後述の、「第20番 イ長調 D.959」(1828)の第1楽章同様、「展開部」での主な展開要素は「第1主題」ではありません。これまで書いてきた、1822年以降の「後期作品」にも多く見られたように、真のクライマックスは「再現部」ではないかと思うくらい、「なだれ込む」ような形で、その「第1主題」は「再現」されるのです。そのためなのか、「第13番 イ長調 D.664」(1819)同様、この作品にも、「展開部~再現部」全体に「リピート」の指定があります(ここに挙げた演奏では省略されています)。
第2楽章の主題は、2月4日付けの記事にも書いた通り、後の「第20番 イ長調 D.959」の第4楽章主要主題の「原型」となります。その時の記事とは逆に、この「第20番」の第4楽章を、参考までに、ここにも載せておきましょう。「最晩年」のシューベルトが、この「愛らしい」主題からスタートして、いかに「壮大なドラマ」を作り上げたかが、よく分かると思います。
こちらの「第4番第2楽章」の方は、これもまた、シューベルトお得意の、「変奏曲的性質を持ったロンド」ということになります。
第3楽章は、アレグロ・ヴィヴァーチェの「フィナーレ」です。シューベルトの楽譜校訂の第一人者であるハワード・ファーガソン(1908-99)は、自身の版で、この楽章(の奏法)について、次のように述べています。
「この不愛想な問いかけ(フォルテ)と、穏やかな答え(ピアノ)とのやりとりでは、後者の各々は、変わりゆくハーモニーに適合するよう、微妙に変化する抑揚を必要とする。もし、どれも同じように扱えば、個々の推移の趣意はまったく失われてしまう」
また、20世紀を代表する、ピアノの「マエストロ(巨匠)」の1人、ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)は、シューベルトのピアノソナタについて、次のようなコメントを残しています(要約)。
「シューベルトが、そのソナタの中に、後の人たちへの道しるべを、いかに多く残したかは不思議なほどである。少し例を挙げてみよう。
1817年のイ短調のソナタ(「第4番」)は、ブラームスが弦のラプソディをかき鳴らしているようである。さらに驚くべきは、1818年のへ短調のソナタ(後述の「第11番」)には、ショパンの特徴が見られることである。そのフィナーレの恐ろしいようなユニゾンのパッセージは、ショパンの変ロ短調ソナタ(第2番「葬送」)のフィナーレの草稿のように聴こえる。
イ短調の素晴らしいソナタ(1823年の「第14番」)においては、そして、いわゆる、"未完成"のハ長調ソナタ(「第15番」)ではさらにそうだが、ブルックナーの声が聴こえる。こうした例を見ると、人間の時間・空間についての概念を超えた、不思議な精神の結合について、考えたくなるような誘惑にかられもしよう」(石井宏訳)
そのケンプも挙げていた、「ピアノソナタ第11番 ヘ短調 D.625+D.505」については、スヴャトスラフ・リヒテル(1915-97)の名演奏をまずお聴きいただきましょう。1979年2月、「来日公演」(東京)からの録音で、私としても、「お気に入りの曲・演奏」となっています。
1818年の初め、シューベルトは、父が、ロッサウ地区の校長に任命されたために、転居を余儀なくされ、自身も教員に復職しました。しかしながら、その夏に、ハンガリーの貴族ヨハン・カール・エステルハージ伯爵家の音楽教師(7~11月)を務めた後は、ウィーンに戻った後も、もう、教員の仕事に戻ろうとはしなかったのです。
その、「ハンガリー滞在中」の1818年9月に書かれたのが、この「第11番 へ短調」ということになります。
この「第11番」も、実は「未完成作品」の1つです。そのために、かつては、採り上げられることもほとんどなく、「一般に知られている作品」とは、とても言い難いのですが、1度でも聴いてみると、その「魅力」に、引きずり込まれずにはいられない、とても「印象的」な作品です。
1817年6月作の「ピアノソナタ第7番 変ニ長調 D.567」の「異稿」である、「ソナタ 変ホ長調 D.568」を「第8番」として数えているために、「ウィーン原典版」では、「第12番」とされています。また、元々、この曲のために書かれたという、「アダージョ D.505」(後述)を、「加えるか、加えないか」、また、「どの位置に入れるか」でも意見が分かれているため、いっそう、「一般的ではなくなった」感じもします。
第1楽章冒頭の主題を聴くと、同じ調で作曲された、ベートーヴェンのピアノソナタ第23番「熱情」(1806年頃)の冒頭も少し思い出しますが、全体的には、主題の性格も展開法もまったく異なっています。この「第1楽章」で、シューベルトは、なぜか、「再現部」の直前で筆を止めてしまいました(リヒテルも、この部分で演奏を中断しています)。まったくの「私見」ではありますが、もしかすると、シューベルトの頭の中に、ベートーヴェンの「熱情ソナタ」の「第1楽章」が浮かんでしまったのかも知れません...。
第2楽章は、この「リヒテル盤」では、「スケルツォ」となっています。この録音では「第3楽章」として挿入されている、D.505の「アダージョ」は、「緩徐楽章」ですから、本来はこの位置に入るはずです。しかし、直近の完成作、「第9番 ロ長調 D.575」(1817年8月)においても、ほぼ「最終形」に近い「自筆スケッチ」では、やはり、「スケルツォ」楽章が、「緩徐楽章」の前に書かれていた、ということでした。同様の例では、後のベートーヴェンの、「交響曲第9番 ニ短調 op.125 "合唱付き"」(1824年)が、あまりにも「有名」ですが、シューベルトにも、何か、「思うところ」があったのではないでしょうか。
このソナタは、「未完」のまま、1897年に出版されていますが、その時には、「緩徐楽章」も「未収録」となっていました。
実に独特な「成立」を果たした、「第6番 ホ短調 D.566(+D.506)」(1817年6月)の出版にも関連しますが、シューベルトの死後、兄、フェルディナント(1794-1859)が、出版者アントン・ディアベリ(1781-1858)に譲渡した、「ロンド ホ長調 D.506」(「第6番」のフィナーレと言われているものです)が、ここに聴く、変ニ長調の「アダージョ D.505」と「ペア」にされ、「アダージョとロンド op.145」(「アダージョ」も「ホ長調」に移調)として、1848年に出版されています。
その後の研究により、「ロンド ホ長調」は、「第6番 ホ短調」の「第4楽章」と、ほぼ「断定」され、1948年には、「4楽章のソナタ」として、「完全な形」で初めて出版されました。
「アダージョ」は、フェルディナントが、ディアベリのために用意した「未出版作品カタログ」では、「へ短調ソナタの第2楽章」と記されていました。しかし、1976年出版の「ヘンレ社版」では「第3楽章」となっているために、リヒテルのこの演奏も、それに従ったものと思われます。
また、この楽章は、「技法的」にも「曲想的」にも、1822年の「さすらい人幻想曲」(5月7日付け参照)の「第2のパート」に似ているような感じ(「ひな型」?)を、私としては受けます。
第4楽章「フィナーレ」も、実に「印象的」な楽章です。この曲については、すべての「自筆譜」が失われているので、何とも言えないところもありますが、この楽章も、「未完成」であるとは言え、終盤の、「ごく一部のパート」が抜け落ちているだけですので、リヒテルも、「補筆された版」に従って演奏しているようです。
この楽章の「素晴らしいところ」は、ケンプも述べていた、「ショパンを思わせる冒頭のユニゾン(両手が同じ旋律を奏でること)」もさることながら、「鐘の音」のように、「オクターブ」で強打される「第2主題」なのではないかと、私は思います。「荘重」な上に、次第に速度を上げていくそのさまが、とても印象に残ります。
このように、とても「印象的」な、「ピアノソナタ第11番 へ短調 D.625+D.505」。もっと「広く」知られても良いはず、と思い、今回採り上げてみました。
さて、このテーマも、いよいよあと「2回」を残すのみとなりました。
最終回は、もちろん、最晩年の「至高の名作」、「ピアノソナタ第21番 変ロ長調 D.960」となりますが、その前に、ピアノのために書かれた、「魅力的」な小品を、いくつか紹介したいと思います。こちらも、どうぞご期待ください。
それではまた...。
![]() |
シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番・4番
2,097円
Amazon |
![]() |
シューベルト: ピアノ・ソナタ第9 & 11番 リヒテル(P)
1,200円
Amazon |
![]() |
シューベルト:ピアノ・ソナタ第19番、第20番、第21番 [DVD]
3,024円
Amazon |
(daniel-b=フランス専門)


![シューベルト:ピアノ・ソナタ第19番、第20番、第21番 [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51FPRRipu4L._SL160_.jpg)