この方の話題も、もうそろそろ「解禁」で良いでしょう...。
「解禁」させてください。

1986年にデビューしてから、昨年で「30周年」。「アイドル歌手」としての「シングル第1弾」は、翌1987年2月5日発売の「男のコになりたい」ですから、それからでも、もう「30周年」となりました。

昨年の5月4日付けでは、その日誕生日の菊池桃子さん(1968-)を採り上げましたが、かつて、彼女がイメージガールとなって創刊された、「momoco」(1983年11月-1994年1月, 学習研究社刊)というアイドル雑誌がありました。

いつ頃からだったかは、はっきり憶えてはいませんが、それでも、1985年くらいでしたか、書店で目にして、そのまま購入し、以降は、「最終号」まで、毎月購入していました。

現在も刊行されている「BOMB(ボム)」という雑誌は、「momoco」の兄弟誌ですが、歴史は古く、1979年3月の創刊です。

「なぜ、今、この話」かと言えば、酒井法子さん(1971-)も、この雑誌、「momoco」の出身だからなのです。

1986年からは、TBS系列で、この雑誌のコーナーをテレビ化した番組「モモコクラブ」も放送され(北陸では、放送されていませんでした)、誌面に登場したメンバーが、多数、「レギュラー出演」していました。

この雑誌で出合ったアイドルは多数います。白田あゆみさん(1970-, この方を、みなさんはご存知ですか?)、畠田理恵さん(1970-, 将棋の羽生善治三冠の奥様です)、それから、桃子さんの「妹分」の形でデビューし、現在もよくテレビに出演している西村知美さん(1970-)などなど...(彼女も、「同級生アイドル」として、当時、「応援」していました。書きだすと「キリ」がありませんね...)。

酒井法子さんとの、「実際の出合い」は、1987年の夏のことです。当時は、「福井フェニックスまつり」の協賛イベントとして、「FBCラジオフェスタ」(「生放送」のラジオ番組です)が、福井市中央公園で開催されていましたが、この年に、彼女の「生」のパフォーマンスに、初めて接することが出来たのでした。

当時の福井は、「夏」になると、「生のアイドル」に出合えるということで、現在よりも、もっと「賑わっていた」感じがします。1987年のこのステージで、私が特に注目したのが、「仁藤優子」さん(1971-)と、この酒井法子さんだったのです。

もっとも、この時は、仁藤優子さんの方に少し傾いていました。当時の歌唱力で言えば、仁藤さんの方が「上」だと思っていましたし、後日、市内の別会場で、再びその「歌」を聴くこともできましたので、やはり、仁藤さんの方が「優勢」だったのです。しかし、「ダンスのセンス」で言ったら、酒井法子さんの方が「上」だと、これははっきりそう思っていました。

やがて、仁藤さんの方は、突然の「喉の不調」に襲われ、期待していたアルバムも、それがはっきりと出てしまう結果となりました。シングルも、3枚目の「センチメンタルはキ・ラ・イ」(1988年2月3日発売)で途絶えることになって、以降、しばらくは、「音沙汰のない」状況となってしまったのです。

当時は、私自身も体調を崩すなど、「つらい時期」ではありましたが、ようやく「復調の兆し」が見られるようにもなった1988年10月、金沢市(県西部緑地公園)で開催された「食と緑の博覧会」において、酒井法子さん、西村知美さんのイベントが、それぞれ行なわれることを知り、市内に宿泊して、その両方ともに参加したのでした(この時に、「新星堂金沢店」の店員さんと知り合いました。また、「博覧会」そのものも、とても素晴らしいもので、「良い思い出」となっています)。

この頃は、アルバムが、「GUANBARE」「Lovely Times」と立て続けに発表され、シングルでも、7枚目の「HAPPY AGAIN」が、9月に発売されたばかりでした。

この「HAPPY AGAIN」はもちろん、アルバム「GUANBARE」から、トップナンバー「DON'T STOP GENKI」など、「印象に残る名曲」ばかりのプログラムだったと思います。
このライヴをきっかけに、私は、「酒井法子」を応援することを、「正式に決めた」のでした。

「のりピー」と呼ばれた当時、「のりピーちゃんグッズ」なるものが発売され、東京、名古屋、京都に、お店(「のりピーハウス」)まで誕生しました(現存しません)。実際に行けたのは、現在の、市営地下鉄「烏丸御池」駅近くにあった「京都店」のみで、それも、「イベント目当て」でした。当日の「グッズ購入者」の中から、「当たり」でイベント参加となったのですが、私は、運良く、その「当たり」の中に入れたのです!!

1990年には、アルバム「White Girl」を引っさげての全国ツアーが行なわれ、その会場に、「鯖江市文化センター」の名もありました。そして、これが、私にとって「初めて」の、正式な「ツアー参戦」となりました。

その後は、主に「大阪」へ毎年、連続して聴きに行きましたが、1度だけ、「埼玉」ということがありました(確か、「南浦和」で、「市文化センター」だったような...)。「たまには、首都圏で」というのが、ひとつ、頭にあったからです。

1993年または、1994年まで、アルバム発表の際に必ず行われたコンサートに参加していました。
詳しくは、当時の資料を引っ張り出す必要があるので大変ですが、1993年のアルバム「あなたが満ちてゆく」が、とにかく「ナチュラル」で、コンサート自体もとても「素晴らしい」ものでした。これが「映像商品化」されなかったのが、本当に「残念」でなりません...。

この後、次のアルバム「素顔」(1996年)までは「2年」も開きました(1994年7月のアルバム「10 SONGS」以降)。
シングルでは、「蒼いうさぎ」(1995年5月)も含めて、1997年7月の「涙色」までは持っていたと思いますが、この当時は、すでに、「櫻井智」さん(1971-, 昨年9月3日付け参照)にバトンタッチしていた頃です。その後、福井フェニックスプラザでも公演がありましたが(確か、1998年だったと思います)、その頃には、もはや、「知らない曲」ばかりで、以前ほどは楽しめなくもなっていました...。

あのような「事件」が起こり、10代後半から、20代前半まで、彼女に情熱を注いだ私としては、
とても「苦い思い」を感じていました。しかしながら、彼女は、「母親」としての「自覚」から、その後、見事に立ち直ったようにも思います。彼女は、もう、絶対に「薬物」に手を出したりはしない、と信じて、これを書いています。そうである限りは、また、彼女についての思い出を書くこともあるでしょう...。
私は信じています。信じてあげたいと思います。

今回採り上げた曲は、年代順で、「HAPPY AGAIN」(1988年9月, シングル)、「ALL RIGHT」(1989年11月, シングル)、「ダイヤモンド☆ブルー」(1990年5月, シングル)、「あなただけ」(1994年6月, シングル「誘われて...」カップリング曲。アルバム「10 SONGS」にも収録)の4曲です。加えて、香港の歌手、「サリナ」による、「あなただけ」のカバーもどうぞ...。

思えば、「ALL RIGHT」は、初めて「10万枚」を突破したシングルだったっけ...。酒井法子さん本人も、「楽な気持ちで、自然に歌える」ようなことを言っていたと思います。
「あなただけ」は、シングル曲以外で、真っ先に思い浮かんだ曲です。「名曲」です。

本当に、彼女にも「思い出」がいっぱいあり過ぎますね...。

それではこの辺で。また次回に...。

(daniel-b=フランス専門)