シャンソン界の3大巨匠の1人、ジャック・ブレル(1929-78)についても、これまでに何回か書いてきました。私にとって、とても重要な存在であることも書いてきましたが、まだまだ「不充分」で、歯がゆくも思います。今回は、「夏のシャンソン」の一環としてこの曲を採り上げますが、また、近いうちにブレルの曲を特集できたらいいな、とも思っています。
ブレルのシャンソンには、「意外と」と言うとおかしいかも知れませんが、「夏」もけっこう登場しています。そのものズバリの「je suis un soir d'ete "夏の夜"」(1968)という曲もありますし、4月20日付けで採り上げた「la Fanette "ファネット"」(1963)という、「悲恋」の歌も、舞台は「7月の浜辺」となっていました。
今回紹介する作品「sur la place "広場で"」(1953-54)は、「最初期」の作品であり、「知る人ぞ知る」といった感じかもしれません。
「ジャック・ブレル」と言えば、最も「古い」作品でも、一般的には、「quand on n'a que l'amour "愛しかないとき"」(1956)までしか知られていないのが「普通」だと思います。この曲を含む2ndアルバムは、翌1957年のACC(アカデミー・シャルル・クロ)ディスク大賞を受賞していますから、これを機に、ようやく大衆に知られるようになったのだと言えます。
ブレルは、ブリュッセルのスカールベーク地区に生まれました。ブレルの父は、かなり大きな段ボール工場を経営しており、「裕福」な家庭であったと言うことができます。
後々は、父の工場を継ぐ予定で、そのための教育も受けたようです。しかし、そういった生活は、いつしか「冒険好き」となっていた、ブレルの好みに合うものではありませんでした。
ブレルは、ギターを独学で練習し、カトリック系の青年運動グループ「フランシュ・コルデ」に参加します。病院などへの慰問で、自作の曲を歌い始めた彼は、1950年には、グループで知り合った女性、テレーズ・ミシェルセン(1926-, 愛称「ミッシュ」)と結婚し、3人の娘の父親となります(長女のシャンタルさんは、自由奔放な父と、かなり長い間、「対立状態」にあったといいます。1999年に、彼女もこの世を去りました。次女フランスさんは、自身が中心となって、父の作品を広く知ってもらうために「ブレル財団」を設立しました。三女のイザベルさんも健在で、父についてのコメントも出しています)。
1953年2月に録音した2曲(「il y a」「la foire」)の、SP盤発売がきっかけとなり、ブレルは、単身パリ行きを決意します。
「オーディション」用に、数曲用意されたと言われていますが、この曲「sur la place」は、まさにその中の1曲だったのです。
パリで、彼は、シャンソン界の実力者ジャック・カネッティ(1909-97)と面会しますが、良い返事はもらえませんでした。
しかし、このまま帰るわけにもいかないブレルは、キャバレーをまわって、オーディションを受けては断られ、を繰り返しますが、ようやく、「出演」にこぎ着けます。そうするうちに、カネッティもブレルの熱心さを認め、自身の経営するキャバレー「トロワ・ボーデ」(3匹のロバ)
に、2週間の出演契約を結んでくれました。そこで知り合ったのが、あのジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)で、彼は、ブレルのその服装(映像の服)から、「僧(ラベ)ブレル」と呼んでいました。
1954年2月、ブレルは、この「sur la place」を含む自作曲9曲を録音し、それが、パリでのレコード・デビューとなりました。作品自体は、ブリュッセル時代の1953年以前に書かれたものがほとんどで、1965年の「(la chanson de )Jacky "ジャッキー"」の中で歌われている、「俺がまだジャッキーと呼ばれていた頃の、陰気な歌」とは、まさしく、これらの作品のことを言います。
この作品、「sur la place "広場で"」は、「難解な詞」であるとよく言われますが、そんなことはないと思います。「哲学的」にとらえようとすると難しくも思えてしまいますが、「現実的」な見方をすれば、見えてくるものがあります。
以下に歌詞を載せておきます。
sur la place chauffee au soleil
une fille s'est mise a danser
elle tourne toujours pareille
aux danseuses d'Antiquite
sur la ville il fait trop chaud
hommes et femmes sont assoupis
et regardent par le carreau
cette fille qui danse a midi
太陽で焼けるように熱い広場で
1人の少女が踊り始めた
いつも同じように踊っている
いにしえの踊り子たちと同じように
この街は、あまりにも暑すぎて
男たちも女たちもウトウトしながら
真昼に踊っているこの少女を
窓から眺めている
(refrain)
ainsi certains jours parait
une flamme a nos yeux
a l'eglise ou j'allais
on l'appelait le Bon Dieu
l'amoureux l'appelle l'amour
le mendiant la charite
le soleil l'appelle le jour
et le brave homme la bonte
(ルフラン)
このように、私たちの眼にも
かつては輝く炎があった...
私が通っていた教会では
人は、それを「神様」と呼んでいた
恋する者は、それを「愛」と呼び
物乞いには「施し」
太陽は、「陽の光」と呼び
正直者には「善行」なのだ...
sur la place vibrante d'air chaud
ou pas meme ne parait un chien
ondulante comme un roseau
la fille bondit s'en va s'en vient
ni guitare ni tambourin
pour accompagner sa danse
elle frappe dans ses mains
pour se donner la cadence
(au ref.)
熱さで揺れている広場には
ただ1匹の犬もいやしない
波打つ葦(あし)のように
少女は飛び跳ね、行ったり来たり
ギターもタンブリンもなしに
踊りに合わせて
手を打って
拍子をとっている
(ルフランへ)
sur la place ou tout est tranquille
une fille s'est mise a chanter
et son chant plane sur la ville
hymne d'amour et de bonte
mais sur la ville il fait trop chaud
et pour ne point entendre le chant
les hommes ferment les carreaux
comme une porte entre morts et vivants
静まり返った広場で
1人の少女が歌い始めた
その歌は、街中に響き渡る
愛と善行の讃歌だ
しかし、この街は、あまりにも暑すぎて
歌にまったく耳を貸さないように
男たちは窓を閉める
生と死の境の扉のように...
ainsi certains jours parait
une flamme en nos coeurs
mais nous ne voulons jamais
laisser luire sa lueur
nous nous bouchons les oreilles
et nous nous voilons les yeux
nous n'aimons point les reveils
de notre coeur deja vieux
このように、私たちの心にも
かつては輝く炎があった...
しかし今では、私たちは決して望んではいない
その炎の輝きを
私たちは耳をふさぎ
そして、目を覆い隠す
すでに老いてしまった心が
再び目覚めることを、もはや望んではいないのだ...
sur la place un chien hurle encore
car la fille s'en est alle
et comme le chien hurlant la mort
pleurent les hommes leur destinee
広場で、1匹の犬がうなり声を上げている
少女が去ってしまったからだ
そして、犬が「死」をうなるように
男たちは、その運命に涙を流す...
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ここで、最初に挙げた録音は、1961年11月10日の「再録音」です(オケは、当然、フランソワ・ローベールになってからのものです)。かつての日本盤「シャンソン・ディスク・ドール」のシリーズ(FDX-413)をはじめ、本国でも長らくこの録音が使用されてきました。
1954年2月録音の「オリジナル」が2番目に挙げたものです。映像のジャケット写真は、「旧全集」のもので、そのときには、この録音は収録されていません。2003年の「新全集」以降、ようやく「復活」となったわけで、本当に長い間「お蔵入り」となっていたものです(現在では、両方のヴァージョンが収録されています)。
3番目のものは、1957年12月24日の日付けを持つ、シモーヌ・ラングロワ(1932-)とのデュエットで、大変珍しい、「貴重」な録音です。ユニヴァーサル社(バークレー・レーベル)の公式版全集には収録されておらず、「後発盤」でのみ、聴けるものです。
最後は、1961年1月発売のバルバラ(1930-97)の録音です。こちらのヴァージョンは、「踊り」、「歌う」少女をクローズアップしたようなアレンジに思えます。バルバラの「オリジナリティー」を感じさせる「秀逸」なもの、と言うことができる録音です。
(daniel-b=フランス専門)