今回は、この3日に72歳の誕生日を迎えた、ミシェル・ポルナレフ(1944-)の、この名曲について書いてみたいと思います。

1970年代前半に特に高い人気を博し、日本でも、「シェリーに口づけ」(1969, この曲は、本国では、もともと、シングルの「カップリング曲」でした)が、度々CM曲に使用されるなど、現在でも「根強い」人気を誇る「大歌手」です。

1970年代半ばには、活動拠点をアメリカ・ロサンゼルスに移したため、当時、本国での人気は次第に衰えていったようです。彼の「財務担当者」による「横領」が原因で、数年分もの「脱税容疑」がかけられたため、「帰国」することもできず、「精神・神経」を病むことにもなったそうです。この「脱税」問題は、その後、本人に「非」はないと、法廷で認められたため、1978年に、「5年ぶり」の帰国を果たしますが、彼は、再びロスへ戻ることとなります。

1980年代から90年代にかけては、目立った活躍もなく、「眼」の病気も悪化するなど、決して「楽」な道のりではありませんでした。一般的な見方で言えば、もう「過去の人」も同然だったようです。
それが、「2000年」を境に、まず日本から、ブームが再燃したようです。音源の発売権が、「ユニヴァーサル」(従来は「ソニー」より)に移行し、ベスト盤の発売に続けて、オリジナル盤のCD化も進められました。

2007年3月、本国では、実に34年ぶりとなる「ツアー」が、パリから開始されました。このツアーでは、フランス国内のみならず、ベルギー、スイスでも公演を行ないました。その初日。3月2日(「パレ・オムニスポール・ド・パリ・ベルシー」。現「アコーホテルズ・アリーナ」)の模様は、DVD(Blu-Ray)化もされました。

そして今年、2016年。4月の終わりより、9年ぶりのツアーが開始されたということで、これもまた、「大きな」話題となっています。発表されている日程では、12月3日のナントまで続くようですが、とりあえず、9日には、コニャックでのブルース・フェスティバルに「ゲスト」出演。次いで、14日(「革命記念日」です)には、本ツアーの公演で、パリのオランピア劇場公演となる模様です。

今回、採り上げた曲は、1977年にシングルとして発表された曲で、フランス、日本、共にリリースとなったようです。

「lettre a France」。文字通り「フランスへの手紙」というタイトルですが、日本では、「哀しみのエトランゼ」というタイトルで知られています。
ミシェル自身のピアノの弾き語りがとても印象的なこの曲ですが、とても切ないメロディラインを持っています。
この曲が書かれた当時と言うのは、ここまでにも書いたように、彼が本格的な「アメリカ・デビュー」を目指して、フランスを去った後のことです。
本国の生活習慣との違いや、「脱税疑惑」で帰国もできないなど、その「苦しみ」、「悲しみ」が、この曲に、如実に反映されていると思います。

歌詞は、ジャン=ルー・ダバディ(元サッカー日本代表監督、フィリップ・トルシエさんの通訳、フローラン・ダバディさんの実父)が書いていますが、その「深い」共感が、聴き手にも伝わってくるようであり、まったく「違和感」を感じることがありません。

ここには、2007年の7月14日(「革命記念日」)、当時のサルコジ大統領に請われて、エッフェル塔を臨むシャン・ド・マルス公園で行なった「無料公演」の模様を載せてみました。なんと、「60万人」もの観客が集まり、フランス全土に生中継もされたという、これもまた、「歴史に残る」、記念すべきイベントだと言うことができます。

次いで、私がこの曲を初めて聴くきっかけともなった、「オリジナル盤」の映像。1983年のテレビフランス語講座、「夏のシャンソン特集」では、確か、この映像が使われていたのではなかったか、と思います。

「望郷」の想いが語られるこの曲。超音速旅客機「コンコルド」が就航していた当時のオリジナル盤では、「君(フランス)との距離は "6時間"」と歌われていますが、2003年に「退役」となって以降は「9時間」と歌われています。

il etait une fois
toi et moi
n'oublie jamais ca
toi et moi

それは、昔々のこと
君と僕の物語
絶対に忘れないで
君と僕の物語...

depuis que je suis loin de toi
et je suis comme loin de moi
et je pense a toi tout bas

君から遠く離れてからというもの
僕は、自分からも遠ざかっているみたいだ...
だから、ひそかに君のことを考える

tu es a six(neuf) heures de moi
je suis a des annees de toi
c'est ca etre la-bas

君は、僕から「6時間(9時間)」の所にいる
僕は、君から「数年」の所にいる
それほど遠い、はるか「彼方」にいるんだ

la difference
c'est ce silence
parfois au fond de moi

「違い」
それは、この「静けさ」
時折、心の奥底に感じる

tu vis toujours au bord de l'eau
quelquefois dans les journaux
je te vois sur les photos

君は、水辺で暮らしているのか
時々、新聞で
君の写真を見ることがあるんだ

et moi loin de toi
je vis dans une boite a musique
electrique et fantastique
je vis en chimerique

それから、君から遠くにいる僕は
ジューク・ボックス(アナログ時代の自動音楽再生装置)の中に生きている
電気的で、幻想的な...
僕は、「空想の世界」に生きている...

la difference
c'est ce silence
parfois au fond de moi

「違い」
それは、この「静けさ」
時折、心の奥底に感じる

tu n'es pas toujours la plus belle
et je te reste infidele
mais qui peut dire l'avenir
de nos souvenirs

君は、いつも、「一番」に美しいわけではない
君に対して、僕は「不実」なままだ
だけど、僕たちの想い出の、そのまた先なんて
いったい、誰が分かるというのか

oui j'ai le mal de toi parfois
meme si je ne le dis pas
l'amour c'est fait de ca

そう、君が恋しいことも時にはある
たとえ、それを口に出すことはなくても
愛とはそういうものだから...

il etait une fois
toi et moi
n'oublie jamais ca
toi et moi

それは、昔々のこと
君と僕の物語
絶対に忘れないで
君と僕の物語...

depuis que je suis loin de toi
je suis comme loin de moi
et je pense a toi la-bas

君から遠く離れてからというもの
僕は、自分からも遠ざかっているみたいだ...
だから、遠くから君のことを考える

oui j'ai le mal de toi parfois
meme si je ne le dis pas
je pense a toi tout bas...

そう、君が恋しいことも時にはある
たとえ、それを口に出すことはなくても
ひそかに君のことを考える...


この曲は、「現代の "ou est-il donc?"(モンマルトルの挽歌)」だとも思いました。
1936年のジャン・ギャバン主演の映画、「望郷」に出演していたフレエル(1891-1951)が、劇中で、涙ながらに歌うシーンがとても有名で、印象的でしたが、その歌詞は、当時のミシェルにも、そのまま「当てはまる」内容ではなかったでしょうか。そんなわけで、次回は、その曲、「ou est-il donc? "モンマルトルの挽歌"」を採り上げてみたいと思います。
それではまた...。

(daniel-b=フランス専門)